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Coda or to the end(3月)

元所属や法人におけるパワハラとハラスメント対策の機能不全について全体的なことはFrom middle of nowhereへ。

ピアノを習っていた時、曲の終わりの部分は「コーダ」と呼んでいた気がする。対になる冒頭部は何て呼んでいたんだっけ?と思い出そうとしたんだけど「イントロ」以外の語が出てこない(ロックの場合は「イントロ」「アウトロ」で対で呼ぶ気がする。「コーダ」はイタリア語だと思うんだけど「イントロ」は英語だろうし対としてはちぐはぐ感がある。調べればすぐわかることだろうけど)。


月初めに「もしかしたらできることがあるかもしれない」となり、そうだとしたら昼間に外に出る練習をしておかなければならないと思い立ち、相変わらず決めたら速い性分なので、即、京都へ行ってきた。

梅の後、桜の前の京都はイベントも少ない閑散期で、観光客には魅力が少ない時期なのだろうけれども、ただ滞在するのが目的の私にとってはむしろ好都合。人を避けつつ桜餅を買ったり散歩したりして過ごせれば充分だと荒く荷造りをして、例のごとく始発からの延々鈍行で、静岡の苦行に耐えながら移動した。

いつもの繰り返しになるけれども、ノーガードノーマスク化後の新幹線は極めて高リスクである。長時間の密室、大人数、近距離、ノーマスクの会話によって、車内に滞留し浮遊するウイルス量が(多少の換気をしているとはいえ)多くなりすぎるのだ。これではいくら感染させられたくない者がたとえ高性能マスクをしていたとしてもairborneの曝露積算量が嵩み、空気感染を避けられなくなる。
だから私は上洛する際には普通列車を使う。普通列車であれば、一定時間で訪れる停車駅のドア開閉で強制的に空気がある程度は入れ替わるし、基本的には近隣の移動を目的に利用する客が多いので、感染者とずっと同じ空間にいさせられるリスクも少なくなる。指定席でないので、ノーマスクだったり咳き込んでいたりと危険な人間がいたら車両や位置を変えることもできる。
そして、その上でさらにリュックを抱えうずくまる形で目も閉じて、目鼻口という感染経路に飛沫が直撃することと、顔とのマスク間からの空気の流入を抑えて、呼吸も控え、ひたすら耐えて移動する。始発で出れば特に混雑リスクの高い首都圏の通勤ラッシュを逃れることもできる。きつくても苦しくても、できることはする。

このように、採りうる選択肢があれば、その中で可能な限りの工夫をして、たとえ労苦はあったとしてもリスクを下げた上で目的を達成することができる。

ちなみに、コロナ前は趣味で定期を買い目的もなく毎日電車に乗り適当なところへ出かけていた乗り鉄の私は、今は上洛時以外、都内で電車に乗ることは無い。
ノーマスクだらけの電車内は乗車リスクが高過ぎるので、「上洛」というどうしようもなく他に代替がきかない理由が無い場合を除いて、そもそも電車に乗ることや電車に乗らなければいけない状況を避けるほうが遥かによいからだ。

京都はパンデミック以降、私が移動した唯一の土地なんだけれども、それも、学生時代から、まずはくるりライブの遠征で、その後何故か街自体が気に入って年に何度も訪れ街中ひたすら歩いて過ごしてきたことの蓄積から、(自他共に)リスクを避けた滞在方法について確実に思い描けた場所だったから。
京都は市内に一通りの街の機能がまとまっているので普段とあまり変わらず都市生活を送ることができる。加えて京都は街の人の日常と観光客の世界が棲み分けられていて、居住する場合はまた変わってくるけれども「よそさん」として滞在する分には、街の人にとって"one of them"でいられるところも「持ち込み」リスクとの兼ね合いで良い。私は観光客ではないけれども、街の方々の世界を知っていてそこを侵略しないように自分の動き方を調整できるから、その中で感染しないさせない楽しみ方ができればいい。

リスクをコントロールできれば、リスクコントロールができない場では到底行いえないことも行うことができる。

私はもう都内で外食をすることはないけれども(常に人が多すぎるし途切れることのないリスクを超えてまで飲食したいと思えるところもそう無い)、京都で安全な環境が確保できる場合には、喜んで美味しいお食事(だいたい京料理)をいただいている。店内の環境、客層、大将や板さん、配膳の方の確実なマスク着用について知っているお店で、時間を選んで、さらに状況を確認調整した上で予約入店をする。
今回も店内に客一人の貸し切り状態で、ゆったり美味しいお料理を味わってきた。ちなみに私は生ものがダメなので、それについてもいつも事前に伝えて別のものに差し替えていただいている。(きちんとしたお店で特にお店の方との関係もあるようなところだと、お造りの代わりに蒸したものにしました、とか、焼き魚にしました、とか素材ごと替えてこうしておきました、とか、快く対応してくださる。当日いきなりだと難しいこともあるから、事前、予約時に伝えておくのがこちら側に必須の配慮ね。)

