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Guitar1108

今回の「その日の歌」はBritney Spearsの"Lucky"。この間、TLCの"Unpretty"を歌って思い出したから。ブリちゃんの作品中で一番好きだった曲。

Britney Spearsはミッキーマウスクラブという子ども番組?の出身で、当時のティーンのポップアイコンだった。同じくミッキーマウスクラブ出身のアイドルは他にもいて、彼女のライバル?だったChristina Aguileraや、当時もその後そして今も何かと話題のJustin Timberlake、その他'N SYNC(Justinが所属していたボーイズグループ、Back Street Boysの次くらいに出てきて人気だった)のメンバーの一部もそうだったはず。
制服姿でのダンスが印象的なデビューシングル("Baby one more time")がいきなりどかんと売れて、一躍トップスターになったBritneyなんだけど、その後発売されたデビューアルバムは、CDジャケットからしてまだ素朴さが残る若くて元気で健康的なー実際のいざこざとか肉欲とかからはまだ遠い「恋に恋する」ような時期の女の子が歌う曲が多く集まっている感じだった(アルバムではむしろ"Baby one more time"のほうが異色だったかも)。ライバルのChristina Aguileraがわりとデビューアルバム時からセクシー路線で細い身体で露出も多く細眉で眼光鋭い感じとは対称的で、私にはBritneyのほうが親しみやすかった。年上だけど「ブリちゃん」と飛べる感じとでもいうか(Christina Aguileraは「アギちゃん?」なんて呼べる感じではなく「アギレラ様」という感じだった)。

イメージ戦略なのか南部の出身だからなのかわからないけれども、ブリちゃんは確か「結婚まで処女を守る」的な発言をしたり、それを受けてか「本当に処女なのか?」と司会者だったかインタビュアーだったかに質問されて本人の目が白黒するといったようなこともあったと思う。何でわざわざそんなことを言う/言わせるのか、まして不躾な質問をするのかと私は思っていた。

2ndアルバムは前作に比べるとだいぶ大人っぽい感じで、最初にシングルカットされた"I'm not that innocent"と歌う"Oops I did it again"はあまり好みではなかった。"Lucky"はその次にシングルカットされた曲だったと思う。こちらはサウンド的にも歌詞的にもストライクだった。しかしこれをブリちゃんに歌わせるのはなかなか残酷では、、とも感じていた。

今回、PVを見返して本当によくできていると改めて思った。売れっ子ハリウッド俳優とその子に「それで大丈夫なの?」と語りかける妖精?なのかメタな自分なのかの二役を両方ブリちゃんが演じているんだけど、特に妖精役の方が抜群にうまくて、だからこそ切なかった。

私がブリちゃんをオンタイムで聴いていたのは2ndアルバムまで。その後は記憶が欠落している&洋楽から離れていった時期なので、彼女がより過激?になりそして各種の奇行乱行(結婚後のすぐの離婚やバリカン坊主事件?等)が話題になりすっかりお騒がせセレブ的な公衆のおもちゃになっていた頃の曲や状況はあまりわからない。
しかし、ごく最近、手記で「19歳で妊娠、中絶をしていた」しかもそれが彼女は妊娠を喜び産みたいと思っていたのにもかかわらず相手であったジャスティンが結婚や出産を望まなかったから、加えて彼女の父親が中絶を認めない人物であったため、本人、ジャスティンと付き人以外の誰にも知らせず、秘密裏に堕胎を行わねばならなかったということが公表されたことに私は絶句した。
当時いずれも売れっ子のブリちゃんとジャスティンが付き合っているというのはわりとオープンにされていて、その後別れたということも、ジャスティンが(結婚まで処女を守ると言っていた彼女と)性行為を行ったと言ったということも話題にはなっていたんだけど、その裏にさらにこんな事実があったとは。。(って言うか、中絶させておきながらのその発言って、いったいどういうこと???)

