【4452字】2024.06.25(火)|桜桃忌を肴に、くっちゃべる。(六)
<前回までのあらすじ>
女性独白体の中で思い入れがある作品として『燈籠』の次に『きりぎりす』を取り上げた。「私小説」というよりも「心境小説」に分類される気がする、と書いてから、脱線モードに突入した。最後は『駆込み訴え』に帰着させて、”太宰に始まり太宰に終わる”流れには持ち込めた。自分にしては、まぁ頑張った方だと思う。(自己採点甘め)
前回(五)の記事をパーッと目を通して、『きりぎりす』について、軽い内容の解説みたいなことで終わっていて、そこから、あまり関係のない話を展開しているのが、僕としては引っ掛かった。なので、『燈籠』に倣(なら)って、『きりぎりす』を読むと思い出す情景を、今日は筆記してみようと思う。
その前に、もう一度、あらすじを確認しておこう。
▶あなたは変わりました。
僕は、この一文にフォーカスして、これまで経験した様々な出来事に、思いを巡らす。読み返すたびに、その情景は、変化していく。その時々で、色んな人のことを、思い出す。
今、パッと思い出したのは、大学のサークルの知り合いのこと。同じ代で入部した男子。それほど親しかったわけではないが、別に仲が悪いというわけでもなかった。言うならば普通だ。普通のサークル仲間。サシで会うことはなくとも、グループ単位でなら、全然普通に顔を合わせるし、世間話もするといった感じの人だ。
彼のことは、大学1年の頃から見て来た。風の噂によると、サークルの先輩の女性と恋仲にあったらしい。いつからかは良く知らない。確か、2つ上の先輩だった。その先輩のことも僕はちゃんと認識出来ていない時期に、である。けれども、そう言われた時、妙に納得する自分がどこかに居た。「あぁ、確かに、先輩と一緒に居る時の方が、良く見るもんなぁ」と思ったからだ。
彼のイメージは、有名人で例えると「森福允彦」だった。「允彦」は「まさひこ」と読む。野球ファンでも意外と読めない人が多いので平仮名表記も付け添えておこう。
森福さんのことは野球をやっている姿と風貌しか知らないに等しいので、イメージ論が先行して申し訳ないのだが、パッと見た時に、ちょっとこう、”パーリーピーポー感”とでも言うのか、第一印象から「あっ、懇意の仲にはなれなさそうだな…。」というオーラを、彼(この「彼」は大学のサークルの同期のことを指す。以降も「彼」と表記する)からは感じ取っていた。これは、良し悪しというよりも、僕の価値認識に委ねる部分が大きいと解釈している。相手の問題というよりも、自分の問題というべきだろう。
彼は、一言でいうならば”ノリの良いヤンチャなヤツ”だった。いわゆる”可愛がられキャラ”である。”イジられキャラ”とも、また違うのかな。イジられることも、あるにはあっただろうけど。なんか、ワチャワチャして、みんなで笑っている様子を、良く見てきた気がする。いわゆる”陽キャ感”が凄かったのは覚えている。それを見れば見るほど、彼から心が遠のいていった感じがした僕は、彼からすると”陰キャ感”が漂っていて、やはり、心を遠のけさせていたのだろう。
「彼」のパーソナルな部分を、ある程度は筆記出来たと思うので、そろそろ話を本題に近付けるため、ガッツリと端折(はしょ)らせてもらう。
そんなこんなで、代替わりして、新たに後輩が入部してきた。大学2年になって、初めて「先輩」として扱われる機会が生まれるようになった。この感じが、僕は、昔から苦手だった。特に、部活動(サークル)の序列の変化は、何回経験しても慣れない。カーストというのか、ヒエラルキーというのか・・・。そういう、コミュニティの諸々の問題に順応するのが、僕はすこぶる苦手なのだ。
なぜ苦手なのか。答えは単純だ。立ち居振る舞いが分からなくなるからである。今までは「大学一年生」としての振る舞いをすれば良かった。だが、これからは「大学二年生」としての振る舞いを求められる。これは大変だ。なぜなら「大学三年生・大学四年生」に対しては「後輩」としての振る舞いを行いながらも、「大学一年生」に対しては「先輩」としての振る舞いを行なうことになるのだから。
そして、更に大変なのが、これまでの立ち居振る舞いによって形成された「レッテル」である。つまり、僕が彼に抱いたように、「あぁ、この人は、こんな感じの人なんだなぁ…。」というやつだ。”レッテル張り”とよく言うが、要はソレのことだ。これまでの経験に基づいて形成された「先入観・固定観念」に対して、どう向き合っていくべきか。僕にとっては、非常に難題であるように感ぜられる。
「初対面の方が意外と緊張せんと話せるんよなぁ…。」
これは僕の口癖の一つ。例えば、旅行等で知り合った人が居たとする。一期一会の関係。バイバイすればもう二度と合わない可能性の方が圧倒的に高い関係。そう割り切ることが出来れば、僕は、何でも出来ちゃうような気分になれる。「お互い良く知ってからじゃないと…。」なんて気持ちは微塵も湧いてこない。どうせ(99%の確率で)後腐れなく終わる関係だ。仮に最悪の結末を迎えたとしても旅行のネタにすればいいや、ぐらいの思いでぶつかることが出来る。
