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謎認知

私は記憶にも感覚にも色々謎な部分が多いんだけど、今回の怪我でまた興味深い点に気が付いた。突然困難な状況に陥った時、人はそれまでの当たり前の「当たり前でなさ」を痛感する。し、私はやっぱり自分の傷に対して極めて鈍感であるということが確認された。

先週木曜日にタブレット画面保護ガラスの割れた部分で激しい流血沙汰になった際、私が最初に思ったのは「小指を切った」だった。溢れる血が多すぎて患部がよく見えなかった(血を見ると気持ち悪くなるのでまじまじと見たくなかった)というのもある(ちなみに今もこれを書いているだけで光景が蘇り吐きそうになっている)。

トイレで傷口を洗浄している時に、傷は小指だけではなく薬指にもあって、どちらもひどいと気付いた。とにかく流血量が多く、勢いが強い。どこから流血しているのかは正直よく見えなかった。装備もない中なので、とりあえず持っているティッシュを周囲に何重にも押し当て、上からタオルで強く巻いて止血して、こぼれ出さないようにした。
(そしてこの後またすぐに帰宅せずにSavage Gardenの"She"を歌っている二年前もそうだったけど、私は深手を負っていても何故か日常を続けてしまう。幼少期からの積み重ねで痛みや苦痛の感覚が壊れているのだろう。どんなにきつかったとしても平静を装って普通のふりを続けなければならなかったからそれで無理矢理やれてしまう。後になって考えると何故?となるんだけど。。)

とにかくその晩は洗浄消毒をして、しばらく止血した後、再洗浄してバンドエイドを貼り休んだ(やっぱり眠れなかったんだけど)。怪我から何時間も経っているのに、出血は続いていて、バンドエイドのパッドの部分にはすぐに赤く染みがついた。
朝、起きておそるおそるバンドエイドを剥がすと、さすがに出血は止まっていた。しかし意外なことに、傷口は小指より薬指のほうが遥かに深く長かった。強く動かすとまた流血しそうだった。
(シャワー後は)あまり考えずに普通の絆創膏を貼ってしまったけどこれには役不足だったなと、二年前の怪我で購入した防水&湿潤療法用のバンドエイドを引っ張り出してきて両指に貼った。(特に薬指があやしげだったものの)おそらくそれで何回か交換してしばらくすれば治るだろうという感じではあった。

とはいえ無理は禁物である。大きく動かしたり強く力を入れたりはまず避けたほうがよさそうだった。多少痛みもあったし、傷口が開いている状態だったので、防水加工されているパッドを貼っているものの、両指を水に濡らすのも憚られた。

まず困ったのは調理や洗い物。普段全く意識せずに適当にしていることだけれども、だからこそ、崩れた時の違和感が大きい。
二年前もそうだったんだけど、複雑な動き?はわりと負荷が高かったんだよな、と、思い出した。直線方向だったらまだ何とかなるんだけど、斜めとか回転だとキツい。具体的には瓶の蓋を開けたり人参をすり下ろしたりに困難があったり心理的負荷が高かったりした。
あと、日常動作って無意識だけど各指が連動して成り立っていることが多くて、私は(太古の昔のことだけど)ピアノをしていたこともあって個別に指を動かすことには多少慣れているはずなのに、外側2本がロック状態になると、そこを使わずにできるはずのことにも支障が出てくる。おそらく心理的に「避けなきゃ」という気持ちが強くなりすぎて、怪我のない部分にまで及んでしまうのだろう。とにかく手元が狂うことが多くて、物を落とすことが多発する。そして「あ、落ちる(落ちた)」と思った時の咄嗟のフォローができない(出そうとした手を戻してしまったりする)。
加えて何より水への忌避が強くなって、患部を触れさせたくなくなる。はじめは左手で洗い物をしてみたんだけど、全然ダメ。濡れるから洗いたい物を(右手に)持つこともできなくて流し台に置いて洗おうとするんだけど、(置いた物を右手全体で支えることもできないし、仕方ないから親指側で傾けたりして角度調整をしたりもするものの)左手も力の加減がうまくいかなくて辺りに水が飛びまくった。そしてそれを拭いたりするのも左手だから、ギクシャクする。物を倒したりもしてね。

