山口葵|共感覚を言葉と絵で伝えるアーティスト 表現者

感情や音を見て色を聴き、感覚の壁を越えた世界を表現する共感覚アーティスト¦言葉と共感覚…

山口葵|共感覚を言葉と絵で伝えるアーティスト 表現者

感情や音を見て色を聴き、感覚の壁を越えた世界を表現する共感覚アーティスト¦言葉と共感覚アート™️で共感覚の認知を広げ、どんな特性を持つ人も生きづらさのない社会を目指す。共感覚当事者¦不安症PTSD闘病中¦京都大学共感覚研究協力¦お仕事・取材依頼はSNSのDMへ

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【共感覚を言葉と絵で伝える】山口葵PROFILE

◼️山口葵について💎公式Webサイト: 💎PROFILE: 三重県お伊勢さん生まれ。 写真屋の父、油絵画家の祖父を持ち、幼い頃の遊び道具は紙と鉛筆とカメラ。 カメラの道には行かず美容の道に進みヘアメイクをしていたが、フォトスタジオでメイクとして働き始め、そこでフォトグラファーも兼ねて働くようになる。 独立後、フォトグラファーの仕事をしながら趣味のPCを活かしたWebライティングや SNS運用などで業務を拡大し、しだいにトータルWebの仕事をこなすように。 共感覚を深く

    • 「感覚を震わせるのは、怖くないよ。」

      色々なものを、吸収したいと思った。思ったというか、「する気になった」が正しいか。 私はまだまだ、表現力に乏しいのだと思う。それを担うには技術はもちろん、自分の体、五感全てで感じたこと、出来事を増やすことだ。 共感覚ゆえ、この刺激が苦手なのだが最近は確立された安心できる場所・人がいて、少し外に飛び出したくらいでは怖くないような生活を送っている。 だからきっと色々な知らないものを吸収していっても私が恐れているような事柄はきっと起こらない。 そうとわかれば、いろんなものが見

      • 言葉と絵の融合

        これまで私は、絵と言葉それぞれで共感覚を伝えることをしてきた。言葉はもう100記事を超え、共感覚の絵はメディアでも見てもらうこともできた。 そこで、言葉と絵を融合させることはできないかと考えるようになった。そもそも、言葉と絵を切り離すべきではないのかもしれない。言葉は絵になるし、絵は言葉になる。どちらも視覚情報で、どちらも届く先はこころだ。 絵には必ず背景があり、それをつけたすでもいいが、それだとなんだか単純で面白くない。私の文章を絵に乗せてそれがうまくつたわるような表現

        • 脳みそからけむり

          この間のnoteを更新してから、自分と自分の脳との距離感がよくわからない。 そもそも、自分と脳を切り離すべきでないのはわかっている。でも私の脳は本当になんというか、余計なことをするし勝手に暴れるような感じがしていて私は時にただ操作されている操り人形の側の気分になる。 私を褒められても、脳がやったことで私じゃなくない?「あれ」は、本当に勝手に動くから…などと考えてしまう。 離人感なのだろうか?でも、「私」と「脳」が離れてしまうなんてことあるのだろうか?私はどこにいるのだろ

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        • 共感覚を言葉と絵で伝える
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        • 表現についてのアウトプット
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        記事

          色に囚われた人間

          私のこころは物心ついた頃からたくさんの色で感情を彩り、溢れさせた。 次から次に脳内に浮かび上がる色たちは、その時の気持ちを代弁するような、また、解像度を高めるような、そんなふうに私には感じていた。 それらはシャボン玉のように舞い上がるときもあれば、突風のように吹きすさぶ。ぐるぐると回るときもあるし、切り刻まれたようにぐちゃぐちゃになることもある。 自分ではコントロールできなかったが、年齢とともに大きな感情以外はあまり気にしなくても過ごせるようになっていった。 感情に色

          そういうもんさ、そういうもん。

          書きかけの下書きをなんとなく見ていたら、去年のいつかに書いたものが出てきた。 ぴしりぴしりと当たる風で心が痛い。良い風向きになってきたと思ったらまた邪魔をされ、おかしな方向に進んで行く。 やっと幸せがあと少しで手に届きそうだったのに。 悪いことはどんどんと連鎖を起こして次から次へと不運に巻き込まれて。そしてその巻き込む中に、信頼している身内がいたことに心が痛まずにはいられない。 ああ、またここか。またここは「どん底」という名の井戸の中だ。ひんやりと冷たく、薄暗いけれど

          猫はこんなわたしを笑わない

          そこかしこに書いているが、去年から病気の薬と過食が続きあっという間に10kgも太ってしまった。アベプラを観れば私の醜い姿が拝めることだろう。。 このことについて、あまり叩かれたりすることがないのは時代の変化なのかもな、と驚く。 私が子供の頃なら体や顔の特徴をまだまだいじる時代で、私も広いおでこをいじられ今でも前髪を下ろしたまま。太っていた子はブタやデブなど言われるのが当たり前だった。 今、色々なものを個性と受け止める多様性の時代となり、身体的な特徴をいじることは「笑える

          共感覚者同士は馴れ合いが苦手?

