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Track#01 "Affirmation" (from "Affirmation" by Savage Garden) Guitar1203

"Affirmation"はSavage Gardenの2ndアルバム"Affirmation"の表題曲。おそらくデビュー後の激動の日々の中やそれ以前から継続的にダレンが考えてきた色々なことについて、"l believe that〜(僕は〜と信じて/思っている)"の形でひたすら羅列していくという、やや衝撃的?な構成になっている。その視点や価値観に「ああ、やっぱりダレンだな」と思う。

野鳥版日本語↓
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陽は議論の余地なく沈むべきものではないんだ
幸せは他者と共有していくものなんだ
ジャンクフードは健康によくないからこそおいしいんだ
「あなたの」両親は可能な限り最良の方法を尽くしてあなたを育て上げたんだろうね
美容ファッション雑誌は読者の自己肯定感を下げるんだ
僕は完全に独りである時にこそ「愛された」ことになるんだよ

僕は自分が他に与えたものは返ってくるというカルマを信じているんだよ
人は本当の愛にはなかなか気づけないものなんだ
「隣の芝は青い」というけれどもうそれも終わったよ
人は「さよなら」の時まで自分が手にしていたものがわからないんだ

誰も自身の性をコントロールしたり選んだりすることはできないんだ
僕は"monogamy(一夫一婦婚、単婚)"よりも信頼が大切だと思っているよ
そして人の魅力は見た目ではなく心や精神にあるものなのだと
家族はお金や純金よりも価値があるものなんだろうね

世の中は経済的に不平等なものだよね
これを否定するのは大金持ちだけさ

僕は自分が他に与えたものは返ってくるというカルマを信じているんだよ
人は本当の愛にはなかなか気づけないものなんだ
「隣の芝は青い」というけれどもうそれも終わったよ
人は「さよなら」の時まで自分が手にしていたものがわからないんだ

僕は「許す」ことが不幸を解いていく鍵だと考えているんだ
結婚の喜びは脱がなければいけないという気持ちを打ち消すんだ *
僕は神様はTV evangelistを是認してなんかいないと思うよ **
僕は死を乗り越え永遠に続いていく愛を信じたいんだ

僕は自分が他に与えたものは返ってくるというカルマを信じているんだよ
人は本当の愛にはなかなか気づけないものなんだ
「隣の芝は青い」というけれどもうそれも終わったよ
人は「さよなら」の時まで自分が手にしていたものがわからないんだ

(以降、サビの繰り返し)

*この部分はちょっとよくわからない
**"TV evangelist"がTVで伝道する人なのかTV至上主義者なのかは不明。文脈が無いからね。
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前回この曲を歌ったのは8月20日。引き篭もりの無発声生活による心肺機能の著しい低下に危機感をおぼえ、リハビリのためにギターと並行で歌を始めた直後だった。当時はまだ、今よりさらにギターでできることが少なかったし、親指一本で弦を弾いていた。歌も声、特に低音が全然出なかったし(今も充分ではないけど)英語も全然使っていなかったから(今以上に)口が回らなかった。
その頃に比べれば、多少は成長や回復が見られるかな。残念ながら、なかなか思うように事は運ばなかったけれど。

"Affirmation"(アルバム)のリリースは1999年5月18日ということになっているんだけど、レコーディングは1998年4月から1999年7月ともされていて時系列がちょっと謎。
アルバムからは"The animal song(1998年7月)", "I knew I loved you(1998年9月)", "Affirmation(1999年1月)", "Crash and burn(1999年3月)", "Chained to you(1999年9月)", "Hold me(2000年3月)", "The best thing(2000年8月)"と、なんと約2年にわたって7曲もシングルカットがなされていたらしい。
私が認識していたのは"Crash and Burn"まで。それ以降のものはBillboard(US)のチャートにはあまり乗らなかったのかもしれない。("Hold me"以外はおそらくPVも製作されていないようだし、時期的なこともあるのかもしれないけど、私は"Hold me"のPVも当時見た記憶がない。)

