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Ending

will be announced when files are ready.

Take care. Live healthily.



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帰国子女受け入れ校である元所属(高校基督教大学高等学校、通称ICU高校、ICUハイ、ICUHS)「人権」や「多様性」を謳っているはずの国際基督教大学(通称ICU)法人における感染対策にかかるパワハラ追い出しとハラスメント対策の機能不全について全体的なことはFrom middle of nowhereへ。
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on a day in April

太宰治が入水した玉川上水。当時のふんだんな流量は今は無い。橋の近くに太宰の幽霊が出るらしいという都市伝説を聞き、夜中に彷徨っていた頃、会えないものかとよく通ったんだけど、結局一度も会えなかった。冷めた現実主義者には霊感は皆無らしい。

少し前に漫画家が栃木のダムに身を投げたけれども、そこは確かそれ以前にも発達障害の診断を受け絶望ながら自転車で日本一周した人が飛んだ場所でもあった気がする。水に溺れるのは苦しい気がするし、私はダムは考えなかった。勿論、私の方法でも苦痛なくきれいに終われることなんかないんだけれどもね。

報道直後は盛り上がっていた人々も、もうあっという間に、原作改変の問題なんてきれいさっぱり忘れている。大衆なんて所詮そんなもんだ。

それでも、宝塚の件は死亡から一年以上経ってから動きがあったり志望者が減ったりと、形に現れることが出てきたりしてもいる。
どうせ終わるなら、少しでもポジティブな可能性へ繋がったほうがいいよね。



on a day in June

ギターを失ってから運動量が極端に減り、外へ出る時間のための調整も無くなったので完全に時の感覚が崩れた。相変わらず不眠は不眠で朝の5時頃から1時間おきに気を失っては起きを数度、後は書こうと思いながらも気分が悪くなるをひたすら繰り返す日々(今は日が長い時期なので4時過ぎには明るくなってくる。明るくなってくると流石に眠らなければと血糖値スパイク利用態勢に入る。ひとしきり食べると少しだけ気を失える。)
おかげで書き残すものも全く進まずこんな時期になってしまった。これでは山も気温が上がり過ぎて当初の場所や方法は適さなくなったから調整が必要である。

なかなか思う通りに事が運ばないのが常だが、全く何もしていなかったわけではなく、最終的にはここを周知する必要があるので4月以降は少しずつTwitterを始動させている(やはり拡散力はTwitterが強い。良くも悪くもだけど)。しっかり「自己責任」させていただくわけだからね。無駄にはしない。私は無駄が大嫌いだ。

うっかり誤削除してしまったのだが、学校の感染対策に関する投稿がゆるプチバズし一週間程でじわじわ確か7万views位はいっていた(いいねリツイートも常にじゃんじゃん通知が来ていて訳がわからない状態だった、消すつもりがなかったので数をきちんと見ておらず思い出せないのも残念)ので、学校や教師のノーガードぶりに不安を感じている親子がそれだけ多いということだろう。実に痛ましい。

私は「パワハラ追い出し」の結果、5類の後も推定未感染でいることができている。もしあのノーガードの中にいたら、これまでに3、4回は感染させられていたことだろう。
感染3回で長期障害4割。パンデミック初期の感染抑え込みに比較的成功していた日本も4月からの波で(それなりの感染対策をしていた者含め)3回を超えた層が大半だろう(長時間同空間で他人と滞在せざるを得ない学校職場がノーガード化したら無理なのだ。空気感染するのだから)。そろそろ欧米と同じように長期障害(→就業や学業が困難になる等)の問題が顕在化してくるノーガードには「個人の判断」の結果なので当然のことだが、必死に対策をしていたのにノーガードに感染させられた方々が本当に居た堪れない。理不尽や暴力が罷り通る社会は美しすぎるので私は"new day"を選択する。まさしく「自己責任」で、しっかりとね。

"I believe in karma, what you give is what you get returned."

