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1月

来るはずのなかった年を迎えることになってしまった。

お節の用意はしていなかったから備蓄の豆を煮た。後は簡単にお雑煮だけ。
年末は普段平日なら比較的落ち着いて買い物ができるデパートすらひどい混雑で、まともに食材を揃えられなかった。

京都風のお雑煮が食べたくて調達していた丸餅。
あと西京味噌。写真失敗した。
昆布出汁に茹でた海老芋(自分で育てたもの)と人参(金時人参は買えなかった)、
丸餅を入れて白味噌を溶いた。
一応関東風?のものも食べた。丸餅だけど。
餅を食べ尽くした後は油揚げを加えて汁物として食べた。
黒豆を再び煮てみたけどまた失敗(煮豆はしばらくしないでいるとすぐに感覚を忘れてしまう)。
違う豆も煮てみた。
こちらはなかなか良かった。色は黒糖を使っているから。

1月2日にまた右耳が聞こえなくなりかけた。何だか嫌な感じがして、圧がおかしいなと思っていると外の音が減衰し、中の音ばかり大きく響くようになって、前になった時と全く同じだった(どうして右耳なんだろう)。
本当に勘弁してくれと思った。この上耳まで聞こえなくなるなんて最悪だ。もう病院にも行けない。それにどうせ行ったところでまた原因不明だとかストレスを溜めるなとか言われるだけだ。

焼き物の相棒も落として蓋を割ってしまった。

毎日使っているからだいぶ年季が入っているけど、二年程前に左小指を失いかけ、縫合後全く動かなくなってしまった時、手先のリハビリ用にと買ったトースターでも使える器。お手軽ベイクを始めたのは怪我がきっかけだった。それからずっと一緒に歩いてきたのに。

もうだめだと思った。

そしてふと、京都へ行こうと思い立った。元々年末に"Tomorrow comes with one desire""Runaway train"で山へ行くところだった。荷造りまでしていたのに不可抗力で出発できなくなってしまっただけ。現実が変わることはない。
道中で感染させられたら山へ行けばいい。足止めの原因は去った。

私の場合は京都へ行くといっても観光目的ではなくただ滞在するだけ。することといえば人の少ない通りや定番の散歩コースをひたすら歩くことと食べたいものを食べることくらいで、もう長いこと繰り返してきたことだし土地勘もあるから下調べの必要は全く無く、着替えと基礎化粧品くらいを詰めればすぐに出かけられる。足りないものが出たとしても買える場所も把握している。山へ行く前に少しでも資産は減らせていたほうがいい。

上洛に伴う感染の主なリスクは環境を制御できない電車移動だ。滞在中は普段通り危険な場所人間からははぐれメタル逃げするだけなので都内にいるのとさほど変わらない。

そうだ、京都へ行こう。

煮豆を悪くしないため、ケーキにして持参することにした。
持ち手は欠けたけど蓋の部分はほぼ残っているから使おうと思えばまだ使える。

バタバタと準備をして3日に上洛した。もはや野放図で感染リスクの極めて高い新幹線は使わず、普通電車で、ひたすら続く静岡の苦行に耐えながら移動した(普通電車は定期的にドアの開閉があるし危険な人間がいたらすぐに逃げられるから新幹線より遥かにリスクが低い)。

ノーマスクが少なく、きちんとマスクをしている人が周囲になるべく多い車両を選んで、ドアの脇に、座れたら座って、その後は膝上に置いたリュックを抱え込む形で疼くまる、そして目を閉じる。
マスクをしていたとしても完全にウイルスを遮断することはできないから、顔をしまいこみさらに隙間を塞ぐ、通気を減らすことでまずは飛沫の直撃を避け、空気感染リスクも幾分か軽減させることができる。
立っている時も前に回したリュックを抱え込む形で疼くまる(目からも感染するから車内ではとにかく顔を露出させず、加えて目を閉じることが肝要)。
何より重要なのは咳をする人間がいたら即逃げること。出歩く感染者はほぼノーマスクで、他人を感染させることなど何とも思っておらず、平気で汚い咳や鼻水、大量のウイルスを直撃で撒き散らし続ける。近くにいたら継続的に大量曝露にさらされることになるから、たとえ座席を失ったとしても別の車両に移動する(曝露量を減らすことは感染発症を防ぐためにも、万一の発症後の病状を悪化させないためにも極めて重要)。

