藤乾®︎

無頼派と呼ばれる人びとが好きな懐古的青年者。 主に日記と、織田作之助と持ってる書籍に関…

藤乾®︎

無頼派と呼ばれる人びとが好きな懐古的青年者。 主に日記と、織田作之助と持ってる書籍に関しての備忘録。

最近の記事

男の子はいつだって

格好いいものが好き、らしい。 今、直木三十五記念館のグッズを考えている。 男性も手に取りやすいようにと色々案を練ったが、まあ1人で作っているわけではないので、暗礁に乗り上げた。 行き詰まって行き詰まって、ここ2日ほど現実逃避をしていた訳だが、男性当事者に意見を聞けばいいじゃないか!と、思い立ち、気軽に聞けそうな3人に意見を聞いた。 三者三様の意見が出る……かと思いきや、おおかた共通していたのは「かっこいいのがいい」ということだ。分かりやすさとか、親しみやすさとか、そんな

    • 桜桃忌

      6月19日 今日は桜桃忌であり、太宰治の誕生日である。 昨日は日本列島が大荒れの雨模様であったが、おそらく太宰を捜索した時も同様の雨だったのではないかと思いを馳せた。幸か不幸か、雨は昨日のうちに上がり、今日は晴れ渡る空を見せている。悲しむより祝ってくれと言わんばかりだ。 太宰治に関して複雑な思いを抱いている話は過去に書いたかと思う。今も形は変われど同じで、今日も複雑な気持ちのままだ。どちらにも振り切れぬ。 悲しみは悲しみで、忘れてはいけない気がするからだ。 土手に下駄の

      • 明け方5時の小さな魔神

        若草色と琥珀を散らした瞳、 桃色と褐色が混在する肉球、 口元は紳士のお髭のようで、 フワフワの毛並みは最上級の撫で心地。 ——そう、猫。 この愛らしい天使は、たまに恐ろしい魔神と化す。 主に朝の3時〜5時あたりに、薄明かりの下ガサゴソと何かを物色し、毛を逆立て疾風の如く駆け回る。 その時の獣にぶつかったら命の保証はない。 「ナーーーー」と良く響く奇声を上げ、腹を見せて油断させる。もしこのとき、まんまと腹を撫でてみろ、その丸い目をもっと丸くして牙を向くだろう。 手足を絡めて

        • 自由とお金とその先と

          昇給、するらしい。 今はシフト制なのだが、それが固定休になり、代わりに終業後に課題が始まる。その課題をクリアーしてまた次のステップへ行くと、またさらに昇給……といった仕様だ。 お金が増えるのは喜ばしいことだ。が、休みを自由に決められなくなる。友人や知人と会いづらくなる。仕事終わりも自由時間が減ってしまう。お金のために。 人はなんのために生きるのか、と度々問われる。 生活のためだとか、趣味のためだとか。 私は何のために生きていただろう。少なくともお金だけのためでは無かったは

        男の子はいつだって

          毎日ニュース

          子供の頃は、毎日のニュースは変わり映えしないと思っていた。いや、事実、同じことを割と繰り返して報道していたように思う。なにか少しの差だけ、あるような、ないような。 しかし今、テレビのニュースを観ない代わりに、周囲のニュースが目に飛び込むようになった。それは報道されているものよりずっと小さくて、少し外から見れば大したことのないニュースなのだろう。でも私にとってはそれがすごく大きくて、一喜一憂し、愛おしい。 手のひらの金魚の本が徳田秋聲記念館さんで取り扱うよになるだとか、本が

          毎日ニュース

          一筆箋

          好きです、一筆箋。 前々からデザインしていた『新戯作派 一筆箋』が、ようやく形になりそうです。なぜ時間がかかったかというと100部からの注文やったので(笑) でもなんとか入稿できました。7月11日、私の誕生日頃届くそうです。たまたまなのですが、今や!と背中を押してくれた気分になりました。 売れなかったら大赤字ですが、売れたら次の文字グッズを作る資金にしようと奮起しています。 また別件ですか、直木三十五記念館さんのグッズのデザインも今進行中です。文学のグッズを作れるのはと

          腐草為螢

          くされたるくさほたるとなる。 昨日6月10日は七十二候の「腐草為螢」だった。 草の中から蛍が光を放ち飛び交う頃。という意味らしい。役目を終えた草の中から、あえかながらも力強く輝く蛍の飛び出る様はとてもうつくしいように思う。 手のひらの金魚で活動をしていると、よく“復活”を目撃する。作品の復活、旧字旧仮名の復活、読者の復活、文芸の復活……。一度はくされたる、とまではいかないけれど萎びかけた文学から、新たな光がまた灯されようとしている。さながら蛍のように、あえかながらも力強い、

          腐草為螢

          社交性ダンス

          社交性、の話が上がった。 確かに今でこそ誰とでも話し、どこへでも飛び込んでいくが、昔からそうであったかと言うと、真逆であった。 幼少期は常に誰かの後ろで俯き、挨拶をされても喉がつかえて返せない。小中学校では学校で飼っていた動物が友達で、人間の友達には余計なことを言って疎まれた。部活動は美術部であったが、独り轆轤を回して土と戯れていた。 姉妹のように育ったいとこに、何故今の仕事を最初からしなかったの。と先日問われた。絶対向いていないのに、接客業。と。彼女だけが知る私の姿を思い

          社交性ダンス

          明日の風は、俺たちが。

          明日の風は、俺たちが、吹かすのだ。 朝から西さんと待ち合わせ。茶屋町のTSUTAYA梅田MeRISE、オダサクも通った波屋書房に手のひらの金魚の本が並んだ。大阪の街に金魚が泳ぐ。夢のようだが夢ではない。 波屋書房、とても良い顔の店主さん。しかし仕事の時の眼は本気だ。仕事人、といった具合でかっこよい。そんな店主さんの笑顔を写真に収め、宣伝します。頑張って売りますと店を後にする。 北極でアイスキャンデーを買う。ミックスジュース味210円。さわやかなミックスジュースを口一杯に

          明日の風は、俺たちが。