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低刺激な毎日に何を想う
いろいろあれど、穏やかで不変な日常が今のところ続く。
刺激が足りないのか、私の文章は破裂しないようで、またしばらく更新が怠っていた。
3記事に渡って書いた嫌がらせの犯罪者の件は、警察にまかせることになりこれ以上は書くことを控える。度が過ぎた真似をしたことを、後悔するといい。
不変でも毎日なにかしらの動きが合って、不安があって、安定があって、愛があって、そんな日々を送るが、文章が途絶えるのには何
サディスティック・ラブ
ちりちりと針が体に刺さるような痛みがする。プライベートで少々立て込んでいて、正直しょうもない私怨に付き合っている時間などない。
仕事とプライベートと自分の体調管理の方が大事で、そちらに時間をかけるほうが人生にとって必要だからだ。
これ以上バカみたいな恨みつらみを吐いてこないでくれ。自分を美しくする努力にでも使う方がいいだろうから。心も見た目も。
そんなことはさておき、神様は乗り越えられない試
特性のサポートの中に「共感覚」を
時は穏やかに流れ、心は少しずつ癒えていく。周りの人に感謝しながら、今やるべきことをやる、床に這いつくばってでも。だけど少し疲れたら、無理せず休んで、また歩き出す。そんな風な毎日を、今。
色々な特性があっても、心は幸せで満たされるべきだ。「普通と違う」?そもそもの「普通」の定義に疑問視するべきであって、今は個性を尊重する時代。受け入れられる時代になった。
様々なものはそれぞれに使いやすいようカス
芸術は色んなところに溢れている
趣味の範囲だが作詞を初めて見た。以前から書いてみたくて、色々調べてみたりしたけれど周りに詳しい人がいなくてどうすればいいのかわからないままで止まっていた。
だけど今音楽に詳しい人たちに囲まれていて、オリジナルソングを作る人もたくさんいて、いつか夢見た作詞をしてみたいなぁ。って思って書いてみることにした。
私が作詞に夢見た理由はこれだ。
これは私が文章を「きもちわるい」と言われていた頃に思って
未来を若者へとつなぐ。そして、共に紡いでいく。
GPUの収録が年明けに迫ってきた。
若者に私は何を伝えたいだろう、そんなことを日々考えてみる。
学生が企画運営するオンライン大学校GPU
未来を担う子供たちに、ワクワクや、希望を持ってほしい。若い頃は狭い選択肢しかないものを、「こんな方法や道があるんだ」と知ってほしい。大人はその道しるべになって、子供たちのやってみたいこと、なりたい自分を作る手伝いをしてあげるんだ。
代表である山本社長はとて
わたしの世界がおわるまでに
愛はなくならなくてどんどんと湧き水のように溢れ続けるから、だから怖がらずに与え続けたらいい。人だけじゃなくて動物や草木、大地の恵み、地球にも。でも一番最初に与えないといけないのは、自分自身。
自分がいっぱいに満たされてから、そこから溢れる愛で周りを愛すんだ。
私はそう周りの人たちから愛し方を学んで、だから生きてこれた、こんな歳まで。
私がclubhouseで開いていた葵部屋を「緊張と緩和の緩
優しい歌声はパステルカラーで包まれるー共感覚と聴覚
今日は1日オフにして、体をゆっくり休めながら応援企画に参加してくださった方の収録を聴き返し、ひとりひとりコメントをしていった。
告知も含まれるが、最終的にstandfmのこのタグはこんなにも多くの人からの温かいエールが届いた。Twitterや、noteで応援してくれた方もいる。
ひとつひとつ、最後まで聴いてからコメントを返す。感謝と感想を交えながら。収録は同じ歌を歌ってくれているのに、全部違う
陽だまりのような場所にいこう
土曜、昼から大阪に向かった。
金曜、standfmでお知り合いのAfter That Daysさんが初のワンマンライブをされるということでスタエフの方々が全国から応援に大阪に集結した。
ボーカルのTsuyokiさんは中日本の応援にも会場まできてくれて、私も前回のLIVEに行かせてもらった。
当日は大会で行けなかったが何人かはそのまま次の土曜にもいるということを聞いたので、応援企画を主催してく
誰にも追いつけないスピードで地面蹴り上げ空を舞う
昨日の「苔」をA3の紙に絵にした。
titleは「VOITHISTE ME PARAKALO.」ギリシャ語だ。
最近これが顔にこびりついている人がたくさんいて、今綺麗な色が見えないのだが、タイトルを絵に入れてみたらなんだかいい感じに仕上がった。こんなに汚い苔の世界も、芸術となるのだな。
笑顔の裏に涙や怒りがある。
それが渦巻くと、全体が真っ黒な色になる。
私は、綺麗事だけ信じるような愚かな
来年の私はもっともっと
ランウェイで使う小物を染色した。
3月に中日本ファイナリストとなってから準グランプリとなり、日本大会への道がはじまりあと数日で本番を迎える。
その思いを思い切り小物に共感覚アートとして描いたのだ。
決して美しいものではないかもしれない。不安、焦り、怒り、悲しみ。
ここに美しいものなんてないのではないか、そう問う日々だった。
それでも最後までやれるものをやりきろうと、まず舵を切ったのはこのn
母はいう、「未来は明るいね」
高校は、県でもそれなりに名前の知れた進学校を卒業している。そこを私は「セーラー服が着たいから」という理由で小学校の頃から憧れを抱いていた。
ある日の夕食時、仕事帰りの父親が高校の偏差値表の紙を持ってきてくれた。私の憧れる高校はその表のずっと上の方にいて、父は「雲の上の高校だぞ」と言った。それでもなお、この高校でセーラー服を着るという気持ちは消えず、私は中3の受験も迷いなくそこを受けた。
執念と
右向け右が美しいとされるこの国で、左を向けば個性なのか。
去年の今頃、とてもとても強くそう思ったことがある。自分の個性が邪魔で、個性があるから人に嫌われた。もっと普通の人だったなら、そうはならなかったかもしれない。恋もうまくいって、もっと普通に、普通に‥‥。
そう考えて書いた去年のnoteがあった。普通になろうなろうと意識すればするほどに自分の文章は爆発し暴れ出し、まるで鉄格子に入れられたパックンフラワーのようだ、と比喩されていた。
中学生の頃になん