ひたすら食べては蹲ってを繰り返すのみなので腹回りに着々と肉がつき、流石に見苦しいから運動でもと久しぶりに自転車で遠出をした。目的地はかつて通っていたところとは別だったんだけど、慣れない地で道に迷い、仕方ないから遠回りになっても知っている道から帰ろうと馴染みの道へ出た。
ああ、そうだこの踏切の音。JRより音が低くて少しくすんだ感じだったな。とか、この下り坂の中にある信号が赤になるとイラッとしてたな。とか、ひたすら通りを走るから交差点名(?)の標識であとどれ位ってカウントして気合い入れてたな。とか、思い出した。

思い出したというのはそれらが全て今とは切り離された過去だったということの証で、思えばもう1年以上も経ったのかと、ぼんやり思った。

左小指を失いかけた踏切は通らなかったけど(近くは通ったんだけど、そこまでは行かなかった。だいたいの方角を見て適当に走っていたんだけど、謎感覚が回避したのかもしれない)、途中で失神しかけたり傷口を洗ったりした駅とか、脇に見ながら走り、この1年が錯綜し、全ては無駄だったと再認識。

『山月記』の李徴は、「どうして自分はになったんだろう」が「どうして自分は人間だったんだろう」に変わったと言及していたはずだけれど(もはや原文を参照する気も起きない)、同じように、もう勤労していた日々もSanctuaryがあった日々も遥か彼方、思い出せない。私はお気持ちで動くのではなく冷めた現実主義者なので、あくまで現実に適応し、淡々とすべきことを済ませて去ろうと気を新たにした。
そして、最後まで積極的周知はしないものの、法人名(国際基督大学法人)の解禁&文字打ち込みを開始し、なんらかの理由により情報を求め検索して訪問した方には現状が届く形をとることにした(積極的加害者である元所属(高校基督教大学高等学校、通称ICU高校、ICUハイ、ICUHS)については、そここそまず公開すべきなのだろうが、名称を打ち込みで目にするだけでも吐き気がするので極力見たくなく、必要最小限の形になっている)。
パワハラや人権にしろ日本語問題その他にしろ、特に志望者には必要な情報であろうから。素材は置いておいて判断はその方にしていただければいい。批判的思考をもとに、きちんと検証の上でね。私はきちんと検証されることを望んでいたし望んでいる。残念ながら、法人は向き合わず揉み消し「無かったことにして解決」とした。しかしそれでは全く解決になっていない。私が私である限り、法人は取り合わないのだから、私を滅する。そして死後に、今後を生きる人々が、その人々の生のためにここにある様々素材を活用してくだされば、私がここまで生きてきてしまったことにも、死ぬことにも、意味が生まれる。
しかし特に今は国語科の公募が出ているから、この件について急ぎ記載しなければと思っている。被害者を増やさないために。

→国語科公募の件、追加した。

都内は本当に和菓子の生菓子を買える場所が少ない。京都であれば食べたいと思えばすぐ水無月を買えるのに。
だけどもう葵祭も見送ったし祇園祭にも行かない。
京都も過去。全ては過ぎ去ったもの。手放して解放されよう。

私は多分幸せだったんだと思う。自分で選べるし、その術もある。
生きたいのに生きられないより、心身や認知が蝕まれて終わるより、勿論随分年はとったけど、充分に独りで自分を保てている状態で納得の上、責任を持って閉じられる。
子どもやパートナーがいたらこうはいかない。独りだからこそ可能なことだから、ずっと独り生きてきたこともやっぱり私には最適解だったなと改めて思っている。
ロマンス避けしまくって無事(?)だったけど、万が一パートナーができていたりしたら、パンデミックの中を絶対一緒になんか過ごせなかっただろうし、それは私にとってもつらいことだったろうから(相手もたくさん傷つけただろうしそうすることで自分も深く傷ついたはず)。そうせずに済んだのも謎感覚とロマンス避けのおかげ。
もう仕事をせずとも終うまでには充分な備えがあったのも謎感覚に感謝かな。とにかく法人内の収入は可能な限り積立貯金に回していたから(人事部のご担当にはきっと謎の貯金の人だと思われていただろう)。生きるためには足りずとも終えるには足る。実にちょうど良い。

一般的な幸せが当人の幸せであるとは限らないし、一般的な不幸が当人にとっても不幸であるとは言い切れない。道が無いのなら、それに合わせて歩むのみ。

穏やかに旅立てるよう、少しずつでもできる範囲の準備を続けよう。

桜桃忌に合わせて買ったさくらんぼ。

いつも通りケーキに乗せて焼いた。火を通すなんて、と言われそうだけど私にはこれが美味しいからこれでいい(乗せきれなかった分は生で食べた)。割れているのは種を取ってから乗せたから。うっかりガリっとやって歯を割るといけないからね。私は自分を信頼していないので先手を打つ。