ひな祭りの後の訪問ではあったんだけど、シーズンだからそれらしい感じに。
器だけなのかと思っていたら中身があった。
「鮑はちゃんと蒸してます」って説明してくださった。
「イクラどうします?」って確認してくださった。食べられなくはないんだけど抜いてもらった。
私は外食は好きで美味しいものが好きなんだよ。危険に晒されることがなければ楽しみたいんだよ。
肉も魚も卵も、生では食べられないけど火を通せば好きなんだよ。


今回は入りがちょうどひな祭りの日だったので、三十三間堂の春桃会へ寄った(閉場ぎりぎりにね。多少人が退いてる可能性があるから)。

けれども仏像の間?は危険なのでのんびりお庭を歩いた。

桃の花たくさん


その後は市比賣神社へ。

お人形が飾られている

京都は私が知っているものと飾り方が逆なので面白い。あと、私にとってはお雛様は久月なんだけど、それも東京の感覚だよね。京都で飾られているのを色々見た中に久月はまず無かった。人形の顔の感じもちょっと違う。


これは引千切というひな祭りの時期のお菓子。色々寄り道していたら遅くなってしまい、買いたいところは売り切れてしまっていた。

ちらし寿司のお弁当を買って食べた。


したいことを何でもかんでもフルにできるわけではないけど、可能な範囲である程度、でも充分に意味は生じる。「0か1」しかない世界の人間には伝わらないだろうけど。

翌日以降は基本的に梅見、お散歩&お菓子の繰り返し。人がいないところでお花を見て、陽を浴びて、ひたすら歩いて、一日一個は桜餅、そしてその他食べたいものを食べに食べた。糖質過多でお腹が出てきても気にしない。私がこんな風に過ごせるのはもう京都だけだから。

梅小路公園の電車スポット
北野天満宮の飛梅
御苑の桃
下鴨神社の紅梅?
御所の梅。白梅は間に合わなかったね。
こっちは仙洞御所。歩いていたら当日受付しているのを見かけて申し込んだ。

一週間弱滞在し、週末を避けて帰宅した。現地で様子を見て大丈夫そうだったら延泊のつもりでいたんだけど、閑散期の平日であってもインバウンドや修学旅行生が溢れており、週末はとても無理だと判断したためだ。

したいこと、いたいところがあったとしても、それを可能にする環境でなければ、離れるしかない。

移動をして、久しぶりの外食も楽しんだけど、コロナにも麻疹にも感染はしなかった(麻疹の場合はまだ油断はできないけど)。全て自分で環境を調整し、下げられる限りリスクを下げた上で行えたことだったから。
気を付けながらでも、したいことは行える。

退職してもうすぐ一年になる。私がここまでコロナに(おそらく)かからずにこられたのは、自分で環境をコントロールできずノーガードな人間から常に避けられないリスクを突きつけられ続ける職場を離れたから。
AngamaさんもMakita先生もそうなんだけど、オフィス勤務を離れ基本的に自宅で過ごしてきた&極力他人(特に大人数)と長時間過ごさない、雑踏にも出ない層しか、ここまで未感染を維持できなかったのではないかと思う(ノーガード達の「感染したことがない」は「ただの風邪だと思っているもの」に感染して諸々損傷を起こしているのに気付いていない/認めていないだけなので適当ではない。街中で汚い咳をし鼻をすすっているのは九割方ノーマスクだし)。
Angamaさんはそもそも街に出ることすら年に一度あるかないかくらいでお仕事もご自宅で基本ウェブ完結で行っていらっしゃる。お食事も食材取り寄せで自炊なんじゃないかな(私もここまで徹底できればいいんだけど、どうしても取り寄せできるものだけでは満足しきれなくて嗜好品を買いに出てしまう。娯楽が「食」だけになってしまったからね、、)。
Makita先生も基本ご自宅で過ごしていらっしゃるようで、おそらく外食は避け食材を買い出して家でお食事なさっている写真がよくTwitterに上がっている。
私も都内ではもう夜間の買い物以外に外出(もちろん外食も)せずずっと家で過ごしている。

