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桜桃忌に「桜桃」を読む

今回は毛色を変えて趣味の話です。
6月19日は太宰治の命日である「桜桃忌」です。
中学生の頃、ベタですが「人間失格」を読んで太宰の作品にはまりました。
最近は忙しさにかまけて本を読む時間が減っていますが、この機会に読みなおしてみました。
ネタバレを避けるため、極力内容には触れず感想を述べていきます。

そもそも何故「桜桃忌」なのか?

作家の命日につけられる名前を文学忌と呼びます。芥川龍之介の「河童忌」は有名ですね。個人にちなんだものや、代表する作品から名付けられることが多いようです。
「桜桃忌」の由来ですが、同郷の作家である今官一によって亡くなる前の作品である「桜桃」からつけられたといわれています。
(6月19日は遺体が発見された日であり亡くなった日ではありませんが、太宰自身の誕生日と同日であることから、この日に指定したそうです)。

「桜桃」を読んでみて

この作品は亡くなる少し前に書かれており、太宰の中での葛藤や苦悩が読み取れます(晩年に限りませんが)。家族がいるから頑張れる、という言葉をよく聞きますが、裏を返せば他者の責任を取る、親としての重圧でもあります。もし自分の力が足りず家族を満足な生活ができない、少なくとも自分からはそう見えてしまう状況はもどかしく苦しいのだろうと感じました。太宰自身もまた「涙の谷」があったのでしょう。

太宰は玉川に入水し最期を迎えます。凡人からすればこんなに才能があるのにもったいない、としか思いませんが、この作品を読んでみると限界に近かったのだろうと思います。太宰の作品では他者への気遣いと、自己の拒絶(よく道化という言葉が出てきます)が書かれます。道化を続けるのに疲れてしまったのだと思います。

昨今は他者への糾弾が一種の道楽になり、生きづらくなっているように思います。これはSNSの普及により他者との距離が近くなってしまった弊害に思います。この作品でも「世間体」というテーマがありますが、そうした見えない他者の目は個人を簡単にも壊してしまうかもしれません。誰もが話せる時代になったからこそ、互いに助け合えたらなと思います。

終わりに

太宰の作品は暗いというイメージが有りますが、「御伽草子」などユーモアのある作品もあります。亡くなっても作品が残り続けているのは救いであると思います。この機会にまた太宰の作品を読み直してみたいと思いました。

PS:今週末は学会があるため、早めに更新しました。
こういった趣味に関することもあげていきたいと思います。

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