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Guitar0127

先日、極寒の中練習に出たらまた見事に指を負傷した、のに加えて、足の指が霜焼けになってしまった。私はあまり自覚が無い冷え症なんだけど(言われて知った)特に末端冷えが酷いらしい。
人が少ない遅めの時間に最近は時間も短くして弾いているんだけど、着込める部分は重ねに重ねているものの、手は弾く時に覆うわけにはいかないし、足先は靴下を三枚はいているものの靴の裏から染みてくる冷たさですぐに凍る。とにかく寒くて割と諸々ダメージがあるんだけど、手先足先は顕著できつい。

そんなわけでまた弾かない日もあったのと、そもそも最近日本語ばかりで英語を歌ってないな(またすぐに衰えるから口が回らなくなるよね)と思って、指への負担が少なそうな何か新しい曲でも探してみるかと、Savage Gardenのコンプリートベスト的なアルバムの中で知らない曲を聴いてみた。

Savage Garden公式(動画)に載っているベストアルバムの曲の中にはダレンの公式名義(?)扱いになっているものがあって、おそらくそれはダニエルが関わっていなくてクレジットというか印税の関係なのかなと思っている。
そしてそういう曲を聴いていると、まあよくある感じの(売れ線?)アレンジで、確かに大衆的には馴染みやすかったりするのかもしれないけど、やっぱり違うんだよなーとなる。
解散以降のダレンの個人名義の曲もちょっと聞いてみたんだけど同じ印象で、サウンド的にしっくりくるものがかなり少ない。前に思い出した、何故か一枚だけ買って持っていた"The tension and the spark"も、サウンド的にフィットしたのは"Dublin sky"だけだったし(そのことにより持っていたことも忘却されていた)、私がSavage Gardenとして好きだった「音」の部分はその多くがダニエルの貢献によって作り出されていたんだなと再認識した。

ダニエルって職人気質で裏方に徹する感じとでもいうか、本当に控えめでメディア対応でも全然前に出てこなかったし、色々演奏する人なんだけど、派手なソロパフォーマンスとかもほぼ無かった。弾くために音を拾っていても「引き」の人でありアレンジャーだよなーとよく感じる。そしてそれがダレンの性質と絶妙なバランス関係を保ち、Savage Gardenのあの独特な世界観、個性を作り出していたのだろう。ダレンもクラスの中心にいるタイプではなかったはずだけど、おそらくダニエルもそう。面白い組み合わせだなと思う。

ダレンは元々マイケルジャクソンやマドンナ等が好きでポップスターになりたかった人だから、ソロの曲は時代の流行に乗ったポップスのアレンジになっていること、加えて、彼のエモーショナルさをより存分に強調した形と歌唱とアレンジがなされていることも多い。でもそれが私にはちょっと居心地が悪かったりお腹いっぱいになったりする。(もしかしたら"Affirmation"みたいに、はじめは違うかなと思っても聴き込めば変わってくるのかもしれないけどね。)
でも、それにしてもダニエルがいたからこそのあのSavage Gardenだったというのは大きいだろう。彼、本当にダレンの良い点を絶妙に引き立てていたよ。引退後は(エンタメではない)ビジネスの世界に行ったそうなんだけど、きっと良い仕事をしていることだろうと思う。相手をよく見て、受け入れて、適切な判断とアプローチができる人だから。

ベストアルバムに収録されている、本アルバム(?"Savage Garden"と"Affirmation"の二作)の本体(?)に収録されなかった(ボーナストラックやシングルのカップリング等になっていた)曲がまたいいんだな、これが。
私はやっぱりセールスのために設定された曲の裏にある作品を気に入ることが多い。
今回歌うことにした"I don't care"もまさにそれ。すごく好き。派手で目立ってわかりやすく多くの人にappealingなもの、ではなかったとしてもね。逆にだからこそ。