ちなみに、1998年から1999年には、デビューアルバム"Savage Garden"からも"All around me(1998年3月)", "Santa Monica(1998年12月)", "Tears of pearls(1999年5月)と、並行して3曲のシングルカットがあったそうで、この頃が彼らの人気や忙しさの絶頂だったんだろうなと思う。おそらく彼らの来日お披露目イベント(私が唯一参加したSavage Gardenのライブ)があったのもこの頃なんじゃないだろうか。

そしてその目まぐるしい、怒涛の日々の中、ダレン の精神は大きな危機を迎える。1998年には、はじめの(女性の)パートナーと別居することになり(その後2000年に離婚とのこと)、その関係か、勿論ビジネス的なこともあるだろうけれども、1999年に彼はアメリカに移住する。おそらく鬱の診断を受けたり性自認の明確な転換があったりしたのもこの頃ではないかと私は推測している。

"Affirmation"は、この時期のダレンの苦悩や葛藤が、痛いほどに詰め込まれたアルバムだった。

リリース当時は、デビューアルバムとのサウンドの差に違和感があり、私にはポップ成分過多であると思ってCDを買わなかったから(しかし実際には謎感覚が「飛びそう」なダレンの状態を察知し、防衛のために私を彼から遠ざけさせたのではと現段階では思っている)、シングルカットされてBillboardチャートに乗っていた曲以外を聴いたり歌詞を読んだりする機会が無かったんだけど、時を経て何故か再会し、ひとつひとつ、作品に触れることになっていった結果、このアルバムの核や真価は、むしろシングルカットされなかった(できなかった)曲にこそあったと、しみじみ思うようになった。

ダレンはもがき、苦しみ、「鳥」になっていた。ロマンスを希求し依存しながらも絶望して撃ち殺す、非常にアンビバレントな状態。自身の生死に関しても同様。彼は人間や自分自身にも怯え、「飛ぶ」ことや「空」を切に思い描いていた。
歌詞を読む限りだと、お相手にはダレンのほうが惚れ込んでいて別離に関してもだいぶ未練があったのではと感じられるんだけど、どうなんだろうね。あの時期の、まさに人気絶頂のダレンを振ることなんてある?でも、当時彼がかなり不安定になっていたであろうことは明らかだし、その中、限られた時間でせっかく一緒にいられたとしても互いに傷つけ合う不幸な関係になってしまっていたというのはあるのかもしれない。

そんな別離と、自身の根本にある課題(性自認、父親がアル中暴力、母親が鬱家系という機能不全家庭で心身に虐待を受け怯えながら育ったこと、加えて学校でもいじめにあっていたらしいよ、、悲しい)の沼や渦に呑み込まれそうになっていた彼は、"Affirmation"ー(彼にとっては決して他から得ることができなかった)「肯定」を、どうしても「自分で」行わなければならない時期を迎えたのだろう。そして新たな傷を作り上げながら、それこそ血の涙を流しながらも、渾身の力を振り絞って曲を紡いでいった。

とんでもない名盤だった。昔はサウンドがポップ過ぎて合わないって思ったけど、これはやっぱりこの形を採る必然性があった。シングルカットされた曲達も、彼の世界のごく表層というか、「広く一般に見せやすい」部分であり、それは決して本質ではないんだけど、逆に「核」の部分のみだと、ビジネスとしてチャートに乗せられないし、それでは多くの人に彼のメッセージを届けられない。

