見出し画像

Guitar0902

虚無の影響なのかStingの"English man in New York"が頭に浮かんだので歌ってみることにした。歌った部分の野鳥版日本語は↓。この曲も言葉の乗せ方が難しくて(特に冒頭)母語話者には歌いにくい。

ーーーーー
コーヒーではなく紅茶を飲むことにしています
トーストも片面だけ焼いてください
話す時のアクセントでわかると思いますが
私はニューヨークにいても英国人です

五番街を歩いているときにも
ほら、ステッキをついているんです
歩くときにはいつも持ち歩くんですよ
ニューヨークにいても英国人なので

私はエイリアン、合法的な異米人
ニューヨークにいても英国人なんです
私はエイリアン、合法的な異米人
ニューヨークにいても英国人なので
ーーーーー

「西洋」、特に「同じ英語圏」としてまとめられることも多いけれども、イギリスとアメリカは全然違う。
私の周りには帰国子女がたくさんいたけれども、その中でもアメリカ帰国とイギリス(を含む欧州からの)帰国は気質、文化が全然違った。
そう言えば、前に私がgarbageをイギリスのバンドだと思っていたのは、ボーカルのシャーリーさんの表情や出立、アクセントからだったんだけど、後から調べてみたら、実際にシャーリーさんはやはりエディンバラ(スコットランド)出身だった。

高校でイギリス留学をしていた帰国子女の友人は、「私は帰国生だけれどもアメリカ帰国じゃない、帰国生としてひとまとめにされるのは不本意だ」とよく言っていた。総数が圧倒的に多いし目立つから、帰国子女=アメリカ帰国のイメージが持たれるのもわからなくはないんだけれども、実際、帰国子女の中にも色々な人がいる。そこには在籍した国・地域の影響もあるし、それ以前の当人の個性もある。対象自体をよく見ずに先入観で塗り固めて判断しようとしたら本質を見失う。けれども一定の傾向があるにはあるのも事実。知識は持った上で個々をよく見る、対話をしていくというのが肝心。

私の体感としては、アメリカ帰国と欧州帰国の間には、証明写真とか集合写真、あるいはスナップ写真等にも表れると思うんだけど、人に見せるべき表情というものに大きな違いがあって、欧州側ではアメリカのように口角を上げ歯を見せたチアリーダーのような全開の笑顔というものはなかなか出さない。凛としているんだけれども、どこか抑制が効いているというか距離感がある。例えばThe scriptの"For the first time"のPVの女性なんかが私からすればとても「らしい」表情。そういえば私もかつて職場のお姉様に「ロシア人形みたい、ロシアかどこかかとのハーフだと思った」と言われた。それはおそらく表情にも起因していたのではないかと思う。私も笑顔は作れるけれどアメリカ的なものにはならない。

Stingのこの曲は異米人として(日本の文脈だと異邦人的に)ニューヨークに暮らす英国出身者についての歌(もちろん英国といっても一括りにできないんだけど、ここでは便宜的にUKを英国とする)。アメリカ、異なる文化の中にいても自分は自分で、でもだから自分はエイリアンなんだけど、それでもエイリアンでいるし、いようと歌っている。その在り方は孤独でもあるだけど、ある意味誇りや自身の尊厳でもあって、そうあっていいんだよと伝えている。

PVのスティング自身(他がささない中、大きく立派な傘をさして歩いている)や英国人男性も、ファッションや出立ち含めとても素敵。そういえば、教科書だかに載っていた「おじさんのかさ」も昔好きだったな(あのおじさんは逆に傘をささないんだけど)。あれもイギリス紳士がモデルだよね、きっと。頑固でいじらしくちょっとかわいい感じはツボ。
あと、私もコーヒーではなく紅茶を日々嗜んでいる。そしてここ3年、京都で先生とお会いしていた時にはよく紅茶のお店を使っていた。ミスリムは混むこともあるから外していたけど、観光客が京都で紅茶を飲むぞとなることはあまりないし、他のところは人も少なく、いたとしても紅茶専門店に足を運ぶ方々は客層としても落ち着いていてリスクを下げられたから。

鉄旅が恋しくなったのか駅の発車メロディーをひたすら弾き始めた。仕事を辞めたのに加えノーマスクの巣窟はリスクが高すぎるのでもう全然電車には乗れなくなった。何線何駅何番ホームなのか、もはや思い出せない。乗り鉄だったのに。悲しい。

あとこの音は何の音だったっけ?

思い出せない。全てが遠くなっていく。



チョコレート乗せにハマった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?