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Guitar0211

元所属や法人におけるパワハラとハラスメント対策の機能不全について全体的なことはFrom middle of nowhereへ。

フジファブリック 「黒服の人」 二回目
※音声ファイルのトリミングが手付かずなので、差し当たりテキストのみ先に投稿して、間に合えばここにmp3を追加する形にしようと思っている。

何事にも終わりは訪れる。場合によっては突然に。

並木の桜がおそらく雪に負けたのだろう。何本も伐採してあった。そもそも戦後に植えられたソメイヨシノは寿命を迎える時期。あと少しでお花だったのにね。
重機で作業していたみたい。
おじいちゃん桜だけでなく比較的若そうなものも強剪定してあった。桜は難しいって言うよね。「桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿」
なんだか墓場みたいだと思った。
桜以外にも派手に折れている樹木が何本もあった。この間"She"を歌っていた時にも大きな枝が落ちてきたけど(音もすごかったけど衝撃波があったもんな、あんなのに直撃されたら大変)、まだ日中に散歩ができていた頃にはわりと風とか台風の後にもあれ大丈夫かなっていう太い枝を見かけた。
暗くて見えにくいけど、細い木もわりと損傷を受けていた。


弾き直しはある程度の時間があいてからのほうが変化が見えやすく面白いんだけれども、この曲は早めがいいだろうとでも思ったのか、僅か一週間後に取り組んでいる。
でもふと思えば、前に私は「赤黄色の金木犀」数日後に弾き直していたんだよな。初回では志村さんのリフがとてもとてもできなくて、二回めはチューニングを変えるというチート技を使った。
短期間での弾き直しは何故か志村さんの曲のみで発生した。なんでだろう?私が志村さんの曲をうまく歌いこなせないというのも大きいとは思うんだけど。

何にせよ、「雪前に」と急いで生傷を抱えたまま無理矢理弾いた初回と、傷は回復傾向にあったもののやはり急いで弾き直した二回目。
先週末の段階で、既に私は焦っていたのだろう。当時気付いてはいなかったし
今日の今日、というか、ベンチで空っぽになり途方に暮れたその時まで、自分としてはわりと呑気に週を過ごしてきたつもりでいたのだけれども。

ずいぶん暖かかった週半ば、水曜にはDarren Hayesの"Nearly love"、木曜にはBillie Eilishの"What I was made for"を歌っていた。
日曜に(「黒服の人」弾き直しで)高音の細い弦をたくさん弾いたら中指の先が抉れて穴が開き、傷と痛みがある状態が続いているので、ギター負荷の少ないものをということで降りてきたのだと思う。
(Billie Eilishはグラミー賞受賞の話を臼井ミトンさんのラジオで聞いて、それまで「わりとAFNでよくかかる謎の曲」だったものが「わりとよく聞く名前だけどよく知らない人」だったアーティストと初めて結びついたんだよね。デビュー後わりと日が浅い時期にくるりの岸田さんが「彼女はヤバい」的なことを言っていて、気にはなったもののずっとスルーしていた、、)

その後、今日も週末前に(平日夜にいない特に子連れとノーマスクがデパートに溢れて感染リスクが激増するから週末は買い物に行けない)買い出ししておくかと、お菓子を色々買い込んできたりと、自分としては本当にいつも通りのつもりで練習に出たのにね。突然、何も出なくなった。

おかしいな、でもまあ仕方ないと思って、とりあえずで"Stupid mistake"とか"Bloodstained heart"とか、歌おうとしたんだけど、全然ダメ。ひたすら虚無。そして冷えて寒くて震えながら帰った。