焼くと色も抜け何だったかわからなくなる(から、焼く前も撮っておいた↑)。そう言えば小さい頃、駅前のパン屋のダークチェリーのパイが好きで、何故か「大きいぶどうのパン」と呼んでいた、のを思い出した。

「そう言えば」繋がり。ラジオでFiona Appleのものらしき歌(この曲が何だったのかはもう忘れた)が流れてきて「昔、嫌いだったよな」と"Fast as you can"を見直してみた。結果、「嫌い」なんじゃなくて引き摺られるから心底怖かったんだ、防衛でストッパーがかかっていたから「嫌い」で遮断していたんだと気付いた(アギレラ様を見事に避けたようにね)。
謎感覚の回避力、流石だな。当時まともに聴いていたら危険だった。調べたら彼女にも(親族によるものではないけど)暴力の履歴があった。いくつか他の曲も聴いてみたらなかなか良くて、すごい才能だなと思った。けど、彼女の世界は私からは遠くて、ダレンのようには馴染まない。

最近はダレンの曲ばかりを聴いている。

最近和菓子に限らず洋菓子でも生菓子を買える店が減っている。ずいぶん前に駒場でお気に入りだった(イタリアで修行したちょっと珍しい皮のかたい)シュークリーム屋さんも閉店してしまったし地元の洋菓子店も消えてしまったり駅ビルに入っていた近隣の洋菓子も撤退してしまったりでケーキ難民。
ザッハトルテ。昔ホテルザッハーで食べたな。やっぱり現地のものとはだいぶ違う。

In the end of June

夏至も過ぎ、この先は冬至まで闇の時間が長くなっていく。4月から着々と感染数を増やしているコロナはGW後に火が入り(ICUでもGW後にコロナで入院者が出ていたよね)6月になると激しく燃焼を始めた。現場クリニックからは最近なんと「1ヶ月半」、特に「学生(おそらく児童生徒含む、というかそちらが主体だろう)」の再感染例が相次いでいると報告があった。
5月(GW後)の5類化ではじめのうちはマスクも含め様子見も多かった去年とは異なり、その後1年をどっぷりノーガードに浸かり染まり尽くした集団が全力でノーガードGWし、感染を日常へ持ち込み連鎖させてきたわけだから、盛夏(学校は9月の秋学期以降)に燃えた昨年より早い急増期を迎えているのだ。学校では早くも学級閉鎖が出始めているし、連鎖を止められる夏休みまであと一ヶ月弱もある。おそらくこの期間こそが今回の波のピークに近い部分と重なるはずなので、この間に刈られる(ノーガードは当然のこととして)「きちんと対策しているのに巻き込まれる」子ども達・先生方が無数に出るだろう。居た堪れない。
クリニックで目視されている1ヶ月半ペースでの再感染は「地域のかかりつけ医的医療機関を受診している層」の感染歴行動歴聞き取りを踏まえた上での医師による判断なので信憑性が高いだろう。私は持続感染中の長期障害やキメラ株発症等の可能性もあるのではとは思っているけれども、いずれにせよ、一ヶ月半ペースで感染を繰り返していたら、「3回感染で4割」と言われる長期障害を負う人がみるみる増えてしまう。特にこの短期間再感染は「学生」に多い現象だということだから、先の長い子ども若者が、その長い期間を苦痛絶望の中過ごさなくてはいけなくなるのだ。痛ましい。(なお、「自分は感染していないから大丈夫!」と、ノーガードこそが胸を張る傾向があるが、ノーガード達は「ウイルスは存在しない」とか「コロナはただの風邪」だとか「5類でコロナは終わった」「検査をしなければ感染しない」の考え方なので、現実に関係なく「かかっていない【ことにした】」だけである。ここまで重症でなくとも、「コロナ禍が去って〜」「夏風邪〜」で症状が出ても検査しない人間も多いし、最近の株は「発熱」「咳」等の従来マーカーとされていた部分を外してくる免疫回避型になってきているという分析もある。つまり、「自分が罹っていない」が「事実と異なる願望、思い込み、お気持ち」である可能性が、特にノーガードにこそ多いので大いに懸念される。)
とにかく、この夏はデルタ並みの心づもりで備えをしておいたほうがいいだろう。"NO HELP. NO TREATMENTS. NO CURE."絶望を味わいたくないのなら。勧めないよ、絶望なんて。