あと、洗顔とかスキンケアもわりとうまくいかない。両手を使うこと前提でルーティーンが成り立っているから。
例えば洗顔は両手を使わないとうまく泡が作れないし、まあどうせシャワーは浴びるわけだしと半ば諦めて右も使って顔に泡を馴染ませていくと、パットの段差(?)がわりと刺激になる。ボディだとそこまで気にならないんだけど。
それから私は洗顔も化粧水美容液オイル類も泡や液体をまず左手で受けて、それを右手側にも移して顔だったり身体だったりに塗るんだけど、それができなくて、やっぱり周囲にこぼしまくる結果になる(拭くのめんどい)。

そんなわけで諸々うまくいかないので、それ前提で負荷の少ない生活をしている(洗い物を減らすため焼き物類はミルを使わずにできるものだけにしているし、ある意味よい機会でもあるので、普段はなかなか食べようと思えない備蓄の米類やレトルトを消費している。そして、食べるのと練習に出る時以外は基本的に横になっている。患部と直接関係ないはずの腕と足に微妙な痛みや違和感が生じたのも二年前と同じだった。)
ギターは金・土でBritney Spearsの"Everytime"とSavage Gardenの"This side of me"を歌った。けれどもまだトリミングに手をつけてもいない。編集作業にもわりと指を使うからかな。気持ちがついてこない。(ギターは弾きに出るくせにね。でも、雪以降はさすがにやめている。大きな物を持って移動するのも危険だし寒過ぎるから。)

そう言えば、土曜頃から何故か人差し指が痛い気がすると思い始めた。ものの、まあ気にはなるけど我慢できる範囲だし、という感じで無視していた。
その晩、キズパワーパッドの交換をする時、右手の内側?を観察していたら、
ふと人差し指の関節部分にも切り傷があることに気付いた。周囲は多少赤くなっていた。
何故それまで気付かなかったのかと本当に不思議だったんだけど、やはり特に薬指の傷に意識が集中していたのだろうと思う。そして、そちらの傷が幾分回復傾向に入り、痛みが引いてきたところでやっと、別の、より小さな傷や痛みに気付けるようになったのではと思った。
パットは残り枚数が少ないので大きめ一枚をカットして、薬指、小指、人差し指に貼ることにした(薬指の傷口はまだ開いていたけどおそらく無事に閉じていきそうな感じだった。小指の傷はだいぶ閉じかけていたけど中に痣ができていた。人差し指は普通のバンドエイドでも、というかそもそも貼らなくてもいいくらいだったけど、痛みがあるので念のため貼った)。

翌日、(前日の観察時に薬指も回復傾向だと思えたこともあり)そこまで水を避けずに洗い物などをするようになったら、たった1日でパッドが剥がれてきてしまった。カットして使った&傷口が関節部分で曲げた時に歪みが生じる関係だ思うんだけど、仕方ないので晩に新しいものへの交換と再観察を行った。
人差し指は痛みも引いたし傷もだいぶ塞がっていた。しかしそこで実は中指にもうっすら治りかけというかほぼ治った後の傷ができていたことに気が付いた。何故私はこうも自分の傷に気付けないのだろうか。節穴過ぎる。
薬指小指はまだパットが必要なので新しいものを当てた。そしてその後は無駄な交換をしなくて済むよう、やっぱり右手に水が当たるのを避け、ギクシャクした生活をしている。

腕や足の違和感は微妙に続いている。特に強いのは右腕(やっぱり直接的な患部と近いからだろう。二年前は注射針を刺された腕がしばらく一番痛かった)。

当たり前って、失ってみて初めて気付くんだよ。
前に自転車で派手に転んで打った足を引きずって歩いていた時には街中のちょっとした段差の多さに驚いたし、それに躓いたりしていた。重いスーツケースを転がしている時なんかには、段差だけでなく地面の窪みや陥没にタイヤがはまり込んで大変だったりもする。おそらく老化していくと同じようなことが日常になっていくんだろうなと、当時思ったんだった。
皆が皆、ずっと、若くて元気な何ともない状態でいられるわけではない。
若い時には元気でも年をとれば変わる。若くても、「何ともなくなる」こともある。

老化も含めて本当に避けられないことだったらある意味仕方ないとも思えるよ。でも、対策すれば避けられたはずのことを、無策でわざわざウェルカムしてその後長期間、下手したら一生引き摺らなきゃいけないって、不毛じゃない?

