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2020〜2021年度の概要

2020年 秋の校内感染者情報の隠蔽2021年 感染対策について行政部への問い合わせ、問い合わせ後の(感染リスクの高い1年現代文)断り、私学共済有で業務確認後の私学共済脱退通知、法人人事部とのやり取り、大学内業務との兼務で資格維持、行政部及び科とのやり取りを経ての2022年度時間割について等。
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帰国子女受け入れ校である元所属(高校基督教大学高等学校、通称ICU高校、ICUハイ、ICUHS)「人権」や「多様性」を謳っているはずの国際基督教大学(通称ICU)法人における感染対策にかかるパワハラ追い出しとハラスメント対策の機能不全について全体的なことはFrom middle of nowhereへ。
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以下、人権委員会への再々申立書より。

オンライン授業期間中に研究室でノーマスクだったのは翌年度からの教頭(2020年度→2021年度で教頭の変更あり)

「リスクの高い中の〜(嫌なら出て行け)」は2020年度の教頭の発言。しかしこのような視点は行政部が変わってもその後の対応が一貫していたところからも「人」のみではなく「組織」「集団」の特性であると判断される。

人権委員会には2020年度の段階で理不尽なことがあると認識しており、特に感染者情報の隠蔽、「嫌なら出て行け」(暴力、パワハラ)、私学共済脱退については重大なもので、尊厳を踏み躙られていると感じてきたと何度も伝えてきた。(しかし、本件は「人権」の問題ではないというのが「人権委員会」の判断であった。)感染対策が薄いことに対する恐怖についても何度も言及されている。


補足で以下、当該時期に同僚の先生方と交わしていたやりとり(自分のもののみ)。
マスキング加工の手間を省くため、電話帳の登録を変えてお名前を変更している。その他は変更していない(というよりできない)。

2021年2月の問い合わせ後、「嫌なら出て行け」を受けて。「改めて」なので、以前からそのように感じるところがあったというのがわかる。行政部には科主任より書面を渡していただいた。教頭からのメールは科主任や事務職員にもCCで回っていた。

2020年秋、非常勤に対する感染者情報隠蔽について、同僚の先生に確認。

隠蔽について、別の先生にも確認している。

行政部が感染について非常勤に送信したメールの内容からは、感染者を絞れなかった。その後「勘違い」で済まされた。

2020年度の段階で思っていたよりも切実に身の危険を感じていたらしい。「命」について言及している。この時点で生死の問題がチラついていた模様。

この頃までに団塊世代の定年等で専任が大きく入れ替わり、組織集団内の性質が非常に均質化した(権威主義官僚主義的で価値観の多様性に欠け異質さを排除する、メインストリーム(自分達、仲間)に都合の良いシステムが優先される傾向が強まった)。

「勘違い」を元に諸々行っていてそれで何かが起きたとしても非常勤の側からは検証ができないこと、一貫した情報の遮断は理不尽であると共に特に感染対策と絡むと直接的なリスクとなるとはっきり身の危険を感じ、授業の大半を断った。

既にこの頃からインパールさせられていると思っていたんだな、、

一貫して、非常勤には情報を隠す組織だった。

私学共済脱退通知を受けて。業務確認書の存在をこちらから人事部に伝えなければ、隠蔽されそのまま押し切られてしまっただろうと思う。書類の手続きもしているのに「お気持ち」だけで不合理を通せると強行してしまう組織、圧政、独裁状態は危険。

行政部は全く聞く耳持たずだったが、人事部は書類のやり取りを確認してくださりおそらく重く見てくださった。担当の方には感謝している。

私学共済を脱退させられるのならば退職するつもりだった。

年度が切り替わり出勤初日(入学式)直前になっても埒があかない状態だった。

人事部の方は真摯に対応してくださった。時間割設定は秋から科の専任が行うものなのに、春の時点で次年度のコマ数が回復しないと決定しているのは不可解であり、かつ、時間割設定する科の専任(主任)がそのことを知らないというのも不可解。

本来の時間割設定とは別の次元で動いているものがあると判断した。主任に連絡した上で入学式は欠席した(主任は年度ごとの持ち回り制なので前年度から変わっている)。

断った授業だって、危険な環境でなければ勿論持ちたかった。そして、この授業を断ったことで、翌年持つことになった(本来私が1年を担当しておくべきだった)生徒達が非常に苦しむことになったと後で知った

立場の差を利用し不合理な対応や判断を押し通す強固な姿勢は、コロナに対しても、共済の件でも、2023年度の時間割でも一貫していた組織の特性であった。

校内の環境、リスクを常に強く懸念していた。

入学式を欠席したことでご連絡いただいた先生への返信。

この時点では6月末まで共済の異動手続きは保留するからその後脱退せよと言われていた。こちらとしては業務確認済の「3コマ共済あり」の範囲内で(その期間は)業務を行い、合意した契約が無くなったら退職で対応するつもりだった。

対外的に主張している「万全の対策」と現実との落差にいつも失望させられていた。ノーガードの自分の感染はご自由に、だが、他人に感染させることを何とも思わないこと、それでいて「万全の対策」を主張すること。この姿勢が全てに通底している。

国語科や私の担当について。この年の1年生を断ってしまったこと、それが生徒達に大きな影響を与えてしまったことについては悔やんでも悔やみきれない。

校内で何をしても無駄だと強く感じていた模様。良心は大学にしか期待できないと思っていた。「最低限の尊厳をふみにじられて」いると認識している。

組織が「である」の世界であると認識している。あの一族と同じ構造を見ている。

思ったよりも追い詰められていた模様。トーンがきつい。(もうお会いすることはないけど、先生すみませんでした。)

