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Guitar1114

今回のその日の歌はHansonの"Lucy"。ギターを手にした当初、まだコード弾きをしようと思っていた時期に、ピアノの感覚で初心者向け=ハ長調という連想(ハ長調の呪い、その後しばらくしてギターで弾きやすい曲は必ずしもハ長調ではないと気付いた)からハ長調の曲を脳内検索した時に突如浮かんだ曲。

この時に何故太古の昔の記憶から引っ張り出されてきたのかは未だに謎なんだけど、多分ここで洋楽を聴いていた時期と繋がったから、こうして曲を通した振り返り等をしているんだと思う。

空間認識能力の弱さ、やっぱりコードを押さえられないということ、練習環境的に大きな音を出せないという制約等から、コード弾きはほぼ放棄&今のようなベース風の弾き方になって、一瞬挑戦しかけた"Lucy"もお蔵入り状態だったんだけど、ふと、ベース弾きであればこの曲もいけるのでは?と思い付いた。

やっぱりメンバーにきちんとベースの人がいるバンドの曲のベースはドラマチックになるのかな?全てのバンドがそうではないんだけど、例えばくるり佐藤さんのベースラインは凝っていて面白い(けど逆に細かい部分の工夫が覚えにくい)し、Hansonも聞き返してみたらわりと主張のあるベースだった。
一方、サポートメンバーによってベース演奏をしているSavage GardenとかCocco等にはベース控えめなものが多い。
しかしそういえば昔の日本の歌謡曲にはベースがしっかり聞こえる曲が多い気がする。流行の変化なのかな?もしかしたら当時はTV番組でも生演奏が主だったからというのはあるかもしれない。やっぱりライブに行くと(もう3年半以上行けていないけど)低音がしっかり響いているのはかっこいいし、ベースが薄いとペラペラのスカスカに聞こえるから。今は打ち込みとか機械音が普通って人が多いだろうしそういう中ではベースって着目されにくいのかもね。でも私はメロディアスなベースラインが好き。

ベースがわりと動くからちょっと負荷があったんだけど、歌が止まっている時に動くことが多いのは幸いだった(歌と一緒にベースも動くと本当に大変)。

Hansonは確か子どもが7、8人いるとかいう大家族?の兄弟3人によるバンドで、デビュー時は高校生くらいのお兄ちゃん(ベース)、中学生くらいのテイラー君(ボーカル)、小学生?のザック(ドラム)という構成だった。あれ?ギターいなかったのか!?
彼らは確かいわゆる「学校」には通わずフリースクールというかホームスクーリング的な感じの暮らしをしていると聞いたことがある。その時私は
「へえ、海外ではそんなこともあるんだ!?」と思った。

日本では「就学義務」が親に課せられている=親が子どもを「学校に通わせる」ことが「義務」だし、その中で中学までが「義務教育」にされている。加えてその先の高校まではほとんどの人が通う「準義務」状態だ。的にも「(大学まで)学校へ行くことが当たり前」だったので、私はそれ以外の世界を知らなかった。
当時も不登校の子はいたけれど、今よりだいぶ少なかったのではと思う。朧げな記憶を辿ると中学高校のクラスでそれぞれ1人ずつくらいだった気がする。私のいた環境だけではなく、今とは比べ物にならないくらいに「まずは学校ありき」の価値が社会に強く共有されていた気がする。そのせいか謎の無欠席への拘りなどの弊害もあったけれども、親も生徒もまだ学校や教師を(に)信じて価値を置いていたから、今みたいなモンスターペアレンツも学級崩壊なども(0では無かったろうけど)少なく、学校が機能しやすかったのではと感じる。

私は小学時代は楽しく過ごしていたし、中高時代は(ダルいなと思うことはあれど)遥かに地獄な環境=よりはマシだから、学校へ行くのが強い苦痛になることはあまり無かった。高校時代は入学当初からやる気が無くて勉強も部活その他も放棄していたけれども、それ以前は「家の外では」評価され、(出さない内面はさておき)形式的には優等生と映って特に大人にはかわいがられることが多かったし、ピア同士の関係性においても、いわゆる陽キャではなくなった(移住後の)中学以降もアダルトチルドレンよろしく空気を読むので孤立したりいじめられたりすることは無かった。だから、楽しいか好きかどうかはさておき、から出て行ける、危害を加えられない場所があったのはよかった(楽しかったか好きだったかと言われれば中高時代は微妙)。

今はそもそも学校・教師の地位が失墜しているし、国による公教育の軽視と中流の崩壊→貧困層の急拡大で義務教育段階の公立校の環境は悲惨なことになっている。学校文化からドロップアウトしやすい、学校で得られるメリットを享受しにくい貧困層ほど「学校なんか」「教師なんか」ということになり、その程度が強いということも混乱を深めている。理不尽なクレーム対応や授業以外の多大かつ煩雑な事象、おまけに書類作りに追われて授業準備もままならず消耗しきった教師達のあまりに多いこと。学校できちんと授業を受けていれば進学できるなんて、(そもそも私の時代においても文化資本の潤沢な家の子のみのことだったとも思うけれども)今は全くの夢物語だろう。そして豊かな家の子はさっさと塾へ通い、貧しい家の子はどんどんドロップアウトしていく。いずれの家庭の親も子もやはり「学校・教師なんて、、」と思う。事態はますます悪化していく、その負のサイクル、歯車はどんどん大きくなっていっている。