自分では変えられない環境、人が、職場が、仕事がリスク。だったら全て手放すしかない。
私にも在宅でできることがあればよかったんだろうけど、残念ながら私はネット不信でもあるので、ウェブからは自分を極力切り離しておきたい。どうしても生きるためにお金が必要で、なんて状況だったら、オンラインで家庭教師でもしただろうけど、あいにく生きる必要もそのための日銭の必要も無かったんだよね。おまけにインボイスなんて意味不明なものまで始まったので、そんな無駄な負担を負って不快な思いをしてまで稼ごうというモチベーションが全く生じない。「全てやめる」のが最も効率的。

「0か1か」、"All or Nothing"を強制されるのであれば、私にあるのは0とNothingだけ。

1年間もよく何もせず引きこもっていられたなと思う。ずっと外篭りで家には寝に帰るくらいでしかいない生活をしてきたのに。
回遊魚のように、止まらないように、カリキュラムもバイトもライブも旅行もとにかく詰め込んで過ごした学生時代。網目を縫うように3つの職場を掛け持ちして、やっぱり隙間にライブや旅行を詰め込んで、必要もないのに毎日電車に乗って謎のデパ地下やスイーツ巡りをしていたコロナ前。

振り返れば全ては過去だ。

今は不思議と穏やかな気分でいる。
できるかもしれないなんてことはやっぱり無くて、それでも気の迷いでもおかげで京都へ行けたのは良かった。


何の安全も保障されず、他人にリスクを押し付けるのが当然だとノーガードを貫く人間を避けられない中では息をすることもできない。

息をするのがリスク。だったら息を止めるしかない。
生きることがリスク。だったら自分を手放すしかない。
殺されるよりは終わらせるほうが、遥かにいい。

不毛な1年が終わる。ここまで来ずに終えていたはずなのを随分引き延ばしてしまった。
"_23"は、年度のことだったのかもしれない。


ループはこりごりだ。"new day"だってわかったもんじゃない。それでもこの救いのない世界よりは、ずっといい。


後になって気づくことが色々ある。
もうやめてしまったギターだけど、始めた頃に浮かんできて弾いていたゲーム音楽のメロディー、それらは何故か主にスーパーファミコンの時代のもので、当時私はわりとゲーマーだったんだけど、PS以降、少しずつ離れていった。特にPS2以降はハードを持っていなかったというのもあるんだけど、そもそも買おうという気も起きなかった。
そんな中、友達が「もう使わなくなったから」ってPS2をまるっと貸してくれたことがあったんだけど、リメイク版のDQ4だったかな、昔は2Dで延々とプレイしていた作品が、3D要素が入ってきた時に私は酔って気持ち悪くなってしまっていた、というのを最近ふと思い出した。
やっぱり私は3Dの空間認識がおかしいようで、それは車酔い(私は車にもよく酔う)とも関係している気がするし、「耳」や「聴力」とも繋がっている気がしている。(ついでに電車が好きなのにも、電車では(車と違って)酔わないからというのがありそう。車と電車のどこが違ってそうなるのかはまだわからないけど。)

私はずっと、遠くへ行きたかった。西洋、京都。自分が生まれた環境からできるだけ遠いところ。そして「連れ出してくれるもの」が好きだった。も音楽も食も旅も、電車も。

何がどう繋がっていって、それがいつ見えてくるか、なかなか掴めないけど面白いね。
謎感覚や耳のことについてはもうちょっと解きほぐしたかったな。

この一年がコーダだったのかもしれないし、あるいは年末に終えられなかった後、もしくはギターを失ってからがコーダだったのかもしれない。

ギター、あれから一度もケースを開くことすらない。カビちゃったりしてないかな。ごめんねギター。うまくはなれなかったけど楽しかったし、色んなことを思い出したり考えたりできたよ。ありがとう。


3月8日が「March +ヤ」ということで「町屋の日」というイベントが行われていた。訪問したお宅に生けられていたお花。小原流だって。

ミモザの日とかミモザとか、最近ずいぶん定番化したよね。
私は先生の研究休暇@ヴェネツィア中に訪問したイタリアで、ミモザの日のことも、ミモザのお花のことも初めて知った。初イタリアは春休みでちょうどミモザの日の頃だったな。イタリア語サークルの子と一緒に行った。レストランで食事をしていると花売りの人が来て「いいからいいから」って、先生が断っていた。

先生には今回も連絡しなかった。

何だか色んなことを散発的に思い出す。



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