小舟

詩の近くにいる。少し働いてあとは一人で家にいるか旅先にいる。散歩と本と猫が好き。意外に…

小舟

詩の近くにいる。少し働いてあとは一人で家にいるか旅先にいる。散歩と本と猫が好き。意外にゲームもすき。 実は人生だいぶ後半。

マガジン

  • 小説

  • 詩、言葉たち。

    詩作品をここにまとめようかと思います。 以前の作品、未発表作品など。 書きかけの言葉たちをすくいあげて形にすることができれば。

最近の記事

これ以上何を望む 3

両方手放さないということは、いずれどちらか或いは両方を失う事になるのだろうと思っていた。 ふと、道を踏み外した時から「何がおきるか分からない、何があっても受け入れよう」と一生懸命考えた。それを「覚悟」とよんでいいのならわたしはその「覚悟」のあやふやさ、先の見えないもどかしさ、姿のみえない怖さにいつも怯えていた、いや、今も慄いているといえる。 これ以上何を望むと自問しながら毎日が曇り空なのはたぶんそこに理由がある。 自由を手に入れた。 どこへ行こうと何をしようとそれはあなたの

    • ゲームするおばあさん(私)

      スマホでするゲームが好きだ。 ちょっとした空き時間、本を読むかゲームをするかその時の気分で考える。 写真の「モニュメント.バレー」というゲームがとても好きだった。エッシャーの騙し絵のような不思議な世界を小さな女の子を導きながら進む。 各章ごとに物語があり癒される音楽がある。 複雑な建物があり雨に打たれる海には小舟がある。辿り着くためのドアがあり目指す階段を見つけたら駆け上る。 幻想的な脱出ゲームだったがパート2で終わってしまった。 いつからゲームをするようになったのか? た

      • 50年目の桜桃忌

        昨日6月19日は太宰治の命日、桜桃忌だった。 三鷹市に生まれ育ったわたしは、太宰の墓がある禅林寺もすぐに行けた。若い頃、考え事をしたり何となく寂しいけどべつに誰かと会いたい訳じゃない時「太宰さんのところに行こう」と思った。 太宰治と向かい合って森鴎外の墓がある。 森林太郎と太字で彫ってある。 墓のそばに座って、何となくぼんやりしたり煙草を吸ったりしていた。 ほとんど誰にも会わなかったが、一度だけ太宰の遠縁に当たると名乗る紳士に遭遇した事がある。太宰のような黒いマントを羽織っ

        • 小説家になるという夢

          東京に帰ってきた。 美容院に行ったり歯医者に行ったり 習い事に行ったりしている。 帰京する前に飲料や米等重い物やパンや卵などすぐに欲しいものはネットスーパーで注文しておいた。 それから図書館に予約してあった本が 受け取り期限ギリギリだったので慌てて借りに行った。 「私たちの金曜日」というアンソロジーと 林真理子さんの「奇跡」。 本といえば先日、若竹千佐子さんが出演しているテレビをみた。芥川賞受賞した「おらおらでひとりいぐも」は古本屋で見つけた時に買って読んだ。それが特色の方

        これ以上何を望む 3

        マガジン

        • 小説
          3本
        • 詩、言葉たち。
          1本

        記事

          雨上がり、鹿にあう。

          昨夜から降り続いた雨が、今朝は濃い霧になって大室山を覆っている。 窓をあけるとひゅーっと冷たい風が入ってきてからだの隅々まで新緑がゆきわたる。 いまがいちばんいい季節なのかなと思う。 ここは高原の別荘地なので、散歩をしている人や犬を連れている人たちは皆「こんにちは」と挨拶して行き交う。 でもほとんど会わない。夏になるとそれなりに車や人も増えるが、居住者は少ないのかもしれない。 一昨年、散歩をしている時に同年配の女性と出会った。ぐるりと山道をひと回りするコースで行きと帰りに

          雨上がり、鹿にあう。

          びわの話(3)と小さな木の椅子

          びわを「自分で」買った。 夫のところにいると会計は夫なのだけれど 嗜好品は自分で買う。飲料やお菓子など。 それで今日、農産物市場みたいな所に行ったら小さなびわがあった。たくさん入って180円!喜んでそれを買おうとしたら夫にこれにしなよ、と勧められてそれよりちょっとだけ粒が大きい250円のにした。 スーパーで買えばまるっと美しい枇杷は1パック5個入って500円位はする。 小さくても美味しければ安い方が良い。 帰宅して食べてみたら美味しいのもあればそうでもないのもある。夫は食べ

          びわの話(3)と小さな木の椅子

          山が見える窓

          静岡県に来ている。夫の家は丘の上にある。 2階の窓から大室山が見える。 お椀を伏せたようなまるいフォルムに心が和み、ここに到着するとすぐに2階に行って窓を開ける。 「やあ、きたね」と言ってくれるようだ。 朝も午後も夕方も山を見ている。 とても気持ちの良い風が入ってくるので夏でもあまり冷房をつけない。 その大室山に今日はじめて登った。 朝「今日は行くよ~」と遠くの山に声をかけた。 車で15分も走れば麓に着く。そこからリフトで頂上へ。実はリフトは苦手。でもこれはベンチみたいで

          山が見える窓

          びわはやさしい木の実だから 2

          前回、創作大賞2024 エッセイ部門に応募するという試みで「枇杷はやさしい木の実だから」という長ーいブログを書いた。 常々考えていた事をどうにか文章にしたいという気持ちと、シッカリ自分の気持ちに向き合おうとするスタンスでどうしても、端折るような事が出来なかった。  内容が内容なだけに、読者に不快感を与えないように、けれど事実を正直に書こうとしたらずいぶん長くなり、書きながらどうしようかと思ったりした。やめようかという気持ちが無いでもなかった。でも高原の窓辺とフリータイムが与