感染、重症化、長期障害リスクを下げるのに最も合理的な方策はマスク。導入コストが安く電気代もかからずリスクも無い。重要なのは感染リスクを0にすることはできなくても、(感染してしまったとしても)ウイルス曝露量を少しでも下げておくこと。曝露量が多ければ多いほど、体内での増殖がそこからさらに盛んに起こるので重症化しやすくなるから。
(感染か感染していないか、対策するかノーガードかの)「ゼロイチ思考」でなく、感染を防げるのが一番ではあるけど、たとえ防げなかった場合にも曝露量を下げておくことのメリットをふまえた上で、マスクを基本として、その他のリスク(人物、場)回避、換気、空気清浄、手洗い等を組み合わせてウイルスに突破されてしまう穴の数を可能な限り減らしていきましょうという「スイスチーズ」モデルの考え方が重要。

私はこれをよく使っている。ホテル清掃事業を行う国内企業が従業員を守るために開発したマスク。

何度も書いているように「マスクをすると熱中症になる」は非科学。日本救急医学会も明確に否定している。マスクをして上がるのは表面温度だけ。深部体温に影響はないので熱中症の直接要因にはなり得ない

マスクをして苦しい」は製品や付け方の問題も大きい。立体型で口鼻周りに空間ができるマスクを選択すれば、息苦しさは大幅に緩和されるはず(マスクは縁の部分がきっちり顔と密着していれば、その中に空間があることに全く問題はない)。

個包装なのも良い。ただ、ふつうサイズだと私にはどうしても大き過ぎて特に顎の部分に隙間ができてしまうのが難点。紐の部分を縛って締め付けをきつくして対応しているけど、耳が痛いんだよな。
ちなみにマスクのフィット性を高めるための製品も色々あるみたい。耳紐のアジャスターとか自分で後付けできるワイヤーとか。私は使っていないけど。
快適さをはじめ+αのメリットを求めるために費用負担が必要なのは当然のことで、それをどう選択するかは個人の判断。私はマスクのフィルター等の性能には出費するけど、フィット調整で紐を縛ることによる耳の痛さ解消には出費をしていない。


加えて自分で手軽にすぐできる効果の高い方策は「鼻うがい」。Covid-19は鼻の奥に取りつき増殖することがわかっている(だから自分を守る意味でのマスク着用で大事なのは、口だけでなく鼻もしっかり覆うこと。なぜか「自分のためだけ」にマスクする、咳やくしゃみをするときにわざわざマスクを外すような層こそが鼻出しなんだけど。非常に興味深いよね)。この部分のウイルスを洗い流すことで、感染予防または感染後のウイルス増殖抑止となるのだ。

一番有名なやつはこれかな。私はボトルゲットのために定期的にこれを買っている。洗浄液はあっという間に無くなってしまうから、切れたら生理食塩水でしばらく使う。海外で出ている鼻うがい研究もほとんど生理食塩水によるものだし。

その他、特にオフィス勤務等でノーガードによる空気感染リスクが高い場合には簡易空気清浄機の使用によっても、多少はリスクを下げられる。ただし、どんなに空気を清浄にしたところでノーマスクのフレッシュ飛沫を浴びればあっという間に感染するので、あくまで「空気感染リスクを多少下げるもの」でしかなく、最も重要なのはユニバーサルマスクであることは念押ししておく。

クレアウィンフィルターは実際きちんとウイルス捕捉効果を検証の上販売されている国内メーカーの製品。対策ガチ勢の愛用者も多い。これは業務用。
どんな製品であれ、風の出るものの吸気口側にフィルターを貼り付けると、フィルターを通した風が自分に向くということで空気清浄機的役割を付与できる。
見た目は気にしない(私はね)。気になる人はかわいいマスキングテープとかできれいに貼り付ければうまくデコれるんじゃないかな。

