小説 『女性の降伏』 第2部 4 出馬(2)

小説 『女性の降伏』 第2部 4 出馬(2)

 翌朝、最寄駅に着いた由美は、タクシーに乗り、実家の少し手前で降りた。  タクシーが走り去るのを待ってから、門まで歩き、インターホンを押す。  解錠された通用門をくぐり、芝生の鮮やかな庭を横目に進む。 「お帰りなさいませ、由美様」  引き戸を開けると、田村さんがお辞儀をして待っていた。 「ただいま、田村さん」  由美はヒールを脱ぎながら「田村さん、元気にしてた?」と尋ねる。 「はい、この通り」 「よかった」  心の底からそう思う。  由美が生まれる前からこ

小説 『女性の降伏』 第2部 4 出馬(1)

小説 『女性の降伏』 第2部 4 出馬(1)

 その日の晩、由美は柏木の部屋で原稿を書いていた。  完成まであと少し。由美は伸びをしながら時計を見る。  23時45分――恐らく近所の作業部屋にいる柏木の帰りは、早くても明け方、遅い時は帰ってこない。  コーヒーをおかわりしようと立ち上がった所で、テーブルの上に置いてあったプライベートの携帯電話が震える。  ディスプレイに表示された番号は、連絡先として登録せずとも絶対に忘れることはない番号だった。  由美は出るか迷った。だが、時間が時間なだけに、至急の用件かもしれ

小説 『女性の降伏』 第2部 3 高木瑠香(4)

小説 『女性の降伏』 第2部 3 高木瑠香(4)

 翌日、由美は東京拘置所の面会室で、高木瑠香が現れるのを待っていた。  想像していたよりも落ち着いていた。  中川佳織としてしっかりと質問すること――由美が意識していたのは、そのことだった。  ドアが開き、高木瑠香が入ってくる。  Tシャツにジャージ姿の彼女は、「こんにちは」と挨拶して、椅子に座る。 「週刊プレスの中川佳織です。どうぞよろしくお願いします」  由美が頭を下げる。 「こちらこそ。何でも聞いてください」  気さくな笑み。何も知らなければ、中学生と紹

小説 『女性の降伏』 第2部 3 高木瑠香(3)

小説 『女性の降伏』 第2部 3 高木瑠香(3)

 由美は編集部に戻ると、いつも通りデスクに置かれた郵便物に目を通す。  封筒と封筒に挟まれた一枚の葉書。裏面を見る。 “お手紙ありがとうございました。今度、面会にいらしてください”  差出人の名前は、“高木瑠香”だった。  驚きと戸惑い――どうして今なのか。  とはいえ、これで会えない心配もない中で、面会に行くことができる。そのことに安堵と不安の入り交じった複雑な感情を覚えながらも、何とか明日にでも時間を作って面会に行こうと考えた。  編集部を出た由美は、書籍の原

小説 『女性の降伏』 第2部 3 高木瑠香(2)

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 ある日の午後、由美は富沢と会議室にいた。  原稿に軽く目を通した富沢は、すぐに事情を察したようで、「これでいくのか?」と正面に座る由美に尋ねた。 「そのつもりですが、どう思いますか?」 「相談するってことは、迷いがあるんだろ?」 「金子さんには『売れない』『硬派過ぎる』と言われました」 「そうだな、たしかに」  富沢はもう一度原稿に目を落とす。 「でも、本人としては変えたくないと……」 「はい」 「なら、『それでいいんじゃないか』と俺は思うが、中川はこれを

小説 『女性の降伏』 第2部 3 高木瑠香(1)

小説 『女性の降伏』 第2部 3 高木瑠香(1)

 新しい動画の公開に合わせるように、玲の周辺が騒がしくなった。  玲がニューヨーク近代美術館(MoMA)で行った公演から8年を記念して、同館で舞台衣装を展示する期間限定の特別展が急遽開催され、生前、各国の演出家によって撮影されていたショートムービーが特別上映された。  演出家の面々は、玲らしく国際色豊かだった。数多くの有名ミュージック・ビデオを制作してきたフランス人映像作家、デンマークを代表する女性映画監督、ロシアのマリインスキー・バレエの元芸術総監督といったそうそうたる

小説 『女性の降伏』 第2部 2 肉体の存在(3)

小説 『女性の降伏』 第2部 2 肉体の存在(3)

 柏木のマンションに帰った由美は、シャワーを浴びてから、原稿を書く。  0時過ぎに柏木が帰ってきた。柏木はいつもと変わらない様子で「ただいま」と由美に声を掛けると、すぐにシャワーを浴びにいく。  数分後、洗面所から出てきた柏木が、「まだ寝ない?」と由美に訊ねる。 「もうちょっと」  由美はパソコンを見ながら答える。 「じゃあ先に寝るね、おやすみ」  普段ならもう少し甘えたりする所だが、あっさり引き下がる。 「それだけ今日のライブは疲れたのだろう」と思い、そこから

小説 『女性の降伏』 第2部 2 肉体の存在(2)

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 会場に着く。今夜バンドが出演するのは、清涼飲料水メーカー主催の招待制イベントだった。  会場の外には商品をPRするブースが多数出ているが、人の姿はまばらで、キャンペーンガールも退屈そうにしている。  受付で名前を伝えた由美は、ゲスト用のパスを受け取り会場に入る。  一つ前のアーティストがライブをしていた。けれども、二階席まである会場は3割ほどの入り、しかも観客のほとんどはメーカーの社員と思われるスーツ姿のサクラで、全く盛り上がっている様子はなかった。  今演奏してい

小説 『女性の降伏』 第2部 2 肉体の存在(1)

小説 『女性の降伏』 第2部 2 肉体の存在(1)

 翌日、昼前に出社した由美は、アルバイトから昨日の対談のテープ起こしを受け取る。由美は「いつもありがとう」と伝えると、記事の体裁に整え、脳科学者宛にメールで送付する。  続いて、デスクの平井に、昨日書いた『性の黄昏』の原稿を渡す。平井は目を通し、OKを出す。原稿を精神科医に送付してすぐ、由美は席を立ち、書籍編集部に向かう。  担当の金子と書き下ろし本に関する打ち合わせだった。  打ち合わせ前の雑談で、金子は『性の黄昏』の連載を褒めてくれた。だが、本題に入り、由美の書いて

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小説 『女性の降伏』 第2部 1 女子記者(4)

小説 『女性の降伏』 第2部 1 女子記者(4)

 再度、編集部に戻った由美は、気持ちを切り替え、現在連載中の『性の黄昏』の原稿を書く。この企画では、精神科医であり漫画家でもある医師とタッグを組み、性的倒錯の絡んだ事件を文章と漫画で解説していた。  描こうとしていたのは、性の光と闇だ。ある者は芸術に昇華し、ある者は犯罪を起こす。  目眩(めまい)のするようなエネルギーをいかに読者に伝えるかがテーマだった。  校了日翌日のほとんど人のいない編集部で、終電間際まで原稿を書いてから、三日ぶりに自分のマンションに帰る。  靴