          びわはやさしい木の実だから 2

          枇杷はやさしい木の実だから

           枇杷(びわ)を買って貰った。 今が旬の果物。さくらんぼもメロンも店頭には並んでいる。今しか買えないから枇杷が欲しい。でも年金生活の慎ましい暮らし。少しでも安い物をカゴに入れる身なれば果物は贅沢品。キズ物特価品の棚は必ずチェックする。  そして今日、わたしは東京を離れ地方にきた。別居中の夫がマイカーで迎えにきてくれた。「卒婚」と流行りの台詞にうまく夫をのせて東京とS県で別居するようになり6年が経った。  ずっと一人暮らしがしたかった。三人の子ども達が巣立ち同居していたわたし

          枇杷はやさしい木の実だから

          いろんな理由がある

          訳あって、再びここにきて自分が書いたものを読んだ、全部。すっかり忘れていたが下書きにして未公開のものも五つあった。 そのひとつは昨年、転倒して左肩を剥離骨折した時に書いたもの。何故公開していないのかと読みながら考えた。 気持ちが未整理?いや、未整理のままいつも多分書いている。書きながら考えて、そのままアップしてしまう。 完成形でなくて良い。 でも、下書きのままなのは、迷う気持ちをそのまま公開することに躊躇いがあったのだろう。 その下書きには恋人も登場する。 転倒したときに一緒

          いろんな理由がある

          これ以上何を望む 2

          「これ以上何を望む」をずっと下書きに置いておいた。でもいま何となく公開にした。 理由はあるような気もするけど、まだ明確ではない。 最近こういう本を読んだ。 「もう一人、誰かを好きになったとき ポリアモリーのリアル」荻上チキさん。 新聞の書籍広告をみてからすぐに図書館に予約した。同じように予約した人が何人かいたのですこし待った。 わたしは昨年怪我をしたとき図書館の宅配サービスを依頼したので今回もボランティアさんが持ってきてくれた。 興味深い本だった。 取材された登場人物たちがみ

          これ以上何を望む 2

          これ以上何を望む

          毎日は楽しいか?と自問する。 そうでもないな、と思う。 わたしが望んだものは何だったか? 自由、お金、まぁまぁの体調、。 それらが今ここにある。 もちろん完璧ではない。 自由には限度があり、お金だって全然だ。 たった5万弱の年金では暮らせるはずもなく 貯蓄を取り崩して生活している。 しかしいったん仕事(パート)を辞めた。 あと何年生きるか分からないが何年かは、 親が遺してくれたお金を生活費に充てる。 自由。そう、一人暮らし。あれほど憧れた一人暮らしを60代で実現した。 しか

          これ以上何を望む

          淋しくなったらここに来る

          前にここに来たのはいつだろう、と開いてみたら昨年の9月だった。 ずいぶんと間があいた。ここを離れて「はてな」でブログをたまに書いたりしていた。でも、なんか違う気がし始めている。スターというシステム?が多少めんどくさい。でもどこでも似通ったものだろう。ブログでさえ気を使うのか?と思ったりもする。公開に設定しているからには読者がいる。誰かに読んでもらうことを想定し、その数が多いほうが良いと考えるか、あまり気にしないかは人それぞれ。  やはり自由がいいな、と思う。好き勝手に思う

          淋しくなったらここに来る

          この舟の行方 3

           彼が帰ったあと、彼が使った灰皿を洗いながら今はまだ土曜日の夕方で、明日は日曜日なんだ、と思った。日曜日ってどうやって過ごすんだっけ。ひとりの日曜日は・・・と考えたらやっぱり寂しかった。寂しい時はわたしは書く、そうやってずっと過ごしてきたはずだった。そうやって詩が生まれよりそう言葉が支えだったはずだ。電話もしない。メールもしない。ひとりでも生きて行こうと決めたはずだった。それにまたすぐに逢える。「愛してる」とまたラインがくる。月曜日になれば。                 

          この舟の行方 3

          この舟の行方 2

           わたしたちが出会ったのはもう20年位前のことだ。いわゆる「出会い系サイト」に近いものだったがそういうサイトをいくつか経てきてもう何かを期待したり逡巡したりすることはなくなっていたと思う。ただちょっと寂しい時にたわいないメールが出来ればよい。なるべく気の利いた知的なニュアンスのある相手とメールがしたかった。自己紹介文には荒野にいるウサギの詩を書いた。「さてこれからどこに行こうか」という内容の詩だった。自己紹介欄で自分を説明せずただ短い詩を載せている女性、年齢もなし。  この

          この舟の行方 2

          この舟の行方

           いつの間にかうとうとしていたようだ。日曜日の中央線に御茶ノ水から乗った。マスクはもちろんの事、会話も控えるようにと車内アナウンスがある。黙して行く帰り道、つい眠気におそわれた。  ふと気がつくと並んで座った彼の手が座席に置かれわたしの太腿にくっついている。何かの合図のように感じてその手に自分の手を重ねた。膝の上のバッグを引き寄せ重ねた手は見えないようにした。もちろん彼は応えて握り返してきた。わたしが降りる駅まであと3つ。御茶ノ水から地下鉄で帰れば早いのにこうしてわたしを送る

          この舟の行方