これ以上何を望む 3
両方手放さないということは、いずれどちらか或いは両方を失う事になるのだろうと思っていた。
ふと、道を踏み外した時から「何がおきるか分からない、何があっても受け入れよう」と一生懸命考えた。それを「覚悟」とよんでいいのならわたしはその「覚悟」のあやふやさ、先の見えないもどかしさ、姿のみえない怖さにいつも怯えていた、いや、今も慄いているといえる。
これ以上何を望むと自問しながら毎日が曇り空なのはたぶんそこに理由がある。
自由を手に入れた。
どこへ行こうと何をしようとそれはあなたの気持ちひとつですよと、手鏡でメイクをしながら思う。
夏になった。
夫が住む高原はとても涼しい。
加えてそこでは生活費がかからないため
毎年滞在しようかなと考える。
しかし勝手なもので10日もすれば東京の一人暮らしの部屋が恋しくなってくる。
東京には恋人Nも待っている。
この夏、Nと一泊旅行することになった。
20数年のつきあいでも、Nがわたしの部屋に泊まった事は一度もないし、旅行した事も2回しかない。それはないものと思っていたし
自由でいたい2人なので当然かもしれない。
でもやっぱり一緒に出かけるのは楽しい。
「好きな人と出かけて何かを鑑賞したり同じ風景を眺めたり食事をする」というのは2人共通の愉しみであり、互いを認識したり理解したり尊敬したりするささやかだけど大切なイベントといっても良い。
春に夏旅計画が持ち上がり、嬉しくて楽しみにしていた。
そして夫のいる高原にいつ行くか、考えて結論を出しその旨メールで伝えておいた。
しかし今朝、夫から電話があり東京は暑いから早めに車で迎えに行くよと言う。
わたしはちょっと予定があるから、と伝えておいたがその予定が終わるまで部屋で待っていると言う。
実は早めにえきねっとで切符を購入すると格安で入手できるので、高原行きの切符はすでに買ってある。そう言ったがキャンセルすれば?と言われた。東京にちょっと用事もあるという。
電話で良かったと思った。
ウソをつくのが苦手なわたしは下手な言い訳ができないから顔にでる。
結局はどうにかわたしの予定通りになってホッとしたがやっぱりまた冒頭に書いたような自己嫌悪が胸のうちをかすめていった。
夏旅後にすぐ高原に行きニコニコできるのか、平気なのか、と何度か考えた事をまた思った。
東京で何をしていても構わない、高原にきたら笑顔で機嫌よく過ごして欲しい、と万が一夫が考えていたら…と思い、いやいやそんなに都合よくいく訳ないでしょうと否定する。
Nが全てをわかっていて聴いてくれるのが救い。
何がおきても受け入れる。それが災いの類ならどうか自分一人にきますように、家族は無事でありますようにとずっと願ってきた。
昨年、骨折したが治癒した。まだ後遺症で腕がちゃんと伸ばせないけどこんなの何でもない。当初は辛かったけど「大丈夫よ」と思う自分もたしかにいた。
何かに遭遇するたび「これかな?」と思ったり、いやいやまだまだ、と思ったりするのだろうか。
そうやって心身が鍛えられ、少々頑固だけれどものすごく優しい年寄りになったりしたら、それはそれでいいかもしれない。
先が見えないからまだこわい。
だけどそういう生き方を選択したのは自分なので、わたしはわたしを生きていく。
ふんわりした印象の見た目ちょっと若い高齢者が今のわたし。
実は案外逞しくふてぶてしい一面を秘めているとしたら面白く、とりあえずそれを目指していく事にする。開き直るのでも構わないよね、と曇り空を見上げる。
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