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桜桃忌

6月19日

今日は桜桃忌であり、太宰治の誕生日である。
昨日は日本列島が大荒れの雨模様であったが、おそらく太宰を捜索した時も同様の雨だったのではないかと思いを馳せた。幸か不幸か、雨は昨日のうちに上がり、今日は晴れ渡る空を見せている。悲しむより祝ってくれと言わんばかりだ。

太宰治に関して複雑な思いを抱いている話は過去に書いたかと思う。今も形は変われど同じで、今日も複雑な気持ちのままだ。どちらにも振り切れぬ。
悲しみは悲しみで、忘れてはいけない気がするからだ。

土手に下駄の痕があったのだという。
入水時、滑り落ちる時に抵抗しようと力が入った証なのだと。しかし赤い縄で括られたその体は、女と一緒に荒れ狂う玉川の水に飲まれていった。

誰かが引き揚げられた太宰の顔を見て「笑っている」と言ったが、一週間水の中にあった身体は果たして笑うことは出来るだろうか。——これは太宰の死を現実的に見る本に書いてあったが、その通りだと思う。水で膨れこそすれ、穏やかに笑うなどその身体は出来ようはずもない。あまりの辛さが見せた一種の現実逃避なのだと思う。

親しい人の死は、覚えているようで覚えていない。
目の前で亡くなった人も然り。灼きつく光景もあるが、よくよく考えれば細かいところは不自然に抜けている。

中学の時目の前で先輩が落ちた。

いじめていた集団にトイレに追い立てられ、3階から自ら飛んだのだ。でも私には落ちたようにしか見えなかった。
「あ、何かでかいのが落ちた」
それくらいの感覚でしか見られない。ちょうど死角になったコンクリートの床に、打ち付けられる音だけがした気がした。一瞬間が空いて、悲鳴と、ざわめきと、先生の声。ドクターヘリで緊急搬送されたらしいが、間に合わなかった。運悪く、給食の配車が入るスペースで、半階ほど地面が下がっていた。
翌日から献花台が設けられたが、花を手向ける気にはならなかった。いじめっこらしき先輩たちが、泣いていた。亡くなった時の先輩の姿は、思い出せなかった。

⬛︎⬛︎は果たして、本当に死にたかったのだろうか。

太宰の死を6月19日に思い出すたび、そのテーマを呼び起こされる。死ぬ間際の切羽詰まってる時に、ロマンティックに赤い縄を用意して巻けるだろうか。また死にかけて、そして生きるつもりだったのではないだろうか。——破壊と再生。そんな言葉をついつい思い浮かべてしまう。

昨日の雨で、玉川の水はどうなっただろう。
今や可愛らしい玉川の流れも、水嵩を増しただろうか。

6月19日、桜桃忌。

われ、山にむかいて、目を挙あぐ。
                                ——詩篇、第百二十一。

文字の雨

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