NatureかNurtureか、なんて言われることもあるけど、
私は「NatureもNurtureもある。そしてNatureの部分はなかなか変えられないけど、Nurtureのほうは、整える気があれば整えられるし、適切な形を模索していく中で、Natureの、それ単体ではどうにもしにくい部分も、ある程度、補完したり調整補正したりすることもできる、可能性がある。」と考えている。そしてそれには、理性的合理的なアプローチが不可欠になる。
一方「Natureの部分では生じなかった問題を、Nurtureやより広い環境が引き起こすこと」もある。教育に限らず、様々な環境下で起こる虐待差別ハラスメントなどあらゆる暴力、マルトリートもそうだけど、今の文脈で言えば、コロナ感染がまさにこれだよ。

ここ最近(具体的には昨日と今日)、信号待ちで「このドライバー大丈夫?」と思うことが相次いだ。両方とも信号無視。それも、青から赤への変更時に突っ切るというような形ですらなくて、目の前の車信号が赤で一度完全に停止している状態から、車信号は赤のまま、歩行者信号が青に変わったタイミングで、歩行者が横断歩道を渡り始めている状態で、昨日はタクシードライバー、今日は一般車が低速ながらも前進を始めた。目の前の車信号は完全に赤だし、目の前に歩行者がいるのにだよ?よりによって雪の日。ただでさえ慎重にならなきゃいけないはずなのに。
共通していたのは、いずれも多方向からの導線がある複雑な交差点だったということ。おそらく、どこかの歩行者信号が赤になるのを見ていて、変わったら自分は直進できると思い込んだのではと推測しているんだけど、それにしても、車信号が完全に赤で歩行者が普通に歩き始めている状態でアクセルを踏むって、どう考えてもヤバくない?轢く直前に止まるには止まったけどそれにしても。

私は今後、こういう判断ミスが車をはじめ電車や飛行機などでも、増えていくのではと見ている。これらはコロナ感染が引き起こした認知障害の一例だと思う(年始から続いている飛行機の衝突事故も、認知障害が絡んでいるのではと思っている)。
あらゆる乗り物で運転者が同じようなことを起こすようになれば、当然それに自分が巻き込まれるリスクも上がる。
一般的には、青信号になって自分が横断歩道を渡り始めたところで、それまで停止していた先頭車がわざわざ突っ込んでくるなんて思わないでしょ?でも、そんなことが起きてきているんだよ。

今やこの先はちょうど、JN.1で新たに重ねた複数回感染ガチャの結果が見え始める頃になる。これまで特に欧米諸国からは1、2度感染数が少なかったはずでそれにより複数回感染症例の顕在化が遅れていた日本にも、海外と同じことが起き始める。
すなわち、後遺症により長期欠席するStudents、休業退職を余儀なくされる労働者が、まずは人口の一割程度、おそらく年月を経て感染回数を重ねるごとに割合がさらに上がっていく形で出現する。
労働者不足だけでなく、上述の横断歩道、あるいは飛行機事故のような、認知機能障害によって起きる重大な事故だって増えるだろう。
これまで起きなかったこと、想定しなくても済んでいたようなことがしれっと起きるようになるし、これまでの前提なんて、呆気なく崩れ去るようになる。

全て杞憂であればいいんだけどね。さてどうなることでしょう?

連日悪夢に魘されてもがき抜け出るように起きることが続いている。右耳の中で変な音がすることも。嫌な感じだ。



部屋の外は今晩もまだこの状態。植木鉢まで行けない。

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