通勤電車、バス、学校、オフィスなど、飛沫に加え(特に長時間の)空気感染リスクが高い環境下で、せめて曝露ウイルス量を多少下げる程度の効用でしか無かったとしても、個人ですぐ、比較的安価で手軽にできることなので、興味のある方は是非。

どうして今これを書いているかというと、一昨日くるりのライブハウスツアーの公演当日中止発表があり、昨日岸田氏のコロナ感染が公表されたから。
ギターの日々の中で度々取り上げたくるりは、私が大学時代にライブジャンキーになったきっかけを作ったバンドで、そう言えばこのアカウントの前に使っていたサイトはくるりライブをきっかけに作ったものだった。
28日の「(出演予定メンバーの)体調不良」(で28日&30日の公演を中止という発表時点)でほぼコロナだろう、感染は岸田氏ではないかと思っていた(しそうツイートしていた)んだけど、昨日案の定の追加発表があった。27日に症状が出始め、ライブ当日に受診→PCR陽性→28&30日の中止を発表の流れなので、特に当日の対応は的確だったと思う。
チケット払い戻しにしろ公演振り替えにしろ、運営アーティスト側には莫大な赤を生む。「なんか調子悪いけどまあいっか気にしない気にしない(自分の感染はもとより【自分が他人に感染を広げることを】)」が標準化してしまった社会の中で、きちんと検査受け、即座に苦渋の決断をし、本人の口で経緯を説明するという良識的対応をくるりが選択してくれて心底安心した。人の親となり教壇にも立っていた岸田氏、きちんと責任ある大人になっていたね。横には社長もいるし。
どうか急性症状が落ち着いた後にも無理はせず、長期障害無く音を奏でられるようにしっかり静養してほしいと思っている。
5日の新潟公演が目下一番気になるところである。発症後10日以内だから、ウイルス排出可能性が高い厚労省的にもマスク着用を推奨している期間で、狭いライブハウス、よりによってボーカルで2時間程度歌い続けることになるわけだし。

コロナを「無かったことにしたい」為政者の恣意的判断で「5日」に縮められてしまった療養期間だけど、お上の「お気持ち」にウイルスは忖度しない。私は特に5類化後の感染連鎖は急性症状緩和後の(既に自分はかかったから無敵!認識になっている)ノーガード達のウイルス排出による部分が多いのではないかと推測している。
療養「5日」にするならその後のマスク着用は徹底させなければいけなかったのに、とにかく「今ここ自分だけ」の為政者も巷のノーガード達も「他人のために自分が配慮する」ことを嫌うので、「経済」ではなく「感染」のみが激しく回り続ける不毛な状態が変わることはない。

水無月の日。祇園祭も始まる。けれどももう京都には行かない。
とても小さい二切れで648円だったので驚いた。水無月は一つ200円台のイメージだったけど、やはり和菓子はどんどん値上がりしている。和菓子だけじゃないか。


ここ最近、東大値上げ問題にかかる「総長対話」と大学構内への武装警官投入、京大熊野寮ガサ入れと学生負傷(→搬送)等、高等教育や大学の自治と学生運動(?)を巡る状況が大きく動いている。
学費を値上げするのは東大だけではなく、私学文系で元々高額だと言われてきたICUも少なくとも今後3年間で10万円程上げることが発表されており、興味深いことに慶應塾長が主張していた「150万円」を超える。(この「国公立学費150万」は名門私学経営の立場から発せられた、そこにこそメリットが多い額であった。)
加えて、ICUはパレスチナやガザの平和を願う学生達の活動を警戒し、ロシアによるウクライナ侵攻の際には即出されたような学長による公開声明(私はこの声明にはやや違和感があった)を求められても拒絶し(学内ポータルのみでその旨回答したらしい)、その後、学内有志による要望書が提出されたにもかかわらず、期限(本日)までに回答することすらしなかったようである。この「徹底無視」の姿勢は、高校行政部及び法人執行部のものとまさしく同一である。
おそらく構成員の変遷や行政体制・方針で、大学はもう私が知っている環境とは乖離しているのだろう。そして高校と同じように、実態を伴わない、上辺だけ御大層な広報を行う組織に堕ちてしまっているのだろう。そんなことは決してあってほしくはなかったけれど、違うと判断できる根拠が、残念だが、どこにも無い。私は冷めた現実主義者なので、あくまで現実に適応して、なすべき事を行い、去る。

