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母はいう、「未来は明るいね」

高校は、県でもそれなりに名前の知れた進学校を卒業している。そこを私は「セーラー服が着たいから」という理由で小学校の頃から憧れを抱いていた。

ある日の夕食時、仕事帰りの父親が高校の偏差値表の紙を持ってきてくれた。私の憧れる高校はその表のずっと上の方にいて、父は「雲の上の高校だぞ」と言った。それでもなお、この高校でセーラー服を着るという気持ちは消えず、私は中3の受験も迷いなくそこを受けた。

執念というか、なんというか、併願校を3つも受けたが体調が悪く保健室で受験した。それでも3つの高校と、小学校からの念願のその「雲の上のセーラー服の進学校」に無事合格した。

制服を着る、と目的としていたせいで成績はあまりよくなく、チアガールの部活に入って、恋をして、学校生活を謳歌した。頭のいい友達に囲まれ程度の低いいじめなどに遭うこともなく、常にレベルの高い尊敬できる同級生、そして先生に囲まれる生活はとても有意義だった。

その後美容の道に進むため、進学を辞めて専門学校へ。

そんな私がまわりにまわって、もう一度大学へ行きたい、と思うようになった。当時62だった母校の偏差値は現在65、県下10位以内の一流だ。

そんな高校で学んでおきながら、進学をしなくてもよかったのか?という葛藤は私の中でずっとあった。学歴が全てじゃないことは色々な場面で見てきているが、それでもなんだか「大学行ってみたかったな」「大卒資格ほしかったな」という気持ちがずっとあった。

でも学びたいものがあいまいなまま、これということも決められず、また勇気も出ず、歳だけをどんどんと取ってしまった。

母に、今の心情を吐露した。大学に行こうとしている話もした。
すると、

「やりたいことはどんどんしたらいい。未来は明るいね。
できることがいっぱいあって、羨ましいな。」

と返事が返ってきた。この年で、とか他にお金の使い道が、とか、そんなことは言わずに。どちらかというと大賛成のようだった。

ずいぶんと長い間ふさぎ込んでいた娘が未来への目標を意気揚々と話してきたのだから、きっと嬉しかったのかもしれない。その大学はお父さんも良く知っていると言っていたので、父にもまもなく知らされるのだろう。

母もぽつりとこぼした「あんなにいい高校を出たのにな」と。

だけど高校卒業したばかりの私は未来を据えることがまだまだ未熟で、大学に進学したとしてもまともに学べたかどうかわからない。今だからこそその学びが必要と感じ、今だからこそ行きたいと思う。

大学の代わりに行った専門学校では手に職がついたおかげで今もメイクを仕事として受けることもできている、メイクをもってフォトスタジオに就職したからこそカメラマンの道も拓けた。結果を観ると、何も無駄ではない。

中日本大会直前まで私はこの「山口葵」の活動を家族の誰にも言えないでいた。言ったのはクラファンの最終日で、母はその話を聞くと何の迷いもなく支援をしてくれた。

そして日本大会へは両親が来てくれる、とのことでそんな展開を予想していなかった私は今からそのことで緊張をしている。

身近な人や家族に今やろうとしていることを応援する、と言われるとそれだけで背中をぐいと押され前に前に進める気がする。この漲る想いはなんなんだろう。わからないけど、やってやるぞという気持ちが膨らんでくる。

とにかく進んで行くぞ。未来に向かって。

未来は、明るいんだ。

山口葵


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