あと、今回アルバムの情報を確認していて知った重大なことは、私のレクイエム"You can still be free"が、実は1995年(デビュー前)の段階で、自殺をはかった友人を想ってデモ版が作られた曲の再編版だったということ。
この曲は明らかに自死を描いた作品で、9月23日に歌ってみた時、私はダレン自身のこととして捉えて、彼が(も)「鳥」になっていたのではとハッとしたんだよね。実際、彼自身もずっと希死念慮を抱えていたようだけれども、とりあえず曲の成立背景は違っていた。
しかし、やっぱり機能不全家庭出身者機能不全家庭出身者、というか似た背景を持つ人と不思議と出逢って繋がっていくものだよなと改めて思った。私と高校の先生そうだし、YさんSちゃんもそうだった。何か、独特の嗅覚のようなものでもあるのか、言わなくても説明しなくても互いに「察し」がきく。Yさんが私にSちゃんを紹介したのも私達が通じ合うだろうと「察した」からだと思うし、私はYさんにもSちゃんにも自分の根本的な部分については全然話をしなかったけれども、それでも、上澄みだけでも色々「察し」合って互いを思いやることができていた。
あ、また斜めになってきたな。話を戻すと、"You can still be free"(元々のタイトルは"free")は、彼等のデビューアルバムには適さなかったし、むしろこの"Affirmation"の中に位置づいてこそ、そのメッセージを、より多くの、それを必要とする人々に届けられた。1stアルバムで一躍トップアーティストになったからこそ、売上的に、という面も含めて。

ダレンはダニエルをはじめ、彼を深く理解尊重して支えてくれる良いビジネスパートナーに恵まれたんじゃないかな。
サウンドアレンジも、よくよく聴くと、ダレンの良さを絶妙に活かす形だし、アルバムの構成やリリース戦略も、おそらくダレンの意を汲んだ上で相当に練られたものなんじゃないかと思う。あれだけ売れていてまだまだ(稼ごうと思えば)稼げる時期に解散を承諾したことも含めて、ダレンを搾取し使い潰そうとする人間がいなかったことは本当に幸いだったと思う。

そして、そのおかげで彼がまだ生きていて、性自認の転換や、(2度目の結婚をした男性)パートナーとの出会いや結婚も経て、自分をより優しく穏やかに受け止められるようになり、それらについての発信を続けつつ、素敵な歳の重ね方をしているのを見られたことが、私にはとても嬉しかった(ダレンは今年、17年間+α継続していた男性パートナーとの婚姻関係を解消していたらしいけど、、ちょっと驚いた)。

このアルバム、ダレンの生の過程が、"Affirmation"ー「肯定」(特に「自己肯定」「自己受容」)を必要としているであろう、多くの傷付いた、理不尽によって傷付けられた人々に届けばと思う。

ダレンは"Poison blood"のリリース時に雑誌インタビューで以下のようなことを述べたのだという。
「私は自身の鬱について祝福、贈り物、呪いの全てが合わさったものだと思っています。それを最悪の敵だとは思いたくありませんし、私は自身をとても繊細な人間であり、私のユニークな脳は他の多くの人々が経験することのない感情の深淵を覗かせてくれていると自覚しています。」
そして彼は自らが生み出すメロディーや物語が「私のように、痛みを抱える誰かに届くかもしれない」そしてそれが「彼らに、私が毎日その選択をしているように、踏み留まらせることを思い出させることになれば」と、発信を続けている。

私は"stay"しないんだ、ごめんねダレン

でもね、勿論、到底一般に理解なんかされないってのはわかっているんだけど、私は私なりに、自分を受け止めてこれまでやってきたんだよ。そしてこれも自分を守るためのこと。

私にとっては、理不尽や暴力、危害を加えられ続けること、それが長期にわたって改善の見込みがないことによる苦痛の継続のほうが「死」なんかよりもずっと問題で、避けられない苦痛に終焉をもたらす「終わり」はむしろ救済の過程というか到達点に位置づけられる。
マイナスよりもゼロのほうがプラスだし、延々と続く苦痛が消えるほうが苦しくないじゃない?

勿論、倫理的にどうかということはあるし、特に生きたくても生きられなかった人達のことなんかを思うと、避けられるのであれば避けたほうがいいに決まっているから、これまでは適宜調整やガス抜きをしながらなるべく遠ざけてきた。
私には欠落していること、できないこともいっぱいあったけど、一方で、できることも、しなければいけないことも、気を紛らわすための色々な楽しいこともたくさんあったから。
特に「人のため」に自分の目や手、知見を活かせる仕事と、それらを通して自分がいてもいい場所が、かつて自分を救ったSanctuaryの中で、無期で保証されていたから、多少の煩わしいことや時々やってくる底なし沼の気配に引きずりこまれそうになっても、何とか追い払って、自分を維持して続けてきていた。