帰宅してしばらくして気付いた。
"the worst night of the worst year"、回っていたんだ、だから「来た」のかと。

2月ももう半ば過ぎ。元々ここまで回る前に終わっていたはずだった。
年末みたいに「日付」で意識をすることは無かった。でも、この週だったんだ。

「雇ってやっている」にもかかわらず感染対策について管理職に物申し、専任様が設定した持ちコマ、「与えてやった」仕事の大半を「感染対策が薄い環境下でリスクが高く行えない」と投げ捨てた生意気な「組織の敵」を辞めさせるためにあえて、以前その「非常勤」が「非常勤のくせに」「感染リスクが高く行えない」と断った条件「のみ」で構成した時間割、理不尽と不合理の塊が組織から押し付けられ「最悪な一年」の幕開けとなったのは。
先程、「最後に歌う曲」を選定し、旅立ち前にアップロードする文書内のマスキング加工を始めようとして気付いた。

私にとっては「嫌なら出て行け」を実践し、感染リスクを気にして仕事の大半を断り、必死で窓やドアを開け続けた人間の開け放った通気口を閉め続け、換気を妨害拒絶した上で、しかもそれが苦痛で脅威であると伝えてあるのにもかかわらず平気で、あるいはあえてノーマスクで寛ぐような理不尽な人間や組織集団(元所属)が理不尽を行うのは「不適切ではあるけれども当然想定されること」なので、それ自体による心的なダメージはさほど無かった。

「最悪」は、そのようなものとして想定していなかった「大学」「人権委員会」を含む法人とのやり取りが、ひたすら交わされ逸らされ、理不尽も暴力も不合理も「無かったことにされた」挙句、その「無かったことにされた」パワハラを「当人が勝手に認識した」「被害妄想だ」という形で法人が離職理由として「利用」し、異議も認めなかったこと(無期雇用者を「解雇」した「ことにしない」ためだろう)、規程では「人権委員会は,前項の苦情申立て及び異議申立てに対し,速やかに回答しなければならない。」とされている「人権委員会」への異議申し立てについても「監査」へのすり替えによって回避され、その「監査」も(規程も公開され手続きに複数の目が入る「人権委員会」とは異なり)閉じた機密案件として、何度も希望したにもかかわらず、争点について適切な検討が行える方々の目から遮断した上で、おそらく人事部長より上、元所属理事を中心に法人執行部内の一部の判断で組織行政的に「処理」されたこと、

つまり、はじめから「非常勤」の、よりによって「退職(予定)者」が何を言おうと取るに足らない、かけ合う必要など無いことだと、「拒否」「拒絶」の形を、人権の尊重、対話の重視を謳う、だからこそかつての自身のSanctuaryとなっていたところから、幾度も固く示され続けたことだった。

組織行政の観点からすれば「ただの人事案件(非常勤が希望する講座を与えられず辞めていっただけ)」なのだろうが、果たしてそうだったのだろうか。私は、私が知っている「大学」の「教育環境」を構成している「教育職員(先生方)」、特に専門分野についての知見をお持ちの方を含む複数の目が入っていれば、結果は違っていたのではないかと思っている。いや、そう信じたかった。もはや過去のことだけれども。

建学の理由に関わる、本来きちんと専任を据えるべき分野に非常勤しか置かず、よりによってその分野の講座を、唯一所属の非常勤、入職後常に担当してきた者から奪い、「当該分野での 教 員 養 成 を 経 て い な い」別人に担当させる&その非常勤には当人が「感染リスク管理が行えない環境下では担当できない」と過去に断り、その後も「担当できない」と伝えてきた条件のもの「のみ」を押し付けることが、あるいは、そのような形での「追い出し」に無事成功した後、(別の非常勤講師に対しては通常通り行なっている一方で)送り出しはおろか退職のアナウンスすら行わなかったことに、本当に「問題は無かった」のだろうか。
一連の手続きは合理的で過程に理不尽や暴力性は見られないと、「人権の尊重」を謳う組織が、本当に、正面から言えるのだろうか。
そもそもパワハラ以前に(担当すべき、本来の科に、勿論養成も経て経験も積んできた教員がいるのを差し置いて)「当該分野での 教 員 養 成 を 経 て い な い」人間に専門性の高い講座を担当させる時点で、その分野について広報する教育機関としてはアウトだし、そのような認識ごときで主張する専門性への理解や支援体制も空々しい。だから機能不全が起きているのだ。「やれている」気でいる人間の「お気持ち」とは裏腹に。

"I believe in karma, what you give is what you get returned."

