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桜桃忌に寄す―「太宰」というペンネーム

 太宰治さま 
 115回目の誕生日、おめでとうございます。あなたの誕生日の6月19日は、76年前、あなたの遺体が玉川上水から上がった日でもあります。 あなたのペンネームである太宰は、罪に堕ちるという意味の「堕罪」から来ているのではないか、と考える人がいますし、私もそう考えます。21歳のときに心中を試みるも、相手の女性だけが亡くなってしまったあなたは、ずっと自分の犯した罪から解放されたい、と願っていたのではないでしょうか。 
 
 あなたは聖書そのものはもちろんのこと、無教会主義に立つキリスト教伝道者、塚本虎二の雑誌「聖書知識」を10年以上にわたって愛読しました。塚本虎二は、平易でわかりやすい言葉で、新約聖書の日本語訳と解釈を行いました。そして、イエスの言葉を今を生きる我々に対する、時空を超えたメッセージととらえていました。そんな塚本の雑誌を愛読していたあなたは、単なる教養として聖書を読んでいた訳ではなく、イエスの十字架を信じることで罪の重荷から解放されたい、そう願っていたと私は思います。

塚本虎二(1885〜1973)

 あなたは聖書を読み込み、聖句を自由自在に操って小説を書きました。全編に聖句が散りばめられ、ユーモラスに使われている『正義と微笑』(1942)が、私は大好きです。作品は、ブルジョワ家庭の16歳の少年の2年間にわたる日記という形式を取っています。
 申命記でモーゼが民衆に穢れた食べものを説くくだりを読んで、少年はこう記します。「モーゼは、これらの鳥獣、駱駝(らくだ)や駝鳥(だちょう)の類まで、いちいち自分で食べて試してみたのかも知れない。駱駝は、さぞ、まずかったであろう。さすがのモーゼも顔をしかめて、こいつはいけねえ、と言ったであろう。」クスリと笑いがもれてしまいます。

 『正義と微笑』は、あなたのもとに出入りしていた帝大生堤重久の弟康久の日記をもとにしています。堤重久によると、原日記にあふれていたマルクシズムが、聖書の引用に置き換えられたようです。
 堤康久は、『正義と微笑』の主人公の少年がそうであるように、前進座に入って役者の道に進み、戦後、黒澤明の映画『七人の侍』(1954)のクレジットにも名を連ねています。かつて父と映画を観ながら、堤康久はどの場面に出てきているのかなあ、と話したことが思い出されます。 

 話が脱線しました。あなたは、聖書を読み、塚本の「聖書知識」も読んだけれど、最後まで、イエス・キリストが全人類の罪の身代わりとなって死ぬことで、自分の犯した罪はゆるされたのだ、と信じることはできませんでした。イエスが死から復活し、永遠の命を得たように、自分もまた、イエスを信ずることで永遠の命を得られたと感じることはありませんでした。結局、あなたは自分で自分の人生の幕を下ろしてしまいました。

 あなたの死から76年が経ちました。あなたの小説は今も人々に読まれて続けています。あなたはイエスの復活を、永遠の命を信じることはできませんでしたが、読者があなたの小説を読み、小説の向こうのあなたと対話することで、あなたは復活し、永遠の命を得ているのです。

私は、こんな笑顔のあなたが好きです。

『正義と微笑』は、青空文庫でも読むことができます。

 塚本虎二が手がけたもので、簡単に手に入るのは、岩波文庫の『福音書』と『使徒のはたらき』の訳です。



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