昨今の高等教育を巡る動きは、現時点では東大、慶應、ICUと別々の次元で起きているものとして捉えられていることが多いかと思われるが、私の斜め謎感覚は連関を捉えていて、それは「日本型新自由主義」の(ほぼ生まれながらの)既得権益者
「強者の強者による強者のため」の制度改革・再構成の加速である。
例のごとく苦痛でなかなか筆が進まないのだが、近々書いておかなければと思っている。


On a day in July

最近また悪夢が続いている。よりによって国語科の科会(実際に無い場面)が多い。やめてくれ。昨日は何故か英語でぶぶ漬け論法して皮肉を言っていた。余程腹に据えかねたのだろう(ちなみに私は授業内で必然性がある時に海外在住歴が長い生徒に対して使うことはあったものの「積極的に人前で英語を話すことはほぼ無い」)。息が止まって飛び起きることが多い。夏至を過ぎだいぶ経ったので、夜明けも遅くなってきた。4時頃ではまだ暗い。

おそらく5年ぶりに、上洛無しの七月を迎えた。報道もあまり目にしなかったが、宵山も巡行もものすごい混雑だったろう。疫病退散祈念の祇園祭で疫病が撒き散らされることが無ければいいのだが、、当然志村さんのお誕生日チャイムの富士吉田にも行けていない。

和菓子類は値上げ幅が多いけど寛永堂はあまり大きく変わっていない気がする。これは250円。
志村さんのお誕生日に食べたケーキ。

案の定、感染爆発しているコロナだが、官房長官が流行について言及した後、堰を切ったように大手メディアも感染爆発や医療逼迫について報じ始めた。非常にわかりやすい。日本で「アンダーコントロール」されているのは情報でありメディアである。
最近多いのは短期間での再感染と軽症/急性症状緩和後の急変重症化、特に肺炎。複数回感染の影響が確実に国内で顕在化し始めている。Studentsや現役労働者にも、そろそろ身近なレベルで重症化/長期障害の事例が出ていることだろう。それでもノーガードを貫くのだから、余程破滅願望があるのだろうね。末法思想というか「ええじゃないか」的というか。
「責任能力のある大人」が自身に限ってのこと、自滅を選択するであれば、それは「個人の判断」だろうけれども、他人を巻き込むのは「加害」だし、責任能力のない状態の方、法的に保護されるべき「子ども」を特に親や教師その他がそそのかしてノーガードの代償(特に長期障害)を負わせるのは許しがたい。まさしくマルトリートメントである。

都知事選後、二位の人間の言動や最近は兵庫県知事の横暴(と元県職員の方の自死)についての報道が続いている。いずれの理不尽ぶり、対話不成立の様、その背後にある権威主義構造も非常に馴染みのある「である」の世界そのもので吐き気がする。最近の悪夢の原因はまずここだろう。気分が悪過ぎてますます筆が進まない状態が続いているのだが、工事中だらけだが、Twitterから少しずつこのnoteへのリンクをつけ始めている。
Twitterのインプレッション数とnoteのアクセス数を見ていると、Twitterユーザーが自身のホーム画面から投稿を見ている場合が多いこと(謎タイミングと順番でイイネRTが入るのでそう推測される)、投稿内容から添付のリンク先へ飛び中身を確認するのは稀だということわかる。(私もタイムラインが時系列で機能していた時期にはホームを使っていたが、今は恣意的に選択された投稿を、時系列もバラバラに表示されるようになってしまったので、投稿を確認したい方のアカウントへ直接飛んで行き時系列順に読む形にしている)。
自動的に流れてきた投稿を条件反射的にRTいいねをすることはあっても、そこからさらに読み書きしたり、特に外部サイト、中でもここのように全く分かりやすさを売りにしていない(というか捨てている)長文がいくつも並んでいるようなカオスの中を読み解いていこうなんて方はまずいない。一方、それでも読もうとなさる方がいらしたなら、その場合は、その方にはなんらかの必然性があるからということだろう。今はそこにだけ届けばいいのだ。どうせ死が無ければ何も動かないし、死があったところで一時的に盛り上がり消費されるだけ。
それでも、マイナスよりはゼロで少なくとも私は救われることになるし、ゼロがイチにでもなり、今後の子ども達、感染させられたくない方、非正規雇用等都合よく搾取されポイ捨てされている方等、あらゆるマルトリートメント、理不尽暴力に苦しめられている方々の生活を変えるきっかけになればと思っている。