一般の人流と逆の動きをすれば多少はリスクを軽減できる。3日の下りで長距離移動をする者は少なく、時期的に基本的には地元や帰省先での近距離乗車が主なので、定期的に人が入れ替わるのもよかった。本数の少ない大垣米原間は多少混み合っていたけど、普段は座れないこともままある静岡内もだいぶ落ち着いていた。

長時間の不自然な姿勢で首や腰が痛くなったけれど、なんとか到着した後はいつも通り、花びら餅を中心にお菓子三昧の時を過ごした。そして(人でごった返す週末を避けるため)6日に渋々戻ってきた。もう先生にも会わなかったし連絡もしなかった。
あと一泊すれば上賀茂で白馬を見てお粥を食べられる、もう二泊すればふたばさんで道明寺の桜餅が買えるとも思ったんだけれども、明らかに増大するリスクをよそにそれらをごり押しできる私ではなかった。いずれも、これまで何度も体験できたことだし。

私はどこまでも私から逃れられないのだなと思った。
感染はしなかった。
右耳は、違和感は残るものの、外の音の減衰は3日には解消した。
もしかしたら年末からの諸々の不調や周期狂いは能登、2日の耳の不調等は佐渡の地震に関連があったのかもしれないとも思っている。

さて、移動中に聞いた音や都内の買い出し時に聞いてきた音の変遷からすると、ピロラと(ピロラの後継で各国で史上最大規模の感染爆発を巻き起こしている)JN.1では咳に異なる特徴があるように思う。
都内のピロラ拡大期(10月末頃)によく耳にするようになったのは、乾いた感じの一気に強く大きく咳き込む形の勢いの強い咳で、その後12月半ば以降急激に増えたのはちょっとウェットで痰が絡んだようなくすんだ感じの咳なので、飛沫の飛散量という意味では強い咳にも気を付けたほうがいいに決まっているんだろうけど、今は特にくすんだ咳に注意したほうがいい。こういう咳をする人間は、おそらく喉がつかえる感じがするのだろう、よく「んー、んー、んー、んー」と咳でもない形で周囲にウイルスを撒き散らし続けている。

JN.1は各国の例を見ても、都内の状況からしてもあっという間に爆増して主流になる。移動中や京都にいる間はピロラ咳を聞くほうが多かった気がするけど、帰宅から一週間だから、もう既にJN.1が席巻しているのではないだろうか(年末年始に成人式で都市部から地方にたっぷりお届けされたことだろうし)。
見ない、認めない、アンダーコントロールだと言えばアンダーコントロールされた「ことになってしまう」、事実からも科学からも程遠い国では、昨年末に(そもそもその数も極めて少なかった)ウイルスのゲノム解析報告義務も解除しているので、これからはますます両手を上げ流行株すら掴めない状況での無対策、お家芸「インパール」を突き通すのだろう。

ノーマスクカルト&コロナは終わったという思い込みに洗脳された行政や教員は現実を認めることなく「自分達に快適な、無策」をごり押しする。
学校の再開、受験シーズンで近々ほぼ確実に若年層をハブにしたJN.1の感染爆発が起こる。
試験会場なんて密度的にも環境的にも時間的にも感染天国状態なんだから。空気感染し放題だし距離的に飛沫を避けることもできない。おまけにノーマスクだから高濃度直撃。よりによって席固定で試験中は動けないんだから。地獄でしかない。
きちんと感染対策をして試験にも備えてきたまともな受験生が本当に気の毒だ。
5類化のおかげで感染していても自由に出歩ける。全ては自己判断なのだし、「遠慮配慮」など機能しなくなった社会だ。よほど動けない状態でもなければ、重要な試験日に休むだなんて、そんな風に他人を思いやれる層は見事に崩壊した。全ては自分の利益のため、自身の欲求と都合のみが最優先される「他人の不幸は自己責任、自分の不幸では逆上し他害行為にひた走る」5類脳ノーガード達の楽しい世界。ノーマスク達は他人を感染させられればライバルが減るくらいに思っているかもね。そしてそういう精神性が是とされる美しい国。

