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2023年度の時間割について(行政部文書と返答ー致命的な「不対話」)

専任による「(校の感染症対策に異をとなえ、積極的にPRしている帰国子女受け入れ校における日本語支援の不足を指摘する日本語科非常勤講師=)組織の敵を辞めさせるため」の時間割設定指定→筆者の拒否(&人権委員会手続き)→以下の行政部文書が出てくるまでの過程は2022年度の概要、元所属や法人について、全体的なことはFrom middle of nowhereへ。へ。

①3月2日付(6日配達 8日受) 行政部より

2月中に何度も断っているにもかかわらず、日本語科にL4(4レベル制の一番基礎)ですらですらなくL3(一個上のレベル)を持て、組織の決定に従えというお達し。L4は日本語教員養成を受けていない普通の国語科教員が持てるという認識でいる(+追い出す意図を持って組んだ)からこのようなことになる、上に、授業が機能不全を起こし生徒が傷付いた。

①R 3月9日 行政部文書への回答

当初はL3指定=現代文が3レベル制になったのかと思ったのだが、そうですらないことに驚愕した。それ以前に唯一の日本語科教員に日本語演習を持たせず、日本語教員養成を経ていない国語科教員に割り当てるなど、言語道断。国語の視点のみで生徒のニーズや能力も測ることができないからこそ「やれている・できる気」になっていることが明らか。
マスク、人数(クラスサイズ)については2020年から何度も伝えてきた点。クラスサイズを下げることも感染対策も見込めないと2021年は1年現代文を断り、2022年度についてもクラスサイズの大きな授業は持てないと科が時間割を作る前に伝えている。

②3月10日付(12日受) 行政部より(人事部から問い合わせた人権委員会申立書内の確認事項の一部)

問い合わせの質問(人権委員会申立書①3枚目)に全く答えていない。関係ないことに紙面の大半を割いている。=質問が読めていないか意図的に逸らしているかそれにすら気付いていないか。このような徹底的無視、不対話の姿勢は「である」の世界の特質。そしてそのような世界では認知も歪むし簡単に事実も歪められる。
建学の精神や日頃の広報に合った実践がなされているのか甚だ疑問である。日本語支援も、対話も、多様性も、実態はこの通り。全て「おつもり」のみで中身が無い。

②R 3月11日 回答

質問と噛み合わない「お気持ち」「ご都合」部分が大半だったので、対応させた上で反論。
日本語演習を持たせない理由についてスルーしたのは、「お気持ち」以外の合理的な理由が無いからだろう。
ノーマスクの巣窟で恐怖を感じている生徒や必死に自分は対策をしていたのに周りのノーガードに感染させられてしまった生徒が2023年度に出たことだろう。嘆かわしい。

②R2 3月13日 翌日の科会までにはっきりさせる必要があるため、人事部に問い合わせ内容を伝えた後、回答を待てずに想定して作成

質問をしても逸らされることがわかっていたので、それも込みで予めこちらから推定したことを記載している形。
発話が多い授業だからこそマスクもクラスサイズを適正化することも必要なのに、全く顧みられなかった。発話機会を作ることも含め、ニーズが見えないのか、見ないのか、見た上で「無いことにして」いるのか。これが対話が行える、成立する環境か。
日本語教育の知見は、クラスサイズのことも含め、それまでに求められ伝えても無視されてきた。都合のよい時にだけ利用し、形だけ「助言」「チーム」等と言いながら気に食わないことは逸らし、挙句、その専門性を一番発揮すべき授業に当人を配置せず、それがおかしいと問われてもさらにかわす。見事に一貫した対応ぶりであった。
「国語」と「日本語」が全然違うということが、「国語」の目しか持たない者には伝わらない。伝えても一向に受け止められない。それでいて生徒の多様性、「日本語」の困難さを受け止められると思っている。信じられない。
プレースメントテストだけでは測れない生徒の生育言語背景、得意な言語での知識学力、そういったものを授業内の「対話」で引き出して掴んで、私はアプローチを調整していた。知っていることも、話したいこともたくさん持っている子達だから、非常に活発な(時々うるさすぎる)クラスだった。2020年度までは。

③3月13日 行政部より(同日に渡した文書については【読 ん だ だ け】)

