桜桃忌父の真似して子を諭す 碧萃生 僕が学生の頃は、「太宰が好きです」なんて言うと、初心者だなあと笑っていました。 「さくらんぼ食ったくらいでうじうじしてんじゃねえよ。もっと人間の存在を問うのが文学なんだよ」 浅はかな学生でした。
きょうは桜桃忌なので、昨年訪れた『富嶽百景』の天下茶屋の写真でも。二階には太宰治記念館があります。
桜桃忌の晩に、ふるさと納税のさくらんぼが届く。 太宰の短編「葉桜と魔笛」を読み返す。私的領域における二人のイエス・キリストを描いているように思えた。 太宰よ、あなたの誕生日に、あなたの作品と久しぶりの再会を果たし、あなたの世界にいざなわれているような気がした。
桜桃忌に届いたさくらんぼを朝に食す。 「葉桜と魔笛」のような、わずか数ページの短編でも、読者の予想を軽やかに裏切ってみせる。その手つきの鮮やかさよ。 今の季節、太宰もアジサイを見たのかしら。いや、こんな華やかなものはないかな。
今日は言わずと知れた「桜桃忌」。
薄暮に月、 一句詠めたらな… 今日は桜桃忌だ。
津軽の「笑う太宰フェス」行きたい…けどお金がない。太宰の笑いについて研究したい私としては、うってつけの企画なのに…。 配信とかしてくれたら絶対見るのに。 悔しい。
もうすぐ桜桃忌。一時的に、私の中にある文学の知識を一切捨てて、ただ夜の三鷹を歩く太宰を見てみたい。世間のイメージや語り継がれた逸話など全て頭の中から消して、ただそこにいる人間がどんな顔をして何を考えているのだろう、と観察してみたい。