「学校があれば」と「学校なんて」の間には雲泥の差がある。

教員不足なんて「魅力発信イベント」なんかで無駄金を使っても解消なんかしないよ。まあ、そんな馬鹿げた発想の裏は利権中抜きで「お友達」に金を流したいだけなんだろうけど、本当に的外れ。きちんと教師が適切に本来の業務を行えるようにするための環境整備、そして学校外でも貧困層対策に予算をつけなければ何も変わらない。

教員のなり手が少ないことは、力ある教員の減少にも教員の多様性の膠着化にも繋がる。色んな教師が学校にいるって、本当に大切なんだよ。子どもだって色々なんだから、同じような大人ばっかりいてもその固有のニーズや問題に寄り添えない。教師だって向き不向き得意不得意や個性があるんだし、当人の力を発揮しやすいところできちんと力を使えたほうが良い。子どもだって色々な大人を見られたほうが良い。
忌野清志郎さんの「僕の好きな先生」みたいな先生、この時勢じゃ入らないし 生き残れないでしょう?私の高校時代にもアル中みたいな先生とか宇宙人みたいな先生とかいつも泣き言を言っている厭世的な先生とかなんだかよくわかんない人達がいたし(進学校だったからいわゆる学校歴の高い人が主だったけど)、その一方で私のの環境のおかしさを指摘し本や図書館、大学と繋いでくれた先生もいた。色んな大人がいたから、それぞれに合った人と必要に応じて繋がることができた。

教育は学校・教師の専売特許なんかじゃないし、学校や教師以外の場や存在を活かすことも大切なんだけど、それでも、学校や教師がきちんと社会的に価値を置かれて、子どもを適切に支援できる環境・目を維持することはとても重要。特に機能不全家庭、中でも外傷等から他人に気づかれやすい「身体的虐待"以外"の被害者達」特に「一見外面の良い恵まれた家庭に演出されている環境下にある子ども達」には、確かな目と知識を持つ教師が学校にいることの意味は極めて大きい。そこがほぼ唯一の糸口になるから。

やりがい搾取で安く使い潰せる「人材」を効率的に集めようなんて目論んでも到底諸々うまくはいかない。きちんと人を大切にすること、大人も子どもも、自分も他人も、それが大切。
自分の都合欲望だけで他人を蹴落とし犠牲にする精神性は荒廃を生むだけ。その荒廃は、たとえ見ぬふりをしていたとしてもやがて自らにも返ってくる。

コロナのノーガードも同じこと。「今ここ自分だけ人間」の群れには理解などされないだろうけどね。
コロナの本丸は後遺症、身体中にできる微小血栓。特に複数回感染者は冬場はなおさら循環器系に注意したほうがいい、冬場だけでなく今後はずっと(中長期のデータで影響が消えていくというデータが出れば別だけど)。あとは免疫不全。
そんな状態に他人を、自分もしたいだなんて、私には本当に信じられない。
ヒロポンで楽しくインパールすることを強制されそしてそれによる被害が不問とされる世界なんか、この先を見るまでもない。

野鳥版日本語↓
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ルーシーの元から去ったあの日
彼女の瞳から流れた涙のことを覚えている
僕には今はもう誰もいない、なんて馬鹿げたことをしたんだろうと思うよ
ルーシーの元から去ったあの日に

ルーシーの元から去ったあの日
彼女は涙して、「さよなら」と言った
そうして済んで、終わったことなんだ、そして僕は独りぼっちになった
ルーシーの元から去ったあの日に

今僕にはもう歌える曲が何にも無い
だって君は全て、僕にとっての全てだったんだ
あの日まで気付いていなかったけど、今はこう感じている

今僕はルーシーがいなくて寂しいと思っている
君は彼女が元気にしていると言ったね、僕もそうあってほしいと思っているよ
僕には今はもう誰もいない、そして代わりになる人などどこにもいないんだ

ルーシー
大好きなルーシー、ルーシー
ルーシーの元から去ったあの日に嗚呼僕は、、僕のルーシー
ーーーーー

だったら何故別れた?とツッコまずにはいられない曲。まあ、その大切さに気付いていなかったとは書かれているけどさ、、しかも自ら振っておきながらの"My Lucy"なんて恐怖。。なんだけど、サウンドは好きでHansonで一番聴いた曲でもあった。

覆水盆に返らず。


春菊を買ったので鍋にするかと思ったんだけど他が備蓄しか無くて育てているものを集めたらキク科ばかりになってしまった。キクイモ、金時草、春菊はキク科。アサツキ等はユリ科。あと間引いたカラシナも少しだけ(アブラナ科)。
まあ、煮るとこうなるよね。

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