話を戻すと、やはり社会全体で(特に長文を)「読む/読める」層はかなり限られるのだと改めて実感している。そしてこれが、中身がなかったり不正確/むしろ誤りだったりするものでも、それっぽい雰囲気ややってる/やってくれそう感を、増幅し効果的に演出して伝える動画コンテンツと、そこに親和性の高いコスパタイパ分かりやすさフィーリングを重視する層(特に若者と低リテラシー層)が見事に「喚起され」支持する人物なりノーガードなりその結果の社会の状態だったりの元凶なのだろうと痛感している。
この点において、政治が公教育を破壊してきたことは、非常に不適切ではあるがその独裁確立維持のためには極めて有効であったし、だからこそ、現在は急速に、高等教育への触手を伸ばそうとしているのだろうと危惧している。早く書かなければとは思っているのだが、どうなることやら、、

そう言えば最近、元明石市長泉房穂氏の子ども時代についての記事を読んだ。わりと重度な機能不全家庭ご出身でいらしたようで、だからなのかと納得するところも多かった。
貧困地域の漁師の家で障害を持つ弟さんと共に育ったそうで、特に6歳の時に母親が弟と無理心中をはかった挙句「お前のせいで死ねなかった」「あんたが弟の分まで能力を取ったんだ。あんたがかけっこで一番にならなくていいから、弟を歩かせてよ。あんたはテストで100点を取らんでもええから、弟に漢字を書かせてよ」等と罵られた経験を読んでいて息が止まりそうになった。
このウルトラ斜めの八つ当たり、理不尽さ、できることさえもなじられる呪い、、やはり虐待をする人間や機能不全家庭のあるあるなんだな、と。本当、心拍数が上がる。
そして思った。母親や祖母が私にのみを抑圧し強制を課しいたぶり続けたのは、私が、「女のくせに」、能力をとってしまったから、そのせいで、「男の」弟が平凡な力しか得られなかったからと認識していた可能性があったのでは、と。
同様に上の能力が高く下が凡庸な従兄弟の上に対しては刃は向けられなかった。それは、彼(ら)に喘息という「女の私にはないにもかかわらず」抱えてしまった、保護すべき点があったことに加え、やはり性差も効いていたのではないかと推測している。とにかく、封建社会、閉鎖された中世的村社会の中では今でも家父長制的価値観が強い

その影響もあるのか、思えば私は自分の「女性性」をあまり肯定的に受容していないところがある。ダレンとは違って、おそらく性自認的な揺らぎは無いんだけれども、ジェンダー的な側面からの嫌悪にも近い感覚があって、多分10歳頃から、ピアノの発表会や制服、結婚式やパーティーを除く場面でスカートを履いたことがほぼ無い。
中学の制服でスカートなのは仕方ないと思っていた。基本的に足は出したくないなと思うけれども、別に履こうと思えばスカートも普通に履けるしその際に大きな苦痛は無い(この辺が性同一性障害との違いだろう)。ただ、履きたいと思うことはないし避けている、のだ。

こういうこと、多いな。あんまり意識していないけど、きっかけがあると色々気付く。


これは土用の入りの日にデパートの食品売り場で見かけて買ったもの。260円とかだったかな。
いつもの寛永堂。200円位だった気がする。
滋賀のお店だけど、周りに西の和菓子屋さんが少ないので予約して買った。2個で500円位。

京都へ行けなかった鬱憤を晴らそうと、限られた選択肢の中で揃えられるあんころを集めて回った。やはり餅(米)はすぐに水分を溜め込むし即腹につく。そして大量生産品よりお菓子屋さんのもののほうがおいしい。特に餡に品がある。そういえば最近まったくあんこを炊いていないと突然思い出した。鳥頭なので習慣が切れると見事に忘却されてしまう、、(こういう風にきっかけがあると戻ってきはするんだけど)。

