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わたしの助けはどこから(桜桃忌に)

 太宰治が最後に書いた短編小説である「桜桃」を、2021年の桜桃忌、つまり6月19日に読み返しました。

 桜桃忌、というのは太宰をしのぶ日です。1948年、玉川上水で遺体が見つかった日であり、1909年に彼が生を受けた日、誕生日でもあります。
 この「桜桃」という小説は、「子供より親が大事、と思いたい。」という書き出しが有名で、久しぶりにインターネットの「青空文庫」で読もうとしたわたしも、その一文を最初に目にするだろうと思っていました。
 ところがその一文より前に、こんな言葉があったのです。

われ、山にむかいて、目をぐ。
     ――詩編第百二十一

『桜桃』

旧約聖書からの引用でした。

 引用はこれだけですが、文語訳聖書で続きを含めて読むと、

われ、山にむかひて 目をあぐ。わが扶助たすけはいづこよりきたるや。わがたすけは天地あめつちをつくりたまへるエホバよりきたる。 (詩編第121篇1節~2節)

『旧約聖書』


 とあります。

新共同訳聖書では、 

目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
 わたしの助けはどこから来るのか。
 わたしの助けは来る
 天地を造られた主のもとから。

『旧約聖書』

と訳されている箇所です。

「讃美歌21」156番で親しんでいる方もいらっしゃるでしょう。わたしも、好きな讃美歌です。

 38歳の若さで自ら命を断った作家が、最後の小説の冒頭にこの聖書の言葉を記していたことは、有名なことなのでしょうが、わたしには改めて深い衝撃を残しました。

 彼は助けを求めていたのだなあと……。
 天地を造られた神様を信じたかったのだなあと……。

 太宰治が身を投げたのは、遺書の日付から6月13日だといわれていて、その日を命日とする人もいます。
 わたしは6月14日生まれです。
 だから何だといわれるかもしれませんが、なんとなく、彼から宿題を受け取ったような気がしています。

 あなたは、あなたを助けて下さるのはどなただと思って日々生活していますか、と……。

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