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Guitar1024

今回の「その日の歌」はフジファブリックの"Anthem"。やっぱり月が出てくる曲だから
といってもこの曲に出てくるのは「三日月」で、ちょっと違ったなあ(三日月の時に歌っておけばよかった)と思った、ものの、「三日月さんが逆さになってしまった」状態って、上弦の三日月が下弦の三日月に反対になるだけでなく、三日月から満月ー3くらいの状態になった、とも考えられるな、そしたら今はわりと良い時期だった、とも思えて、物は考えようだなと改めて。

低いけどオクターブ上げると「これじゃない感」が強すぎるので頑張って原キーで歌った。もののやっぱり低いから声が出ていない。ベースはほぼ均一なビートで弾きやすいはずなんだけど、やっぱり跳ね返りに指が負けていて均一に弾けていない。指の筋トレ?をすべきなのだろうか、、あと、志村さんの歌って大好きなのに上手に歌えない。何で?

一般的には「それらしい」ものがあったとしても、それだけでない、そうではないものだって存在している。それを先入観や思考停止でひたすら「無きものにする」のは危険だし傲慢。
私が大学での学びで知って良かったと思う概念はいくつもあるけれども、その一つが人類学の「文化相対主義」だった。世の中には、日本なら最近は特に美しきニッポンの文化とされるような伝統的ーといっても実は近代以降に国家神道やナショナリズムと結びついて作り上げられたもの、世界では欧米・コーカソイドの文化が主流であり価値が高く規範とされる傾向がある。けれども、その中では下流傍流とされ軽んじられたり無視されたりする文化、例えば経済的に恵まれないエリアとか小さな島国のものなど、言語でいえば標準語に対して方言など、そういうひとつひとつのものにも価値や存在意義があり、それは主流や規範とされ力を持つものと同等であり、どちらが優っている/劣っているとは言えないという考え方である。
私はあの一族の中では「私である」だけで「悪」とされたし、自分の意志を持つことも「悪」だったから、攻撃され続け、それが正当化されていた。でも、はじめは高校の先生がそれは違うと教えてくれたし、大学ではそういう不毛な世界とは完全に離れて周囲にも何も言わずに過ごしていたけど、誰も「私が悪い」なんて言わなかったし、むしろ皆が尊重してくれたから、私は「(悪いことをしなければ)私は悪くない」「不当に貶められ攻撃される筋合いも無かった」と納得することができた。
加えて、何が「良い/悪い」かも慎重に吟味しなければいけない価値であって、世界には様々な人々、文化、価値観があると、国籍を問わず多様な人々と交流することによって体感することもできた。

様々なことを見聞し、知を深め、批判的思考と共に、ステレオタイプや偏見、思考停止から自由になっていく、そうしてさらに視野を広げ、考え、理性的に公平に平和の道を模索していくこと、そういう世界の中では私も生きていけるかもしれないと、思っていた。

私のsanctuaryには有言実行で現実から目を背けず耳を塞がずに、私だけでなくより多くの、特に弱い立場の人にきちんと優しい目を配り、小さな声に耳を傾け、対話をし、手を差し伸べられる存在であってほしかった。

"Anthem"はシングルカットはされていないんだけど、PVが作られていて、そこにはメンバーがストックホルムへレコーディングへ行った時の日々や風景が刻まれている。
"Chronicle"発売後、レコーディング時の話を色々聞いたりして私もストックホルムへ飛んだ。メンバーと同じバーガー屋さんへ行ってみたり、この辺りに泊まっていたのか、この辺を歩いたのかな、なんて考えながら散歩したりして楽しかった。ゴッドランド島へ行った(初回)のもこの時。

初回のストックホルムに一緒に行ったのは、初めは中学時代の洋楽仲間(Mr. Bigが好きだった子、書き分けのためYさんとする)の高校の友達として紹介され、しばらくメールでやり取りをしていた子だった。きっかけは何だったかな、Yさんがその子(Sちゃんとする)と洋楽のライブへ行ったとかそんな感じだった気がする。
Sちゃんも機能不全家庭出身者だった。父親はYさんの父親と同じ銀行の銀行員、おそらく母親が家にいてのやはり抑圧の強いタイプだったらしく、Sちゃんの上には知る限り確か30過ぎまで司法浪人していた半分引き篭もりっぽいお兄さんがいた。Sちゃんは小学時代から私立へ通い、高校はYさんと同じだからまあまあの私立進学校だったんだけど、一浪の後、いわゆる「大東亜帝国」へ入ったから、Yさん同様、出身校からするとなかなかの異例なのではと思う。
勿論、私自身偏差値至上主義的価値観や教育には色々思うところもあるし、Sちゃんが自ら望んだ進路だという可能性もあるけれども、印象としては、彼女にとっては不本意なことだったのでは、試験でうまく本来の力を出せない要因があったのではと感じていた。けれども当時はまだ直接会う前だったし、色々微妙な事象でもあるから確認できなかった。
Sちゃんは当時、きっかけは不明なものの年上の医師だという男性と定期的に会っているようで、多少性的なことも介在しているような話をしていた。私はちょっとそれ大丈夫なの、、とは思っていたんだけど、それにも何も言えなかった。

