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Rosso

そう言えば昨日の鮮血の夢でまた思い出したことがある。去年(年度的には二年前か、もはや遥か昔のことに思える)の2月頃、私は初めての(私にしては)大きな怪我をした。わりと用心深い性質や運動とは無縁の日々のおかげか、それまで入院手術共に無縁の生活をしてきていたんだけれども、初の縫合処置を受けることとなった。

当時も退職と死が連日頭の中で渦巻いていたんだよな。今回のように確定はしなかったけど。

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この先、怪我や傷、血の描写があります。
苦手な方やフラッシュバックを起こす可能性がある方はお戻りください。
(現に私が今書きながらのフラッシュバック状態で危険。大した描写は無いはずなんだけど。)
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その日は自転車で1時間くらいの場所へ遠出をしていて(職場の環境によってノーマスク人間への恐怖及び嫌悪が強くなり既に電車にもうほとんど乗れなくなっていた)、用事を済ませた帰りのことだった。

開かずの踏み切りがしまりかけているのを、この時間帯だと絶対次は時間がかかる、寒いしキツいと思ってギリギリ抜け切ろうとスピードを上げて通っていた、ところで勢いよく踏み切りに左手がぶつかってしまった。

「あ、当たったな」とは思ったんだけど、ちょっと痛いかなくらいの感覚で(暗くて傷口も見えないし)そのまま走っていて、でも途中のわりと大きな駅まで来たところで傷口は洗っておこうと自転車を停め、駅ビルに入ろうとした。しかし、明かりが当たって仰天した。夥しい出血があり、とてもそのまま中に入れる状態では無かった。仕方ないので、とりあえず持っていた緑茶で傷口を濯ぐ。しかしみるみるまた血が流れ出てくる。というか滴り落ちているレベルだ。左ハンドルも悲惨なことになっていた。これは止血をしなければならない、只事ではない。持っていたティッシュを傷口に当て、タオルをその上から巻いた。
そしてビルに入る。とりあえずトイレと水道を探そう、しかしこの駅はいつも乗り換えだけで改札外に出たことが無い、場所がわからない、どうしよう、、
そうして歩いていたら突然ぐらっと来た。これはまずいやつだと直感した。おそらく出血が多すぎてショック状態で血圧が下がっている。しゃがみ込みつつそう判断しながらもどうすればいいのかがわからない。
こんな血まみれでは人に話しかけることもできない。とりあえず周りに座る場所は?、、見つからない。外にはベンチがあった気がする。
よろよろと外へ出る。暗ければ血も目立たないだろうと思いながら。
ここで一度記憶が途切れているんだけど、きっとしばらく休んで多少落ち着いたんだろう。私は再びビルへ入り、見つけたトイレで傷口を洗おうとして絶句した。それまでずっと小指として疑ってこなかったものが切れた肉になっていた。初めて自分の骨を見た。気持ち悪い。(今もこれを書いていて吐きそうになっている。)
そこでまた記憶は飛んでいる。しかし私はなんとその後30分以上自転車をこぎ、しかも途中(今度はいつもの街)で食材の買い物までして帰宅した。今度は知っているきれいなトイレで再び傷口やタオルを洗って。しかし、応急処置セットを買ったり病院へ行ったりするという発想は全く出なかった。

家へ戻って途方に暮れた。とりあえず洗って消毒しオーガニックコットンを何重にも当て、上のものを都度取り替えていた。しかし帰宅後一時間経っても出血は続いている、止まる気配が無い、これはもしかして出血多量で死ぬやつなのでは、これは自ら行ったことはなく不可抗力である、だから、、等と働かない頭でぼんやり思う。これで終われるのだろうか。しかし終われなかったら?ただ指を失うことになる?