前提が適切でない場合、その後の全てがひっくり返るというのは論理の基本。「こととした」結果がおかしいのは、前提から歪んでおり且つ合理的な裏付けもなく「ことにした」から。
論理、合理的に説明しえないから、徹底的に逸らし避け続けたのだろう。きちんと説明できる、やましいところがないなら正面から対応すればいい。

この後、3月14日に「担当できる業務がありませんので、契約の更新は行えません。」を提出することとなった。
「である」の世界、人間の中で理不尽や暴力の連鎖が起きるのは必然。変わることも見込みも一切無いのだから。


なお、クラスサイズについては、以前國枝先生がツイートしていらしたことに深く共感した。

國枝孝弘先生は、私が昔、テレビでフランス語講座を見ていた時にご担当だった先生。

特に「語学」の側面もある位置付けの授業において、頑なに大人数を改善しないことに固執する理由が全くわからない。よりによって「日本語支援」をアピールして帰国/入国時の日本語能力を問わず生徒を受け入れている状況において。

私がコロナ感染リスクとの兼ね合いで提案したのは、理想は2×5配列の10名、それは難しいだろうから3×5の15名までだった。

それを大きく越える人数でこのクラスの授業が行えると思えるのは、
言語運用能力的な負荷がある、(得意な言語のように)カリキュラム内容の伝達がスムースにいくわけではない状況において、
一方的な、教師にとって効率的な講義・教師が多く話すスタイルを優先し、個々の状況や能力差を踏まえた調整や相手側からのアウトプットの必要性をはじめから見ていないのか、
あるいは見た上で無視しているから
であろう。

見えない、見ない、かわす。
できている、問題ない、できる。

非常勤に向いた自分達の「お気持ち」「ご都合」以外を一切否定する「である」の世界の性質は、生徒にも向いているんだよ。
徹底した無理解、無配慮、切り捨て、排除。
さすがに生徒に対しては意図的ではないと、思ってはいるけれども。しかし、いくら取り繕ったところで、染み付いた姿勢は滲み出て露呈していく。

移すつもりがあってもなくても感染は起きるし、形だけ辞めさせるつもりはなかったとか日本語演習を持たせない意図は無かったなど言っても、それを裏付けられる合理的な根拠がどこにも無い(逆に辞めさせる意図と繋がる事実のみが積み上がっている)。

私は「である」の人間や組織の性質について吐くほど知っているから、ハイハイ今度はそう来ましたかと気付くし笑っていられるけど、ただでさえ自分の日本語能力に引け目を感じている(そんな風に感じる必要なんか全然無いんだけど、国語のみの視点からはそのことを伝えてもいないのだろう)生徒達は、(必要な手当てを受けられなくて)うまく伸びないことも「自分のせいだ」「自分が悪いのかな」と思ってしまうようになる。伝えても伝わらない、無駄だって思ったら口をつぐむようになる。学習性無気力を作り出すことになる。
きちんと対応すれば大きな伸び代を持つ子達の芽をみすみす摘み続けるなんて、不誠実だし理不尽以外の何物でも無い。

校名については現在は伏せている状態だが、その時には全て開く。そして各所へ繋ぐ。
既に私はいないが、当事者(入学を検討なさっているお子さん、ご家族、中学、インターや補習校、チューターの方や、現役生及び保護者の方、同窓生)及び関連業界(日本語教育、継承語教育、国際理解教育等)、非常勤講師等の方々に、よく検証していただければと思う。

ちなみに、以下の論文が「発話」を伴う授業内の環境を考える上で非常に参考になる。興味のある方は是非ご一読を。
お気持ちではなく、科学と論理で合理的な対策ができる組織があればどれだけ良かったことだろうか。

「卒業式や入学式における新型コロナウイルスの感染リスク評価」保高ら著
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjra/33/4/33_O-23-001/_pdf/-char/ja
全員マスク着用が大幅なリスク軽減になる。座席距離も広い方がリスクを下げられる。

つまり、「発話の多い」L4の授業環境として私が求めた「マスク着用」、人数調整&席間の距離確保は、リスク軽減のための合理的な方策であったと言える。

全時間全員のマスク着用で感染リスク約90%減。


2020〜2021年度の概要
  References in AY2020
  References in AY2021
2022年度の概要
  References in AY2022
  2023年度の時間割について(行政部文書と返答)
  人権委員会申立書
From middle of nowhere
人権委員会不受理後


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