父親が中絶を絶対認めない立場だということは、やはり南部の強い保守層なんだろう。そういう家庭、価値観の中で育ったからこそ、彼女は全く必要のない純潔宣言をしてしまったのかもしれない。そして、いくら派手なショービズの世界にいるからとはいえ、発言と実際の乖離には罪悪感のようなものもあっただろうし、ましてや10代の中絶である。それも本人は産みたいと思っていたのに認められないという不本意な形での。。
勿論、当時(おそらく私が何か雰囲気変わったよなあと感じていた2ndアルバムの頃)は本当に人気の絶頂で、現実的にはなかなか厳しいというのはあったとは思う。でも2人で熟考の末「今はその時期ではなかった」と納得して、その後も前提に双方の合意のもと決断したならまだしも、妊娠を喜び家庭を築くことを望んだ気持ちを一方的に、相手に強く否定拒絶され、不本意な堕胎を行った上にさらにメール一通で別れを告げられ、加えて「関係を持っていた」と暴露されることにまでなるとは。
南部の保守家庭の価値観を抱えながら宣言とは真逆の行為をしていたのも、おそらくそれだけ相手が彼女にとっては特別だったからだろう(幼稚な判断だったとしても)。たとえ明確に将来の約束をしていなくても、妊娠を知った時の彼女の(一般的には非現実的な)「産みたい」という気持ちや喜びからしても、妊娠が結婚出産と一体化した価値観の中育った彼女にとっては、二人のその後を前提としたものであったのだろう。
本当に不憫でならないし、その深い傷が後々の奇行乱行へ繋がっていったことは容易に想像ができる。加えて、成年後見人制度下の父親とのことを聞くにつけ、彼女の育成環境も機能不全家庭的でそれへの反発が若年妊娠中絶や結婚離婚など異性関係やその後の派手で乱れた生活の背後にあったのではと思わずにはいられない。

中絶の具体的な時期はわからないんだけれども、"Lucky"のPV製作はその前後だったんじゃないかと、今回、あの妖精?の演技を眺めながら漠然と思った(CDレコーディング自体は妊娠前に済んでいたはずだけど)。なんというか、あまりに身に迫ってくる感じがして、、本当に悲しい。彼女は何を想ってあれを演じていたんだろうか。

野鳥版日本語↓
ーーーーー
これはLuckyと呼ばれている女の子についてのお話です

朝早くに彼女は目を覚ます
ドン、ドン、ドンとドアをノックする音が響く
さあしっかりお化粧をして完璧なスマイルを作る時間よ
皆があなたを待ち望んでいるんだから
人々はこう言うの
「彼女かわいくない?この、映画に出ている子」
そして人々はこう続けるの
「彼女は本当に恵まれている。彼女はスターだ」
でも彼女は心に孤独を抱えて泣きに泣いているの、こう思いながら
私の人生に欠けているものが何もなかったのだとしたら
だったらどうして夜こんなに涙が溢れてくるの?

何だかよくわからなくなってしまったの、夢の中で
でも目を覚まさせて救い上げてくれる人はそこには誰もいなかった
そして世界は回り続け、彼女は成功し続ける
でも教えてほしいの、今こうして起きている事はいつ終わるの?

人々はこう言うの
「彼女かわいくない?この、映画に出ている子」
そして人々はこう続けるの
「彼女は本当に恵まれている。彼女はスターだ」
でも彼女は心に孤独を抱えて泣きに泣いているの、こう思いながら
私の人生に欠けているものが何もなかったのだとしたら
だったらどうして夜こんなに涙が溢れてくるの?

「主演女優賞を、獲得したのは、Luckyです!」
「ポップニュース社のロジャージョンソンです。Luckyを待ってアリーナの外にいます。」
「ああ、遂に彼女がやって来ました!」

「彼女かわいくない?この、映画に出ている子」
でもどうして彼女は泣いているの?
彼女の人生に欠けているものが何もなかったのだとしたら
だったらどうして夜こんなに涙が溢れるの?
人々はこう言うの

「彼女かわいくない?この、映画に出ている子」
そして人々はこう続けるの
「彼女は本当に恵まれている。彼女はスターだ」
でも彼女は心に孤独を抱えて泣きに泣いているの、こう思いながら
私の人生に欠けているものが何もなかったのだとしたら
だったらどうして夜こんなに涙が溢れてくるの?

