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この舟の行方 3

 彼が帰ったあと、彼が使った灰皿を洗いながら今はまだ土曜日の夕方で、明日は日曜日なんだ、と思った。日曜日ってどうやって過ごすんだっけ。ひとりの日曜日は・・・と考えたらやっぱり寂しかった。寂しい時はわたしは書く、そうやってずっと過ごしてきたはずだった。そうやって詩が生まれよりそう言葉が支えだったはずだ。電話もしない。メールもしない。ひとりでも生きて行こうと決めたはずだった。それにまたすぐに逢える。「愛してる」とまたラインがくる。月曜日になれば。                 

 もしも離れて暮らす夫にメールしたらきっとすぐに返事がくるだろう。夫はいつも「さびしいなー」と言っている。先月会った時も東京に帰るわたしを引き留めたいようだった。でももちろん帰ってきた。こういう時、例えばじぶんが寂しい時に夫にメールするのは卑怯なことだろう。じぶんの都合で動いてはいけない。疑心暗鬼、という四文字熟語はなかなかいい。信じたいのに信じられない心はつらい。わたしはその四文字を捨てきれない夫を思う。もうすぐ夫の誕生日だ。

 一人でも生きていけるようになろうと思った。丈夫な心とつよい身体が欲しかった。気が遠くなるような歳月があった。そしていまここにいる。寂しくない、と思っていた。だけどそうでもないことが分かってきた。それでもこれでいい。さびしいときは寂しさと一緒にいる。猫はいないのでぬいぐるみのキツネのしっぽをさわっている。そして時々彼に逢える。抱きしめてくれる。20数年築いてきた確かなものが揺るぎなく二人にはある。

 たまに夫がここへ車で来て、わたしを乗せてS県へ連れて行く。そこにさえ安らぎがある。恵まれた環境、じぶんだけの部屋、美味しい食事。これは何故だろう・・・といつもいつも思うのだけれどわからない。分からないまま帰りの列車の切符を買って一人で東京に戻ってくる。一人でいることは書くことだ。書くためにここに戻る。

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