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2月

先週は雪の影響もありほとんど練習に出なかった。関連があるのかは不明なのだけれども、自分がいったい何をしていたのか、ほぼ記憶が残っていなくて不穏な感じがする。おそらくほとんどは横たわっているか食べていたかだとは思うのだけれども。

ギターの録音や写真、あるいは投稿など、外部の記録が残っていない場合、自分の動きが辿れないんだよな。今はもう人と会うことも無いから、人の記憶から自分を辿ることもできない。
とはいえそもそも辿る必要もないし、そのように社会的に存在を消し、閉じていくという意味で、これはそういうことだと思うなどする。
おそらく定年退職後の老人の孤独死でその人が亡くなる前どう過ごしていたかというのも同じような感じなのだろう。私の場合は自発的なものだけれども。そして自宅で腐乱することはないようにする。

方法については、アカウント開設当初には決まっていなくてしばらく考えていたんだけど、ギターや歌と一緒に記憶や自身の整理などをするうち、私にとっての最適化された形はおそらくこれだろうと絞られていき、年末へのカウントダウンを身体が刻み始める頃には確定した。絶対条件と取りうる選択肢の中から諸々ふるいにかけ、色々書いているうちに浮き上がってきたものだ。
確実さが重要で中途半端な形は頂けない。基本的には意志の力さえ確かなら踏み留まることはないはずだけれども、私は寒さに弱いのでそれで舞い戻ってしまうと困る(ギター練習では寒過ぎて逃げ帰ることが何度もあった)。
感染対策においても言えることだが、確実さを増すには組み合わせることが極めて重要だ。強制的に舞い戻れない状態にすればいい。それぞれに単独では実効性が不確実なものであったとしても、組み合わせることで結果は変わってくる。

決行前に行っておかなければいけないことも一向に進まず、雪の前に歌ったBritney Spearsの"Everytime"もSavage Gardenの"This side of me"も、それ以前に年末に歌った"Affirmation"の曲達も、その前のMatchbox twentyも、手付かずになっている。年末に近いな、今の感じ。

週末にはダレンの"Bloodstained heart"とフジファブリックの「黒服の人」を歌った。
「黒服の人」は志村さんのリフが違っていたのに気付いたのと、怪我がだいぶ落ち着いてきてギターでできそうなことが増えたから。でも、それでまた特に高音で細い弦をたくさん使ったら指先が削れて?穴が開いた。練習習慣が途絶えると指の耐久性が落ちるのを忘れていた。

右手の怪我はだいぶ回復してきたのだけれども、負傷から10日過ぎの時点で前回パッドを交換した時にも塞がっておらず、特に薬指は切り口が波打っている?状態でまだかかりそうだった(関節にかかっているから曲げる時に動いてしまうことも大きそう)。小指も意外に時間がかかっていて、薬指にはできなかった痣が発生していたことからも、きれいに切れていた?ことによりあまり酷そうには見えなかったものの、わりと損傷としては強めだったのかもしれないと思った。
そういえば私、痣って強く打ちつけた時にできるものだとずっと思ってきていて、二年前に初めて切り傷等でもできるものなのだと知った。当時は縫合の後に痣ができ始めて「何で?いったいどうして?」と混乱した。
痣といえば、最近何故か右膝に大きなものができていたのに気付いた。いったい何があったんだろうか。謎である。

今週はしばらく暖かそうなのでなるべく練習に出るつもりでいる。
Coccoもそうだったけれども、歌には排出の役割があると痛感する(私が今歌っているのは自作ではなくその時降ってきた他の人の手による歌だけど)。ピアニストの彼があれだけ穏やかなのも、感情を演奏で昇華させているからだろう。

生存しているうちは、なるべくベターな形で、できうることを行っていきたいとは思っているんだ。色々だいぶ怪しいけど。
備蓄を減らし部屋に残っているものを可能な限り少なくするという意味では、ひたすら食べるという一見不毛に思えることも違ってくると、これを書きながら気付いた。あんまり記憶も無く代わりに謎の痣ができていた先週にもなんらかの意味はあったのだろう。物は考えようである。



先々週末の梅。雪の前。
白梅はだいぶ開いていた。
紅梅はまだまだだった(見えない)。
週末の梅。白梅はかなり咲いている。
紅梅ももう少しで動き出しそう。
河津桜も咲いていた。





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