病院?休日だし夜間だし、開いているところも信頼できるところもわからない。第一感染リスクが高い。救急車?使ったことがないし頼んでいいものなのかわからない。そして病院に搬送されると感染リスクが高い。

とにかくもっと強く固定して押さえなければ、、しかし一人&片手ではどうにもできない。

しばらく後、近場にお住まいの信用できる(勿論日頃きちんと感染対策をしている)同僚のお宅へ固定をお願いに伺った。(もはや自力で形が維持できない状態だったので)オーガニックコットン層を絶対に動かさずに、形を崩さずにテープで巻いて欲しいと依頼した。

同僚宅内でも帰宅時にも何度も病院へ行くようにと言われた。けれども私は結局そのまま自宅へ戻り、左手をお菓子のかたいプラスチック袋に包みゴムで固定した上で慎重にシャワーまで浴び、バルタン星人のように左手を立てたまま力なく横たわり、眠れぬ夜を過ごした。

あわよくば、寝て起きた時には血が止まっていれば、あるいはもう起きることがなければと思っていた。
しかし明け方まで眠ることはできず、日が昇るか昇らないかくらいの頃から一瞬(一時間弱)意識を失ったんだけど、起きておそるおそるコットン交換を試みるも、勢いは弱くなっているものの依然として血が湧いてきている状態であると判明して絶句した。血って乾いて止まるもんじゃなかったの?何で?

死ぬこともできないのにこれでは指を失う、あるいは身体へのダメージが嵩むだけで不毛である。

そして私は夜明けと共に病院へ行くことにした。

この状態で行ける、近場の、その日開いている(総合病院は感染リスクが高いから)小規模な街の医院を検索し、開院の一時間前くらいからならもしかしたら繋がるかもしれないと片っ端から電話をかけた。
しかし、形成外科には皮膚科にしろと言われ、皮膚科にはうちは違うと言われる。すぐ歩いて行ける場所に適当なところは無かった。
検索範囲を拡大する。するといつも自転車で買い物へ行くエリアで、完全予約制とあるのは気になるものの、受付内容的に対応してもらえそうなところを見つけた。現状予約がないのはネックだが、完全予約制ところであれば無駄な混雑もなく感染リスクを軽減できそれはメリットだ。電話をかけ、予約をしていないのだけれどもおそらく急ぎで縫合が必要な状態の傷があると伝えると、なんとか調整をしていただけた。良かった。当時はコロナ関係で大幅に仕事を減らしていた時期だったので、その日出勤の必要が無かったのも幸いした。すぐ午前中に診ていただけることになった。

冷たい雨か雪の降る日だった。この状態では自転車は無理だし(前日散々自転車を漕いで帰ってきたくせに)感染リスクがあるからバスにも乗れないと、結局体調的に1時間以上、傘をさしとぼとぼと歩いて病院へ行った。傷口が濡れないよう、それからとても手袋なんてできる状態ではなかったので、またお菓子の外装プラスチック袋に左手を包んで。

対応してくださった院長先生はサバサバした女医さんだった。まず怒られた。何故緊急外来へ行かなかったのかと。言葉に詰まる。院長先生は怒りながらもテキパキと状況説明と処置をしてくださり、縫合と固定を済ませ、その前だったか後だったかももはやあやふやだけど腕に破傷風のワクチンを打ってその日の診察は終わった。
初めての縫合は、私は針も苦手だしどうなることかと思っていたんだけれども、それよりも自分の身体の一部がただの肉塊と化した状況へのショックのほうが遥かに大きく、「ああ何か縫われていますね」的に遠くから眺めているような感じであまり切迫したものではなかった。
興味深いことに、縫合前は痛みを感じることはほとんど無かったのだけれども、治療後は「痛い」と思うようになっていった。理由はよくわからない。

幸い、指が失われることは無かった。けれども、傷が消えることはない。

そして、今はなんとか動くようになったんだけれども、固定&絶対安静状態でしばらく過ごしていた結果、組織がくっついて固定を解けるようになった直後は、何と小指を全く動かせなくなっていたのだ。

驚愕した。傷のせいなのか、それともしばらく使わなかったせいなのか。そこに形はあるのに、まったく意思が通じない。自分の身体であるはずなのに、それまで難なく動いていたものが。せっかくあっても使えないのなら意味がないではないか。

激しく混乱した。固定を解いて数日後に再び予約をとり、院長先生に聞いてみると、予後は順調で病院での治療も通院ももう必要ないとのこと(自宅で傷パッドの交換はしばらく続ける必要があった)。動かないことについては焦りすぎないほうがいい、ゆっくりほぐしていったり右手で強制的に?動かしてみたり曲げてみたりするといいとのこと(ただ、関節が固まってしまうとその後動かなくなるかももも言われた。対策への具体的なHow to無きままに)。そしてせっかく来たんだから卒業記念?にとバンドエイドか何かをもらって帰宅となった。