Sちゃんと初めて会ったのは、Yさんと一緒ではなく、なんと別ルート、私の大学のクラスメートを通してだった。というのも、大学入学直後に私の英語のクラスメート(Dとする)にいきなり「ねえ、Sって知ってる?」と話しかけられ、「知ってるけど、、(どういうこと)???」と困惑していたら、何でもDとSちゃんは同じ小学校に通っていたらしく(Dはその後中高一貫の男子校)、私の進路、Dの進路を知ったSちゃんが、試しにDに私の名前を知っているか聞いてみたら同じクラスにいる、え、何それまさか、という流れだったらしい。
授業後は早速Sちゃんに連絡して大盛り上がり。その後、夏休みにDと3人で花火大会へ行ったのが初対面だった。そしてメールだけでなくリアルの友人となり、しばらくかなり親しく過ごしていた。大学の友達は基本的に経済的にも精神的にも安定した家で健全に育った子が多かったので、私は本質的なところは勿論出さなかったものの、微妙な上澄みのような部分のことはよくSちゃんと話していた。

そういえば、2009年末、志村さんが急逝して憔悴していた時にもSちゃんは真っ先に連絡をくれた。予め行く予定にしていた、フジも出演予定だった年越しフェスで出るまで家の中で何もできない状態で、もしかしたらSちゃんに返信もしていなかったかもしれない、そんな中、玄関のチャイムが鳴って、ふらふら出て行くとSちゃんが立っていた。
Sちゃんは勿論私を心配して来てくれたんだけど、私は人と一緒にいられる状態ではなく、部屋も片付けなどとてもできていない状態で、だからせっかく来てくれたのにごめんと伝えた。するとSちゃんはわかったと言い、確かに片付いていないねと笑い、そしてドア先で突然私を"Hold"して帰っていった。私はただ呆然とし、何も伝えることができなかった。
そう言えば、この時だったかは定かではないけれども、Yさんも私が寝込んでいるところへいきなり来て、紅茶だけ手渡して帰っていったことがある。

痛みを知っているからこそ優しくなれるということはあると思う。

私はどうだろう。そこまで優しくない気がする。勿論、相手が危害を加えてこない、理性を保持し対話が成立する対象である場合にはなるべくniceな対応をするように心がけてきたけれども、リスクを感じたら私は真っ先に逃げるし、存在を遮断してしまう。相手がしんどそうな時にも、軽度なら声をかけたり自分にできることをしたりするけど、自分にどうにもできない問題であるような時には、どうしようもないと引く気がする。私にできることなど限られている。私は私の身の程を弁えている。無責任な気休めなど何の意味もない。この世には、どうしようもないことや人間が、どうしようもなく存在する。私ごときには到底役不足なのだ。それを知っているから、私は自分の手に負える範囲で、私なりに誠実に悪意のない人々と向き合おうとしているのだと思いたい。でも他人から見ればそれはただの冷たい人間だということになるのだろう。

Sちゃんとは社会人になってからも定期的に会っていたんだけど、ある時、Sちゃんから突如「子どもができたから結婚する、話がしたい」と連絡があった時に拒絶してしまって、それ以降会っていない。勿論、色々な価値観があるのは確かだし、私の心が狭いんだろうけど、安定的継続的に付き合ってきたわけではない相手と無計画に、というのは、将来の子どもを巻き込むことだから、私にはしんどい。Sちゃんはとてもしっかりした良い子だし、特に子どものことはきちんと考えて行動していくだろうというのはわかっていたけれども、何より理性を飛び越した野獣的な振る舞いというのは、私には吐き気と恐怖を催す。どうしても受け入れることができなかった。ごめんねSちゃん。Sちゃんやお子さんが平穏に過ごしていることを遠くから祈ります。

何故かこんな時期にミョウガが蕾をつけていた、ひとつだけ。寒くなってから暖かめになったから間違えちゃったのかな。
またメゾンカイザーでクロックムッシューを買った。焼いたら焦がしてしまった。パンを買っている時は要注意なんだよな、、

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