やっぱりだいぶ辛辣でトーンがきつい。。(同じく、もうお会いすることはないけれど、先生もすみませんでした。)

この時点で既にノーマスクへの恐怖や嫌悪がかなり強くなっていたんだな。「万全の対策」を主張しながら、外から見えないところではノーマスク、換気もしない専任達の「ホーム」に「いさせてやっている」のに「嫌なら出てけ」の姿勢を理不尽で暴力的だと感じ、立場の弱い非常勤がどうしようもないことに怒りを感じ、「殺される」と感じる等、追い詰められていた模様。

2021年度の授業は、元々関係ができている生徒と&少人数なので、恐怖は無かった。生徒とは教室の環境について話し合い、必ず窓&ドアを開けて換気した上で双方共にマスク着用の上、距離もとって発話も行った。

私学共済については、人事部が対応してくださり、大学内の業務と組み合わせて維持できることになったので、6月末の退職は免れられた。

大学内の勤務は、勤務部署の方にご配慮いただき、恐怖なく行えた。大学は元所属とは異なり、(2021年当時は)平気でノーマスクでいていい雰囲気はなく、基本的に職員の方はマスクを着けていらしたし、私はさらに人の多いところから離れて、ほぼ人が入ってこない窓に近い場所で窓を開けて作業させていただいていた。

一方、元所属の校内環境、特に専任のノーマスク、研究室の無換気には「万全の対策」を主張している2020年度から一貫して、強い恐怖を感じており、それを学校や専任(や人権委員会)に伝えてもいた(が、顧みられることは一切無かった。)

なお、元所属と大学は別組織であり、感染症対策においても別々の方針で動いていた(度々言及されているノーガード、ノーマスク、インパールは当時の大学の対策、職員の方々に向けたものではない)ということは明確にしておくべきだろう。

大学では主に政府の緊急事態宣言などの発令に応じたステージが設定、公開されており(私のレベルの警戒度からすれば安心できるものではなかったが、それでもある程度は理解できるものではあった)、常勤でなくても組織がどのような状況判断をしてどうあろうとしているのかが把握でき、良かった(元所属は明確な指針も無いまま場当たり的に決められたこと有無を言わさず呑めというのが常だった)。
また、ステージ設定が動く時など、適宜、学長からのメッセージが発信されていたのもとても良かった。全ての人のニーズにマッチすることなどない環境作りではあるけれども、それでも、大学はあなた方のことを見て考えていますよ、というのが伝わるメッセージで、ことばの力を感じるものだった(密かに楽しみにしていた)。元所属は常に、一方的絶対的な上意下達体制だった。

自分でここまでだったとは意識していなかったのだが、今回、同僚の先生方とのメール文面を見直して、2021年はじめの段階で、既にはっきりと身の危険を感じていてだいぶ追い詰められていたことに気付いた(刃物襲撃のフラッシュバックはまだだと思うけど)。
おそらく「嫌なら出て行け」の段階で退職(無期雇用の喪失)が浮かび、その後、私学共済という生活の基盤も剥奪されかけたので、長年必死で遠くに追いやっていた生死の問題が浮上してしまっていたのだろう(当人の認識では、それは2022年2月の小指を失いかけた怪我の頃だろうと思っていた。)

ちなみに↑のメールの心境でどうして残り2年間働けたのかって不思議に思われるかもしれないんだけど、それが平気でできてしまうところが重度のアダルトチルドレンのこわさ。
重度のアダルトチルドレンも色々だし、(私は被虐待者としてもアダルトチルドレンとしても色々外れ値ばかりの組み合わせでこうなってしまったところがあるので決して一般化はできないんだけど、)私の場合は物心ついた時から純粋な自分のお気持ち等、存在しようが無くて(無条件に甘やかされ猫可愛がりされる弟とは対照的に、非常に抑圧が強い、指令指定強制だらけで個を全否定される環境だった)
、常に自分の内面と自分がなすべきことは乖離しており、絶えず自らをモニターする自分がいて、外に見せるべき自分を演出していたし、家で何があろうと何をされようと、切り離して外へ出た(おそらく生存戦略)。自分には自分しかいない、誰のことも何も信じない状態だから能面鉄仮面が板についているし、一方必要な場合にはピエロにもなれるし、自身の痛みや傷への感覚は麻痺している。自分で全て賄うしかないから、そのための無理もきく。
お気持ちなんて沼に沈めて、快も不快も関係なく、とにかく、できてしまうんだよ。それが当たり前だったしそうするしかなかった。おそろしいよね。

でも一方これは、継続的な加害に曝されずに済む可能性がある場がある時にしか成立し得なくて、何故ならそうして、加害を免れ、離れて生存するための方策だったから。
どこにも逃れる地が無ければ、全て失われる。

もう危険を避けられる場は無い。


行政部、人事部とのやり取りの書面、メール内容等は、
References in AY2020
References in AY2021
にアップロードされる。

翌年度のことは
2022年度の概要
2023年度の時間割について
全体的なことは
From middle of nowhere
人権委員会申立書
に置いてある。


2020〜2021年度の概要
  References in AY2020
  References in AY2021
2022年度の概要
  References in AY2022
  2023年度の時間割について(行政部文書と返答)
  人権委員会申立書
From middle of nowhere
人権委員会不受理後

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