「彼女かわいくない?この、映画に出ている子」
そして人々はこう続けるの
「彼女は本当に恵まれている。彼女はスターだ」
でも彼女は心に孤独を抱えて泣きに泣いているの、こう思いながら
私の人生に欠けているものが何もなかったのだとしたら
だったらどうして夜こんなに涙が溢れてくるの?
ーーーーー

散々メディアのおもちゃにされていた彼女にこれを歌わせるのはなかなか酷だと当時から思ってはいたんだけど(良い曲なんだけどね)、さらに中絶のことまで重なっていたと思うと、、妖精の表情があまりに切なくてちょっと泣いた。

ダレンもインタビューでブリちゃんの名前を出してメディアの不適切な扱いについて語っていたけれども、たとえ売り出し中のアイドルだったとしても、ショービズの世界にいたとしても、中身は尊厳を持つ一人の人間である。軽々しく無配慮に扱いおもちゃにしてはいけない。そして端からすればいくら恵まれているように見えていたからとて、それが当人の幸せであるとは限らないことも忘れてはならない。

私は何かと注目され騒がれる皇族(&元皇族)姉妹のことも本当に不憫でならない。こんなことを言うと不敬だとか言われるんだろうけど、彼女達は(母親とは違って)好き好んで皇族になったわけではない。生まれた時から「そうなってしまっていた」けれども、それは彼女達の選択ではない。何かと(望みもしないのに)好奇の目に晒され、自分の意志は認められず、窮屈な暮らしをしているのにすぐに税金で生きているくせになんて言われてしまう。実際、姉妹は同志として「抜け出す術」について語り合ってきたそうだし、異例の進路選択についても私には非常に納得するところがあった。そしてお姉さんが結婚関連のいざこざの中、複雑性PTSDだと発表されたことや延期に次ぐ延期の末の会見でのやはり異例な発言について、そしてその後念願叶って日本を脱出したことについても。

私なんかはただの土地持ち中流層の家だったけれども、それだけでああなんだから、皇族の世界なんてその比ではないだろう。
経済的に恵まれているように見えたって、対外的に良いイメージを繕っていたとしたって、その中で個人の幸せが成立しているとは限らない。特に「である」の世界では既存のしきたりや合意が強く個は埋没させられる。皆ががんじがらめで囚われながら他人もその渦に巻き込んで絡め取り一体化していく形だし、逃れようとすると報復がある。

アイドルだから、スターだから、皇族だから、恵まれているからって、好き勝手していいのか?あるいは雇ってやっているから、仕事だからといって何でもよしとしていいのか?目の前に、それぞれの、尊厳持つ人間がいるということに、どうして思い至れないのか。

若くても女性でもアイドルでも皇族でも非正規雇用でも外国籍でも性的あるいはその他のあらゆるマイノリティーであっても、皆が等しく人権を有している。

成年後見人制度による軟禁状態からの脱却を経てブリちゃんがようやく自分の口で語ることができるようになってきたように、ずいぶん昔から本の出版もあり裁判も行われ判決が出ていても無視され続けてきたジャニーズの件がようやく認知されたように、ずっと不問とされたり有耶無耶にされたりしてきたマルトリートメントが検討されるようになってきたのは、それだけで充分ではないけど前進だと思う。

酒やタバコがそうであったように、ニッポンが大好きな「直ちに影響はない」「アンダーコントロール(していることにした)」な放射能やコロナも、中長期の結果が出てくる時にどうなっていることか。この社会はそれまで盲目的に猪突猛進のノーガードを直走るんだろうけど、ノーガード当人は別として、その犠牲者、被害が少しでも少なくなることを祈るばかりだ。

人も自分も大切にできる社会であればよかったのにね。その場で目に見える悪影響が顕著になるまで「今ここ自分だけ」人間達は止まらない。公害病も薬害各種もそうだった。障害者の断種もハンセン病の隔離も、問題だと捉えられるようになったのは当該事象の何十年も後だった。
20年後に生きている人はこの時代をどう振り返るだろう。その史料として、こうして記録を遺している。決して皆が皆「バンザイ」のインパールをしていたわけではない。少なくとも私は。


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