でもね、それらは全て、極めて不本意な形で無くなってしかもそれを「自己都合」にされたし、その理不尽や暴力が顧みられることすらなかったし、何よりあの職場とその後特に5類化以降のこのノーマスク、自分の欲求のみに忠実で平気で加害を行う危険な人間の群れの中で、私は息ができなくなった
問題が自分の内にあるのであれば、変えられるようになんとか考えて対策できるけど、外にあって、しかもそれが「理」の通じない野獣の群れであったらもう終わり。ヒグマに人を襲うなと言っても無理だしそんなのナンセンスでしょ?同じこと。

"I believe in karma what you give is what you get returned"
他に平気で刃や呪詛を向け踏み躙る輩には、その自身の振る舞いの結果が必ず返っていく。他人に向けた「自己責任」は自身の「自己責任」を呼ぶ。

私は私なりに自分を大切にしてきたんだよ。危険なもの、有害なもの、不毛なものからは徹底的に逃げることで自分を維持してきた。私には謎感覚と全身に染み付いた人間不信、論理と批判的思考があったから、(物理的には速く走れないけど、精神的には)はぐれメタル並みの俊敏さで、リスクを察知し逃げまくってきた。

本当に屈折しているし面倒くさい人間だと自分でも思うけど、それでも、幸運なことに、一定の理解をしてくれる人も常に一定数いて(恵まれているよね)、色々制限はありつつもそれなりに楽しく過ごしてきたはずなんだ。自由な関係においてはいじめられることもなかったし(ピアから、そして勿論年下からも)。

色々な国地域へ飛んで、加えて日本で過ごす中でも、国籍を問わず色々な人々と接して色々なものを見聞できたし、そういうものことを活かして若人に還元する仕事ができたし、良い音楽、美味しいご飯をたくさん味わうこともできた。よくやれていたものだと思うよ、こんなに人間が嫌いなのに素知らぬふりして人前に立ち続けたんだから。

私の謎感覚は(未だ不明点も多いけど)避けるべき時に避けるべきものを、適切に私に、無意識のうちに伝えて私を動かしていたんだよな。
一方、出会うべきものについても、私は主体的に向かっていくことはほとんど無くて、何故か向こうから降るようにやってきてくれていたんだよな。たとえ一度素通りしたり離れていたりしていても、縁のあるものには必ず、再会していて、その時、確かに、より強固なリンクができる。漱石や太宰もそうだったし、Coccoも、くるりも、志村さんも。ダレンも、ロブも、チバさんも。英語や文学、音楽についても同じかもしれないね。

私、悪運も強いけど、謎ラッキー体験もわりとしていて、くるりは一度打ち上げに参加したことがあるし、志村さんとも、ちょっとネットには書けないけどあることがある。
Coccoは無いなあ。こんなにずっと好きなのに。ライブ以外の場面でもふらっとでもいいから会ってみたかったな。あ、でも一度だけニアミスはある。2006年の12月25日。フジファブリックのクリスマスライブの日。その日はライブ前に青山ブックセンターで行われていたCoccoの、、何だっけ?写真展だったかな??に寄ったんだよね。それで、もっと長くここにいたかったなあとか思いつつも、開演時間が近づいているからと会場を後にした。すると、なんとその直後に、ご本人が来場していたということを、確かmixiか何かで読んで、ライブ後に悶絶した。。まさしく崩れ落ちたよ。本当に楽しくて満喫したライブだったんだけど、私はCoccoにも会いたかった!笑 わがままかな?
そう言えばこの日、渋谷では「経済的に恵まれない高校生にも教育の機会を」って、当事者の高校生達が、大人しく礼儀正しくデモ行進をしていて、眺めながら私は心の中で泣いた。何でよりによってこの日なの?悲し過ぎるって。自分はCoccoのイベントへも行ってフジファブリックのライブへ向かっていたっていうのにね。