まずは今日明日の共通テストが火入れになる。その後、2月の私立入試、国立ニ次の頃がピークになるだろう。高校以下も、まずは学校での感染連鎖からの入試の不能あるいは感染爆発になるだろうね。学級閉鎖学校閉鎖も頻出するだろう。
子ども達の学ぶ権利を、大人、よりによって学校、教員が奪うな。感染爆発すれば子どもたちだけでなく教職員だって感染し動けなくなる。授業をする人間もいなくなるし諸々機能不全に陥る。自分達だけは大丈夫だとでも思ってでもいるのか?正常性バイアスにも程がある。無策をごり押しすることによって失われるものが多すぎる。合理的な思考判断や行動を拒絶するノーマスクカルトはあまりに盲目だ。

対話の成立しない「理」の無い対象には逃げる遠ざかるしか為す術はない。それが世界であれ人間であれ。

山はまだしばらく適期だ。きちんと開き遺すべきことを遺して出発することにした。悔いを残して引き戻されることなど、絶対ないように。
おそらく次のトラウマ周期は二月に来る。何がどこまでできるだろうか。整っていなくとも、その時には年末のように全て投げ出して出発しようとするのかもしれない。"Affirmation"歌い直しはなるべく遺そうと思っているけれど、どうなることか。

まだまだ残っている備蓄も、少しでも使い切らなければならない。私は無駄は嫌いだ。できることをして少しでもベターな形に近づける。終わりまで。


JN.1はXBBとは別系統だから、5類化前後の社会のノーガード化と共に感染したノーガードノーマスク達あるいはそのせいで感染させられた方々も普通に再感染する。春から秋のはじめ頃の感染に抗体は期待しないほうがいい。
感染させられたくない人は、ノーマスクからは即距離をとる、接近されたら息を止める(咳を聞いた時は特に)を心がけて。
飛沫感染対策の肝はマスク。屋内屋外問わず飛沫は飛ぶ。「室内では」等と言う人間はマスクの意味を理解できていない。繰り返す。外でも大量のウイルス含む飛沫は飛ぶし、大量にウイルス曝露を受ければ当然感染する。マスクはエアロゾルを通してしまう側面もある一方、飛沫のブロックには極めて効果が高い。せめて不織布で、しっかりと鼻と口を隙間なく覆うこと、そしてマスクを過信しないことが重要(マスクでは空気感染は防げない。空気感染は、ウイルスが滞留しているような場にいる時間を減らすことでしか対応できない)。
適切なマスク着用は本当に最低限のライン。それだけで完全に感染は防げないけど、そうすることもなく感染対策をしているなどというのは妄想でしかない。あるいは感染が防げないからマスクは不要などと主張する輩は、妊娠性病を防げないから避妊具は使う意味がない等とその実自らの欲望と都合を強要したいだけの輩と同じ。相手の立場や状況を慮ることなど到底できない、他害を何とも思わない層なので離れるしかない。
空気感染も、ノーガードノーマスク達と同じ空間にいる時間を少しでも減らすことが大切。曝露は積算されるのだから時間が長くなればなるほど、吸入量もかさむ。場所を選べるのであれば、ノーガードノーマスクとは別の部屋に移動すること、どうしても同室にいざるを得ない場合は、たとえ寒くても窓やドアを開け、きちんと換気することを心がけて。寒さだとか光熱費だとかの主張をされるのであれば、それこそマスクが役に立つことを思い出させればいい。夏場にあれだけ(マスクが影響するのは表面体温で深部体温との関係はないのに)非科学的に熱中症だなんだと騒いでいたのだから。マスクをすれば体温が上がるんでしょ?暑い「気がする」ようになるんでしょう?と。
「理」のない人間は「欲求」と「都合」「お気持ち」「思い込み」だけで動くから、自分達で言っていたことであるはずなのに聞く耳を持たれないかもしれないし、私のように、せっかく開けた窓やドアを片っ端から閉められる嫌がらせをされるかもしれないけど。残念ながら相手は所詮そういう性質で対話など成立せず、その状態が変わることなどないのだから、理不尽で暴力的な環境からは逃げるしか解決策が無い。

感染の犠牲者被害者、後遺症で長く苦しむ人が少しでも減ればと思う。もはや絶望的だけど。

年末で終わっているはずだったので11月末に一気に開けたナッツ等の大袋類をまだ消化中。

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