私は法人内で気付いてほしかった。そして不健全な状態が変わっていくきっかけになればと思っていた。必要があれば、できることはいくらでも協力していくつもりだった。そして何度もそれを伝えた。対話と平和的な解決を希望した。けれども全ては終わった。不毛だった。

内部にその目が無い、もしくは、あるはずの目に繋げることが妨げられるのであれば、外部に開くしかない。現に元所属では、よりによって、最もその環境を必要とし期待して入学してきた層が、広報通りに保証されているべき適切な支援が受けられないことによって、学習面や心理面で大きな影響を受けている。あまりに不誠実だし理不尽だ。
元々職安に開かれても問題ないと判断していた実情及び経緯だろう。「公開させることにした」のは法人だ。私はそうならないことを何度も望んだし、伝えたが、叶わなかった。不本意ではあるが仕方ない。公益性のあることだから。私の目的は傷付けられる人を増やさないこと。

美しい国の人々は、short temperedで人が死んだ時だけ盛り上がる。そしてすぐ冷める。宝塚も漫画家も。日大の薬物の件だって、事前にいくらでも対策できたはずなのに「見なかったこと」にして「ヨシ」したからああなった。組織ぐるみの権力構造を伴う「対話」の徹底拒否や隠蔽体質、合理的な対策、人権、個人の尊厳の軽視が全てを招いた。内実の伴わない「お気持ち」のみの「やってる感」だけで現実変わらない。感染対策も同じだ。
私は搾取されることも消費されることも本当に嫌いだけれども、いずれにせよ結果は同じで、全てが開かれている時には搾取も消費も知覚する存在が戻ってくることはないのだから、せめて、今後を生きる人々の環境改善のために自らの最後が有効活用されればと思う。

資料で示される一連のやり取りの中では元所属の当該分野に対する認識や、実際の「対話」「多様性」への態度が明らかになることと思う。私はそれらを不適切で広報と異なると捉えてきて、手続きの中でも何度も法人へ訴えている。しかし、法人は認めなかった。このこともまた法人が発しているメッセージ、広報と異なり不適切である。
行政や人事の目では「ヨシ」された事々を、当該分野の専門性を持つ当事者(教員あるいは学生等)、入学を検討されている特に当該分野における支援ニーズが高いお子さんのご家族、補習校や塾等の関係者、あるいは広く教育関係者、非常勤講師をはじめとする非正規雇用者、雇用問題担当者等に、「私の言説も含めて」、criticalに吟味していただければと思う。

また、過去に(特にニーズの高い状態で)大切なお子さんや教え子を、期待を込めて入学させたのに「どうして」と思っていた方々、中でも途中で転学を余儀なくされた方々や、在学中、進路選択、卒業後にも、ご在籍中の不充分な支援体制による学習機会の喪失とその影響を受けた方々等にも、一連のやり取りの中から、その病巣が見えてくることではと思います。
色々心残りがあります。立場的な制約も大きく、力不足で申し訳ありませんでした。

余計なことを書いていたら疲れてしまった。曲については間に合えば追記したい。前回も書けなかったんだよな。


ーーーーー追記ーーーーー
「黒服の人」はお葬式を描いた曲。なんだけど、語り手の立ち位置がいまいちつかみにくい。式の中にいるというよりは外から眺めているような感じに私には思える。「遠くに行っても忘れはしない 何年経っても忘れはしない」とは歌われているけど、亡くなった方との関係性も、親族とかパートナーとか、そういう近さよりはちょっと遠いような。志村さんもわりとメタ視点が強めな人だからそのためかもしれないけど。