私はクリスマスは嫌いだ。年末も、年始も、そして自分の誕生日も。

もし私がただ仕事を辞めただけで、世界はパンデミックでなくて、あるいはせめてこんなノーマスクの巣窟状態でなく、もしくは職場がノーガード全開のノーマスクの巣窟でなく嫌がらせやパワハラでここまでPTSD等が悪化していなくて、別の環境やできることを模索していければ、違ったのかもしれないね。
でも現実は現実で、この世界で私ができることももう無いし、私には踏み留まる理由も無い。sanctuaryも無くなったし息もできない

もし私がもっと先まで生きるべきだったのなら、きっとこれまでみたいに、謎の道ができていたんだと思う。そうならなかったのは「もう自由になっていい」ということ。

"Time now to spread your wings"
"You can still be free"

何かもうどんどん後ろ倒しになってきているけど、今日(日付的には昨日か)、"You can still be free"を歌ったよ、ダレン。とっても良い曲だった。ありがとう。

私、それなりに頑張ってきたと思う。メンヘラにも、鬱にすらなれなかったけど、かなりアレな環境でひたすら虐げられてきたわりには非行や犯罪に手を染めることもなく、アル中薬中等になることもなく、独りでできることを、なるべくbetterな道を探して、なるべくしてこられた。自分が受けた呪詛を別人に向けて新たな犠牲者を作ることも、不毛な恋愛依存にも走らなかったからモラハラDVやヒモなどに無駄に踏み躙られ搾取されてますます病むことも、共依存に陥ることも、子どもという不幸の連鎖を生むことも無く済んだ。

終わらせることは、退職を余儀なくされたのと同時に決めた。そして以降これまで準備をしてきた。Deadlineも見えていたし。途中で何故かギターを始めることになったのは完全に予定外だったけど、おかげで記憶を含め、色々な整理ができた。

理不尽や暴力を向けてくるのは、基本的には避けられない関係の(「である」の世界において圧倒的な権力を持ち、合理的な理由をよそに自らの都合便宜や仲間内の利権を最優先し、気に食わない者や意に沿わない者には報復を与える)既得権益者とその手の者だった。
あの家では「自分の娘を傷付けた男の娘」で「健康で能力があるくせに意志を持とうとして黙って自分の命令を聞かない」「こんなに世話をしてためを思ってやっているのに感謝せずふてくされていてかわいげがない」「女」としてロックオンされた。
職場では「仕事を与えてやっているというのに、組織の感染対策方針に異をとなえ、管理職に物申す反乱因子」として(出発前に公開することになる他の要因も絡んでいる)ロックオンされた。
「である」の世界は論理ではなく「お気持ち」、為政者のご意向が絶対の場なので、一度でも「敵」認定をされたらもう終わり。為政者の「敵」は組織集団の「敵」になるから、それへの「報復」はその場の正義にすらなる。
外面ばかり取り繕って、どんなに善人面していてもね、歪んでいるよ。でもその歪み解消の捌け口が必要だから、ターゲットが作られる。そして作り上げられたイメージとは真逆の非道が、裏では平気でまかり通ることになる。
非論理が論理で不合理が合理で非道が道理。「である」の世界とはそういうもの。意味不明で本当に笑える。
だから不毛な場からは逃げ出した。どんなに失うものが大きかったとしても。

でも、それだけでなく、外界全てにノーガードのノーマスク勢が蔓延っていたら、ね。もう無理だわ。
この世界、全てから下りるしか方法は無い。

物理的な片付けは結局全然間に合いそうにないや。それでも現実は現実で、私は私なりに、できることをできるところまで進めた。現実は現実。

どうにもならないことだらけだね。

色々とても間に合いそうに無いので、ロブの曲を飛ばしてとりあえず、これを書いている。私は冷めた現実主義者だから。

"Affirmation"に残っているのはあと2曲。私のエレジーでレクイエムでもある"Gunning down rommance"ダレンのエレジー"I don't know you anymore"

ギター、もうちょっと上達してほしかったな。でもまあいいか。全てなるようにしかならないのだから。



↑ここまでは12月3日に食べたもの
↓この下は12月16日の草
真冬に咲いてしまった菜の花
じゃがいもを収穫した。小さい。


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