忘れていたと言えば、地味に大きく響いていること。なんとパスポートを切らしていた。

パンデミック前はだいたい夏休みと春休みに2週間ほど海外へ出るのが習慣?だった。
2020年3月に出発直前にニュージーランドから鎖国をくらいキャンセルになって以降、非常に高リスクな飛行機も海外渡航も全く考えることがなくてすっかり忘れていたんだけど、上洛できなかったなんて何年ぶりだろうと考えていた時に、去年までの定番になっていた夏の上洛は海外へ行けない代替の要素も大きかったんだよなとふと思い出し、そういえば、少なくとももう4年は外へ出ていないしその前に更新したのもだいぶ昔だった気がすると嫌な予感を抱えつつパスポートを引っ張り出してみたら、見事に、今年の3月に、切れていた。
10代で取得して以降、一度も切らしたことが無かったものだった。特に大学入学以降、パスポートの無い生活なんて考えたことすらなかった。ずっと当たり前に更新して、当たり前に色んなところへ飛んでいく日々が続くと思っていた。

終わったんだと思った。
タイミング的にも2024年3月。見事に、このサイトの期限と一緒。
私はもうパスポートを取ることも海外へ行くことも無い。京都すら、消えた。

今は完全にロスタイム。書き残すことがあるから延びているだけで、現実が変わることはないのだから、「終わり」が変わることもない。
延びてしまっている間にも色々考えるべき関連事象が出てくるのは興味深いのだが、それをまとめようとするとやはり気分が悪くなる→一向に記録が進まないのが困りものである。
しかし、兵庫県や小林製薬等、独裁体制が引き起こした被害や隠蔽に冷めやすい大衆の意識が向いているうちに、動いておいたほうがいいのだろう、急がねばならないとは思っている。

ニュージーランドが恋しくなってニュージーランド産のりんごを買った。

そしてやはり、腐敗した組織も世間も、死人が出なければ隠蔽し放置するだけなんだよな、とも、改めて。

鰻と味付けが似ているものを選択。別の道があるなら私はそちらを探す。

丑の日でも私は鰻を食べない。絶滅しそうな鰻をわざわざスーパーの弁当レベルでまで大量に置いて結果余らせる食い潰し系消費スタイルは受容できない。
食べたい人が専門店等でそれなりのお金を払って食べるとか、丑の日でもそれなりの金額と質のものを完全受注生産で用意するとか、それ位であれば、ある程度持続可能性は維持できるはずなのに、何の考慮もせず策も講じず他を犠牲にすることが当然視される国。
ノーマスクをはじめとするノーガードも、理不尽や暴力をエンドレスループさせる「である」の世界も、根っこは全て同じ。

「今ここ自分だけ」

最近はもうラジオを聞くことも減り、ただダレンの曲ばかり聴いている。

そして最近のお気に入りは豪雨散歩。日没&帰宅ラッシュ後の豪雨は最高で、住宅街だと人通りもほぼ無くなるので手ぶらで出かけ、おもいきり雨打たれつつ危険な人間のいない空間で歌ったり水たまりを踏んだりして楽しんでいる。
本当に熱帯のような激しい雨が当たり前になった。雷も非常に激しい。
(※激しく雷が鳴っている際の外出は、今後も生きる前提であれば絶対避けるべきであることは念押ししておく。私は前提が異なるので出ているだけである。)
これが通勤の中でのことであれば気分も下がろうが、今はただのロスタイムである。帰宅後にはすぐシャワーを浴びるし服は洗えばいいし何の問題も無い(靴だけちょっと、乾くのに時間がかかるけど、物が多い私は当然靴もたくさん持っているので問題ない)。

真っ暗な空間に時折閃光が走り雷鳴が轟く様は、もう何年も、身体の芯まで響くような音を体感することがなくなった今は、なんだかライブのようにも感じられて楽しい。
音的にはCDJなどの屋内大規模フェスでステージをハシゴしながら既に開演済みの会場へ向かっている時のような感じ。ステージ内で聴く音ではないんだよね。やっぱり距離も遠いし空間も広いから。
そして稲光は照明みたいだと感じる。

落雷で終われることがあったなら、ちょっと間抜けだけれども、確実に短時間で自分の手も汚さずに達成できる形なので、それもあって、積乱雲があった日は急に吹き始める風をサインに、わくわくしながらずぶ濡れになりに出かけているのかもしれないなと、ふと思った。


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