くしゃくしゃになっているけど、最後の診察時に院長先生が書いたメモが見つかった。
裏というか(元々の表?)はこんなの。怪我や火傷関連だけでなく美容系の施術も行なっている医院だった。他の人の会計支払いが数万単位のものが続いていて私は一体どうなるんだろうと思っていたんだけど、保険適用だったから縫合も数千円で済んだ。
はからずデータ化されたので、この紙とももうサヨナラしよう。


絶望した。ご説明と自身の認識の間の乖離が大き過ぎる。この物体はいったい何なのだろう?再び意思と繋がる日は訪れるのか?それとも。
しかし送り出されてしまったのだからもう仕方ない。外科的にはもうできることが無いということなのだろう。

そしてその後自分でひたすらリハビリを試みた。
まずはアドバイスにあったように右手でゆっくりほぐしたり、前後左右にと折ったりずらしてみたり、第一関節、第二関節、と順にゆっくり曲げてみたり、あとはそれまで小指を庇って左手の特に左側は使わないようにしていたんだけれども、意識して通常運転に戻した。結果、(命じても小指の反応がないから)物を落としたりお皿を割ったりと散々だった。関節もかたまっていて、右手で強制的に曲げようとしているのに動く範囲が極めて限られていた。焦った。けれども少しずつ、気温も上がって春の気配が感じられるかなというくらいの頃から、本当に少しずつ、ただの物体が身体に繋がる感覚が得られるようになった。今度はうまくいかなくても積極的に使っていく方向にした。そして徐々に負荷を上げつつ数ヶ月、地道にリハビリをしたかな(そう言えばこの頃、リハビリのためにギターでも始めようかと思っていたんだった)。

初めは重く古い扉が軋みながらゆっくり動くような感じでしか動かせなかった小指は徐々に感覚を取り戻していき、おそらく9割方は機能が回復したように思う。
自分の身体がただの肉片や物体と化し、全くどうにもならなかったり意思と切り離されていたりという感覚は衝撃だったけれども、それを体験できたのはある意味価値のあることだったのかもとも思う。指がただの肉や物体から身体の一部に回復していった過程を体感できたことも。

端から見れば、テーピングや傷パッドが取れれば怪我は治ったと映るのだろう。くっついたように見えて全くいうことをきかない状態がそこにあるなんて、外側からはとても見えない。しかし内側からすると大問題である。それが伝わらないことも含めて。

パワーハラスメントだって、わかりやすい暴言や罵倒、超過勤務等であればまだ認知されやすいのだろう。しかし、パワーバランスがある中での、そういう直接的なものではない、日常の中に巧妙に組み込まれている嫌がらせの連続やそれが成立しまかり通ってしまう構造については、どんなに説明をしても顧みられることが無かった。ただただ残念だった。対策システムがある中ですらそうなのだから、世の中には見逃されている暴力や理不尽が無数に存在しているのだろう。見えにくい虐待と全く同じように。由々しきことである。


しかしやっぱり私は色々な感覚が死んでいると改めて思う。生育環境がアレだったせいか、自分のつらさ苦しさや痛みは半ば自己防衛的に麻痺して感じ取れないことが多い(代わりに自分以外の傷や背景には気付きやすい)。そして特に自分を救う方向での発想が出てこないかそれを拒絶する傾向が強い。セルフハームやネグレクトが完全に板についている。

別の判断力が生きている状態で、通常ならあり得ない選択をひたすらしていたよなと、そして何故それで通せてしまっているのかと、上記の過程を書きながら思った。出血多量のまま長時間自転車を漕ぎ続けるとか、生傷を抱えながらの極度な睡眠不足の後、寒く傘をささなければいけない状態で一時間以上歩き続けるとか。勿論、変なところで自転車を置いて帰ってしまったらまた取りに来なければいけないとか、そもそもノーマスクがいる電車やバスには乗れないとか、理由はあると言えばあるんだけれども。なまじ基本が丈夫だからそうできてしまうのだけれども。

メリットがデメリットなんだよな。そして理解されることもない。人は見えやすいところや持っている物ばかりに注目する。

だから、何か、何があっても全て覆い隠して平然を装って過ごすことがデフォルトで身に付いてしまっている。頭の中とは全く別に微笑むことができてしまう。崩れるほんの一瞬前まで。

同じように、きっと直前まで普通にしていて出発するのだろう。

私は血は嫌いだ。見たくない。気持ち悪い。

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