この曲は電車の曲(?)で駅で電車が発車する時の風景音?から曲に繋がっていく。乗り鉄だった私としては入りからもうテンション↑↑↑状態(駅の音ってなんか好きなんだよね。もう聞けなくなってしまったけれど)。
ただ、ダレンにとっての(曲中で何度も繰り返される)「この電車」がどんな存在なのかはちょっとよくわからない。パートナーとの思い出の路線?車両?とかなのかな???
ダレンって、関係が壊れたり何かを失ったり混迷の中にある時、外に出て行く人なんだよね。そして人混みの中で「何か」を探す。私は逆だな。特に落ちている時に危険な人間や環境に身を晒したくない。
多分この点が私とダレンの間の大きな差で、彼も生死の問題を含む被虐待者であり重度のアダルトチルドレンであったけれど、不安定ながらも愛着はあって完全に光を失っていない。一方私は愛着無しの絶望で光も無し。「何か」なんて「自分には」無いと思うし外界は危険。大丈夫だと思える場所があった時はまた違ったけれどもね。

私は色んな国に出かけたけれど、オーストラリアには一度も行ったことがない。簡易版だけどビザが必要だから、だったら他の必要ない場所へ行けばいいと、先送りしているうちについに訪問の機会を失ってしまった。
オーストラリアの電車ってどんな位置付けなんだろう?電車って本当に国によって千差万別で、それが旅の楽しみだったりもするんだよね。

私は東京で暮らしてきたから、あの一族の世界から抜け出た後は日常の移動はほぼ電車だった。外から来た人には複雑だと言われる路線の連なりも、それが当たり前だったから乗り換えも含めて普通のことだったし、コロナになる前は趣味で利便性の高い駅まで定期を買って平日はお気に入りスーパー&デパートへ意味もなく買い物へ行き、休日は定期にプラスでどれだけ効率よく移動できるかと考えながら外食や散歩に出かけたりしていた。東京メトロは非常に優秀だからね。地理感があれば、徒歩も組み合わせれば、区部の用事があるようなエリアは湾岸など一部地域を除いて電車で安価で移動ができるし、暮らしと電車が密接に結び付いていた。

都内の雰囲気と似ていて感動したのはロンドン。おそらくあちらを日本が参考にしたんだろうけど、中央線的なCentral line(名前もまんまだね)、山手線的なCircle line、その他複数のUndergroundの路線があって、おー!って思った。地下鉄を使った日に鼻の中が真っ黒になったのには閉口したけれどね。あれ絶対健康に悪いと思うよ。

電車は中長距離都市間移動のものだという位置付けの国もわりとあって、特に欧州の場合はそれが国境をまたぐものを含むというのも面白かった。私はわりとパスポートのスタンプをちゃんと押して欲しいタイプなんだけど、ユーロスターみたいに主要駅で国際線として特急に乗る場合は別として、特に普通列車でまったり移動をしている時に国境を越えても全然係の人が来ないということも新鮮だった(スタンプをもらえないのはちょっと、と思ったけど)。日本の感覚だと国境を越える&海外へ出る&パスポートコントロールがあるはセットだからね。

欧州だと使いやすかったのはやっぱりDB(ドイツ国鉄だな)。ドイツは友達が駐在帯同でしばらく住んでいた時期があって、それもあり、ドイツ語も全くわからず、文化的にもあまりよく知らないのに(私はどちらかというとラテン語ベースの言語の国の食や文化に惹かれることが多かった)一番多く訪問し、わりと広く色んな街をまわった。あ、ピアニストの友人を訪ねに行ったこともあるな。

意外だったのはニュージーランド。環境保護に熱心なイメージとは逆で、ニュージーランドは重度の車社会。人々の足はほぼ車だった。線路が敷かれているのは国内のごく一部のみで、それも地震の影響で使用不可になったりして、私が最後に訪問した三年前?四年前?には国内で乗れる電車は観光列車の路線しかなかった(電車の代わりにバス網が発達しているから、私のような車を運転したくない旅行者でも都市間移動はできる。他にはまあ、飛行機もあるし)。
私が最後に渡航を計画してチケットをとっていた海外旅は三度目のニュージーランドで、その時、その観光列車路線に乗ってみようかと思っていた。コロナの国境封鎖で行けなくなってしまったけれども。もう遠い遠い昔の話。