裏を返せば、関係性を築いて来た人との接し方は、僕をひどく困らせる。それも、”付き合いは長いけど深い仲じゃない人”との付き合い方が、僕には全然分からないのだ。俗に言う”上辺だけの付き合い”でやり過ごすのが、最もベターなんだろうとは思う。だが、それが出来ない。何でもかんでも「0か100」で考える悪癖が足を引っ張っているのかもしれない。
言うならば、彼との関係も、そんな感じだった。
彼は、僕が抱いていた”アイツはこういうヤツ”から、大きく逸脱する立ち居振る舞いを見せて、僕をひどく困惑させた。
忘れもしない。あれは冬合宿の頃の話。僕が所属していたサークルでは、夏合宿で、大学3年生は、大学2年生に、サークル活動の中枢を託すことになる。そして、冬合宿は、大学1年生と大学2年生の2学年で行うことになっていた。つまり、冬合宿に「先輩」は存在しないのだ。
当たり前のことを、緊迫感をもって書いてみたが、僕自身、そのことを問題視してはいなかった。「あぁそうか。夏合宿は3学年で行うけど、冬合宿は2学年で行うんだなぁ」ぐらいに思っていた。
ところが、だ。冬合宿をやっている最中、僕は、目を疑う光景を目の当たりにすることとなった。
彼の振る舞いが、明らかに、おかしいのだ。「おかしい」というのは、別に何も、俗っぽい表現で言うところの”ラリッてる”とかではない。断じて普通。なんならシラフ。ただ、明らかに、いつもとは異なるところがあった。そう。”後輩への絡み方”に、僕は強い違和感を覚えたのである。
断っておくが、あくまでも”僕の目から見た彼の姿”である。良し悪しを論じる気は毛頭無い。ただ、彼の振る舞いは、他の同期のサークル仲間と比べても、少々、目に余るように感ぜられた。「あっ、最上級生になると露骨に態度が変わるヤツなんかな…。」と思わせるナニカを、僕は感じてしまったのである。
(「見たくないものを見てしまったな…。」)
こういう体験は、多かれ少なかれ、過去にも経験してきたことだ。「後輩」と接する時、「同級生」と接する時、「先輩」と接する時、相手の立場や関係性が変わることで、コロコロと態度が変化する人は、部活動やサークルに限らず、一般社会では、日常茶飯事のように、起き得ることだ。
そう言っている僕だって、やはり「家族」と「友達」と「恋人」となると、それぞれ、別人格とでも言うべき自分として、振る舞うことだろう。無意識的に。だから、そのこと自体を、ことさらに非難したいわけじゃない。むしろ僕は「分人主義」という考え方に賛成の立場を取っている。
ただ、それを差し引いても、という思いがあった。なんだろう。ワナワナするというか・・・。胸がザワつく感じがあった。「立場が変われば人はこうも変わるものか?」と思ってしまう自分が居たのは、ハッキリと知覚している。
多分、何かが、違うのだ。「分人主義」という言葉で片付けられない何かがあるというのか・・・。体育会系的なノリと言うのか・・・。まぁそれもある。正直苦手だ。あと、”サークルの冬合宿”っていう、各々のパーソナルな部分が赤裸々に見える一大行事なのも、あったと思う。
あの時の一部始終は、僕の中では、忘れられない。詳しくは割愛するが、お風呂上がり、レクリエーションタイムでの出来事だった。ちょうどテンションが上がりやすい時間帯というのもあったのだろう。それでも・・・。申し訳ないが、看過出来なかった。まぁ、そんなことを思っていたのは、あの場の中で、僕だけなのかもしれないが。
あの瞬間を経験してしまった以上、僕は、このサークルで、健やかに活動していくのは困難だ、と思った。代替わりを経て、自分が最上級生になったことで、同期のみんなが、どういう振る舞いになっていくのか、考えるだけで、気が気じゃなくなりそうだった。無論、僕自身、どう振る舞えば良いのか、という問題もあったのだが。
それ(冬合宿)を機に、僕は、サークルに顔を出すのが、億劫になった。誰と、どう接したら良いのか、わけがわからなくなってしまったのだ。”この人はこういう人だ”というのが崩れ去る瞬間は、辛い。
自分自身、周りからどう見られているのかをひどく気にして、”コイツはこんなヤツだ”と思われているだろう、と決め打ちをして、それに合致した自分を振る舞うところがある。それはつまり、逆の立場になった時に、”この人はこういう人だ”と、ありとあらゆる人に、レッテル張りをしてきたからに他ならない。
なんだ、考えてみれば、自業自得じゃないか・・・。
以上。
『きりぎりす』の「あなたは変わりました」から、”同一人物ではあるけれど他人のように振る舞いが変化した人”の存在を思い出すことの多い僕なのだが、フタを開けてみたら、自身の「先入観・固定観念」を肥大化させていたのが、根本要因であると気付くことが出来た。
めでたし、めでたし。
~「七」に続く~
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