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Guitar1124

今回の歌はGoo Goo Dollsの"Iris"。Matchbox Twentyを思い出した時に一緒に出てきたから。

私が洋楽を聴いていた時期には彼らは"Iris"と"Slide"がロングヒットしていて、私は"Iris"が好きだった。けれどもMatchbox Twentyと一緒で、何故かCDを買うことは無かったから、その「好き」も基本的にはサウンドに集中していたはず。
いつもの絶対音感の弊害で脳が(勝手に)優先的に認識してしまうのは音階だから、日本語でも歌詞はなかなか聞こえてこないのに、さらに英語である。しかも(強制への抵抗で)中学まで完全に遮断していて入学後に0で始めた状態、さらに授業も公立の文法訳読である。それで日が浅いのだから当然当時は意味をとるところまでは至れていなかったはず。
なんだけど、不思議なことに、この曲でもまた「音として聴いて気に入っていたはずなのに意味の面でも反応していたのではないか」という感じがしている。

今回初めて歌詞を読んで「こんな歌だったんだ、、」と思った。悲しい。
そしてこの曲をよりによってこの日に歌うことになったのも何の因果なのかと。

はじめからまず変わることはないだろうと思っていたけれども、それでもどこかでは、ここならもしかしたらと思ってしまっていたところもあったのかもしれない。
けれども世界はまさに私が知っている通りで何一つ変わることはなく、予定通りの決行が確定した。時間だけ無駄にかかって何だったのかと思う。さよなら私の、かつてのsanctuary、だったはずのところ。

フレーズの山が低いミからシの"Push it"もきつかったけど、こちらは何度も歌えば何とか出ることはあった。"Iris"のフレーズの山は低いレからラ。たった一音なんだけど越えられない壁だったようで、何度もチャレンジしてみたものの、とてもとても無理だった。から、結果オクターブ上げで歌うことになってしまって、本来の曲内のキーの差が消えてしまった。。
間奏の部分は独りじゃ微妙な部分と技術的に無理な部分があってどう弾こうか迷いながらやっていたんだけど、心境的に頭があまり動いていなかったっぽくておかしなことになっている。けどあえてそれをそのまま残した。

野鳥版日本語↓
ーーーーー
僕は永遠に君に触れることを諦めるんだ
君が僕をどう感じているのか知ってしまっているのだから
君は僕の知る限り天国に一番近い存在だよ
僕はこの今家に戻りたくない

僕にできるのは今この瞬間を味わうことだけ
僕が息をできるのは君によってだけなんだ
すぐかちょっと先かはわからないけどそれも終わるんだろうね
僕はただ今夜君から離れたくないんだよ

そして僕は世界に自分のことを見られたくない
だって彼らが自分を理解するなんて思えないんだから
もし全ては壊されるために作られているのだとしたら
僕は君にただ自分がどんな存在なのかと知ってほしいだけなんだ

君は涙が出てこないことと戦うこともないだろうね
あるいは嘘の中の本当の瞬間と
全てが映画の中の出来事のように思えてくる時
そう、君は血を流して自分が生きているってことを実感するんだ

そして僕は世界に自分のことを見られたくない
だって彼らが自分を理解するなんて思えないんだから
もし全ては壊されるために作られているのだとしたら
僕は君にただ自分がどんな存在なのかと知ってほしいだけなんだ

そして僕は世界に自分のことを見られたくない
だって彼らが自分を理解するなんて思えないんだから
もし全ては壊されるために作られているのだとしたら
僕は君にただ自分がどんな存在なのかと知ってほしいだけなんだ

そして僕は世界に自分のことを見られたくない
だって彼らが自分を理解するなんて思えないんだから
もし全ては壊されるために作られているのだとしたら
僕は君にただ自分がどんな存在なのかと知ってほしいだけなんだ

僕は君にただ自分がどんな存在なのかと知ってほしいだけなんだ
僕は君にただ自分がどんな存在なのかと知ってほしいだけなんだ
僕は君にただ自分がどんな存在なのかと知ってほしいだけなんだ
ーーーーー

歌って帰って鍵をかけて少し泣いた。

この曲の背後にも絶望があると感じた。wikipediaでだけど調べたら、ボーカルのRzeznikさんは15歳の時にまず父親を、翌年に母親を病気で失っている。その後は姉達や従兄弟に支えられたらしいけど、高校時代は社会保障的なものを使って自分で下宿代を工面していたらしい。つまり、高校から自費で一人暮らしってことだよね。
父親については英語版には記載が無かったけど、日本語版だとアル中だったと書かれていた。加えて本人もアル中になった時期があって回復したという記載が英語版にはあった。

「世界に自分のことを見られたくない」
「誰にも自分が理解されるなんて思えない」
理不尽と絶望に裏打ちされた感覚だとわかる。私も同じだから。

「全ては壊されるために作られている」
永遠に続くと思える安定したもの、心の拠り所を持たない人の感覚だよね。何も信じられない。全て無くなるんだよ。悲しい。

この曲にも"breathe"が入っている。息するなんて当たり前のことを意識しなくちゃいけない、普通の人の「当たり前」は決して自分の「当たり前」にはならないってこと。
生きることも同じ。"Yeah, you bleed just you know alive."の感覚、「生きる」と「血が流れる」、つまり痛めつけられて損傷している箇所があることが結びついている、傷なく難なく生存することなど到底できないというような発想にはそう思わせるに至らしめる背景がある。
さらにその先にも差があって、血が流れる感覚で「生きている」と積極的に感じる方向性は、おそらくリスカと近いところがあって、血を流して生きる、生きるために血を流す(ODとか恋愛依存なんかもそうだよね)となるケースもあれば、私のようにそれすら無く、血もひたすら気持ち悪い、別に生きる必要はないとなるケースもある。
何がその差を生んだのかははっきりとはわからないけど、肌感覚的としては幼少期からのネグレクト、一貫した弟との処遇の差、一族内の歪みの捌け口サンドバッグ指定、それら全てが絡んだ野獣(弟)による刃物を用いた致命的な襲撃、それを「いつも通り」の「私が悪い」で当然のごとく軽く済まされ黙殺隠蔽されたこと、結果人間も世界も全て諦めた絶望と、誕生後のいつ、どこでも、あの一族中ではそもそも存在を肯定され受け入れられたことが無く、理不尽しか無かったことが要因かなと思っている。

外の世界では違ったし、特に大学では、「あの男の娘」とか「能力もあり健康なくせに意志を持とうとして服従しない、気に食わない生意気な女」とかではなく、ひとりの尊厳を持つ個として、公平に、特に先生方には優しく愛を持って接してもらうことができた。から続いてきたけど。

それでも世界はやっぱり、私が諦めた世界だった。だから、終わる。私には流したい血は無いし、血はひたすら気持ち悪い。いらない。もう充分。

Good bye world. Good bye this barren year. I had enough, too much.


ジャム?類をどんどん開け始めた。

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