「彼らは僕が感じ過ぎると言ってくるんだ、でも気にしない、気にしない。」
「彼らは僕が望み過ぎると言ってくるんだ、でも気にしない、気にしない。」

私も"I don' care."はよく思う。
言いたい者には言わせておけばいい。
どうせ永遠に噛み合うことのない別次元に存在する・すべき者なのだから。
不毛なものに自らをすり減らす必要はない。それこそ不毛なことなのだから。

どうしても気になって、気にしてしまう人、いるよね。
でも「自分は自分」「(他)人は(他)人」がしっかり築けていたら大丈夫。

あなたはあなたで、他人に危害を加えるようなことでない場合、そのあり方を他人がとやかく言う筋合いは無い。
それがわからず他の領域を侵食・侵略してくる人間のことなんか、迷わずポイしてしまえばいいんだよ。わざわざそんな人間と付き合う意味は無い。不毛。
あなたのあり方や価値をわかってくれる人は別にいるはず。例えば、今いる場所に見つけられなかったとしても、別の場所にはいるかもしれないよ?環境や集団が問題である場合もあるから、どうしても見つからない場合は別の世界へ行ってみるといい。選択できるのであれば。
捨てにくいものはあるかもしれない。血縁、特に結婚してしまった場合のパートナー、職場等。でもね、捨てようと思えば捨てられるし、延々と攻撃を受け続けるマイナスの日々よりは、失ってもゼロのほうが、相対的にはマイナスが少なくなるとも言える。物は考えようだよ。不快、苦痛を取り除くために逃げる、離れる。全然悪いことじゃないよ。悪いのは加害行為を繰り返す理不尽な人間あるいは集団組織。

私にはもう、ノーガードノーマスクに感染を押し付けられない、理性無き野獣どもに攻撃されない世界はどこにも無いから、それに合わせた「合理的」な解決をはかる。

Nobody can stop me.
"I don' care. I don't care."

生きたい人は生きてね。応援してる。自分を大切に。あなたにはあなたの価値があるのだから。

そして快適に長く生きたいのであれば、絶対に、感染はしないほうがいい。人食いバクテリアまで流行り出して、もはや何がなんだか状態だけど、「飛沫」はマスクでだいぶ防げるから。
どうしても「コロナでマスクをしたくない人」、他にもいっぱい理由はあるよ?インフルエンザも人食いバクテリアも、今は花粉だって飛び始めたんでしょ?
「コロナでない理由」でマスクをしてみてもいいんじゃない?それがたとえ「メイクめんどい」とか「髭剃りめんどい」であったとしても、きちんと不織布マスクで鼻と口を隙間なく覆えば、飛沫は抑えられ飛沫感染する感染症の拡散リスクは下がりあなたも周りも守られる。

感染も感染対策も「お気持ち」ではなく「実質的にどうか」が重要。「対策しているつもり」でも客観的に穴があれば感染するし(ノーマスクは最大の穴)、「移すつもりはなかった」でも「四年ぶりの」とか「待ちに待った」〜でも、冠婚葬祭、学校祭、入学、卒業式でも「子ども」でも移る。感染させた当人がそれを認めようが認めまいが、誰かを感染させればそれは加害行為になる。特に感染させられたくない/感染させてはいけない相手を同居するなどして必死に対策している人にとってはね。





京都のものを見るとうっかり買ってしまう。帰ってから海のものだったと気付いたけど買ってしまったからには食べた。弁当ばかり買っていて、多分疲れているんだろう。辻井さん、前はオリジナルのショップ袋を使っていらしたんだけど、普通の白い袋?になっていた。コストカットだろうね。袋を欲しいわけではないんだけど、デパートに出店する感じのお店ですらこうなんだから、他も色々厳しいんだろうなと思った。
これはニュージーランドのお菓子。私がキャンセルされたエアチケットの振り替え分を使っていただいた先輩が送ってくださった。

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