曲からはなんとなく富士吉田のピリッとした冬の空気、風景、ローカルな人間関係の中集まる人々の姿が浮かんでくるんだけど、志村さんはこの曲をどんな気持ちで作ったんだろう。
私の仮説は、雪の日にお葬式の光景、出棺の様子や轍に雪が積もっていく様を眺めたことは現実で、その具体的なところから色々削ぎ落として、亡くなった方との関係性は足した(例えば近所の人だったのを、「忘れはしない」相手に変えた)という感じかな。でも、そもそも「遠くに行っても〜」の部分がどのように歌い手と位置づいているのかもよくわからない。それは歌い手の相手に対する気持ちだったのかもしれないし、あるいは、それ以外の誰かが言っていたことかもしれない。

志村さんは引き算の作詞がとても上手い。「若者のすべて」もそうだけど、個別具体性を削いで、抽象度を上げて磨いて、色んな人の色んな風景や心境にはまる形にする。色々屈折している人だし、"Chronicle"の時期以外、直接的な物言いは少なくて、風景とか状況とか文脈から滲ませる形が多いのも私には馴染んだ。

富士吉田、とても好きな街だった。でも2020年から一度も行けていない。明らかに私が感染を持ち込むリスクが強かったから。
うどんが有名でね、一部の店舗型?のところ以外は本当に普通のお宅の座敷で食べるの(勿論、厨房は別の場所にある)。ごわごわ?のかたい麺と馬肉(馬じゃない店もわりとあるけど)と「すりだね」という味噌や唐辛子等を練ったペーストが特徴で、特に「すりだね」には店舗ごとの特徴が出る。お店は基本的にお昼のみの売り切れ仕舞い営業だから、行く時には今日はどこで何杯食べようかと考えながら散歩ルートを練った。

京都もそうなんだけど、私は出かけた先でとにかく歩きまくる。歩いて家や店、人なんかの雰囲気からその土地を感じる。
吉田は人が優しくコミュニティー感が強かった。他所者だってすぐわかるから、遠くのうどん屋さんへ行こうとして変なところで迷っていたりしていると(地図はあってもランドマークが少ないからわりときつい)車を出して乗っけていっていただいた、なんてこともあった(バスも本数が本当に少ないし駅前にも街中にもタクシーなんていない)。
通い始めた頃は、街の人に「フジファブリックの志村さんのファンで」なんて言っても「?」となる場合も時々あったんだけど、7月と12月のチャイムが定番化してからは、この時期に歩いている外の人でインバウンド以外は志村さんのファンがメインだという認識ができていったみたい。私はチャイムの時期以外にもちょいちょい通っていたけど。
インバウンドは、富士山が世界遺産に登録された後にめちゃくちゃ増えた(世界遺産については、街の人の受け止め方は様々だった)。「浮雲」で歌われた「いつもの丘」を登った先にある(本当はさらに上もあって山道に繋がっている)忠霊塔のあたりは富士山と桜を眺めるスポットとなり、ある時から麓?に出店?が並ぶようになったりもして、街の風景はだいぶ変わった。
今はどうなっているんだろう?富士急行線のメロディーが変わったのも、結局聴けなかった。

私は葬式なんか絶対お断りだし墓なんかに閉じ込められるのも御免だ。いずれも嫌でも家や血縁者と繋げられてしまう。資産も残してしまったら、どんなに嫌でも形式的に法定相続が行われることになる。呪いでしかない。はじめから終わりまで。

どうして自由になれないのだろう?
大学に入る時にも保証人を書かされた。
家や血縁に恵まれない者が、安全に独りで立ち、独りで去る、そんな術があればよかったのに。

エベレストなどの難関高山には滑落した者の骨が転がっていたりするらしい。私もそのようになりたい。どこの誰でもない者として大地に還り、消滅したい。実際はそううまくはいかないだろう。知っている。
私はとてもじゃないけど骸骨になるまで放っておいてもらえるような場所には自力で入れない。体力もないし経験も装備もない。難関処や人気で人の多いところは適さない。明らかな素人がふらついていたら怪しまれる。
今は熊の問題もある。生きながらというのだけは勘弁してほしい、けれども獣に対話は不可能である。

どうか救いであってほしい。せめてその時くらいは。




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