          共感覚の発信をしていると、当たり前だが共感覚者だという方、お子さんが共感覚者という方などと話をする機会がある。私としてはとても光栄なことで、自分の発信でなにか気づきやつらいことが軽減されたならうれしいし、困っていることがあれば聞きたいと思う。 この一連の活動に嫌悪感はもちろんない。しかし、そんな私でも「ただの共感覚当事者」となったときに、ずっと苦手と感じることがあるのだ。 それが共感覚者同士で輪を作り、馴れ合うこと。 もともとグループに属することが得意ではないが、共感覚

          ブラックジョークに包まれて

          とめどなく言葉をあふれさせる訓練をするためにnoteを毎日しているのに昨日は書くのを忘れてしまっていた。 あれやこれやしてたら、もう寝る前の薬を飲んだ後だった。これは完全に言い訳。だって薬飲んだあとに私ラーメン食べたもの。書けたよなって。ていうか、ダイエット中に夜ラーメン食うなよなって。 話題になったものをちらりと見る程度だったパリオリンピックの閉会式が行われたそうで、なんだか少し寒しくも感じる。 ネットの声が大きくなってるからなのか、あまりにもひどいからなのかはわから

          どんな色を描き、どんな筆を伸ばし「完成」を創り上げようか。

          いろいろな地獄から這い上がり いろいろなことが、終わりを迎えた。 家族との関係も良好になり、私はまたひとつ、大切な家族に歩み寄る選択をしたところだ。 まっさら。 今の私はまっさらで、ただ心地よさだけを感じている。 平凡だけど、満足度がとても高く時々「しあわせだぁ…」とつぶやいてしまうほど。 家族や、大切な人、助けてくれる人、友人。 いろいろなひとたちの手を取って、のぼりつめてこのまっさらな場所にいきついた。 やっとだ。やっとここまできた。 もう、いらない地獄に足を

          どんな色を描き、どんな筆を伸ばし「完成」を創り上げようか。

          「不思議ちゃん」からの脱却

          ーいち、にぃ、さん、し、ごー、ろく、しち、はち。 小さい子供が数を数えている場面を想像してほしい。覚えたての数字をまだおぼつかない様子で声に出す姿は、大人から見るととても微笑ましいだろう。 ーいちは、はいいろ。には、きいろ。さんと、ごはあおで、よんはあか。 子供のひとりごとがこう続いていたらまずどう感じるだろう。何か保育園で見たおもちゃに描かれた色を思い出しているのかな、記憶力がいい。この子はかしこく育つのかもな、などと将来に期待を膨らませることもあるかもしれない。

          記憶のインデックス

          記憶がぶっとびまくり困っているこの私だが、「消したいのに消えない記憶」に悩まされることは多々ある。 それは本当なことなのだが、その記憶は「永遠」で、気を抜いてしまうと毎回思い出してしまうからこれもまた厄介だ。 以下過去の記事の再掲 私はその後、本だけでなく自分の今までを思い返すと記憶を映像にして、 かなり詳細に思い出すことができていたことに気づいた。 ひとつのシーンに記憶を貼り付け、 そのシーンの写真を脳内で取り出す感じだ。 のちに、「映像記憶」というらしいことを知

          ゆらゆら

          月曜日と火曜日がよくわからなくなっている。確か月曜日は病院に行ったのだが火曜日に買い物をしてる時に「随分長い一日だなぁ」と感じたのを覚えている。 そりゃそうだ。2日たっているのだから。 それぞれの記憶はあってもそれは一日の出来事と認識してしまって、脳が混乱する。これはなんだろう。 忘れたくない記憶があるわけでもないのに、すこんと抜ける私の記憶。頻繁にあったらこわいな そういえば今月から始めたプールは行ける曜日には全ていっている。水は好きだ。川は海は怖いけれどらプールが

          頭がスイカみたい

          悠々自適な生活を手に入れた私は、ただただ「生きている」だけの日もあって、だけど前みたいな「生かされてる」感覚は全くなく幸せを感じる。 ただしなんとか社会とは繋がっていたいと思うのは人間の本能なのか。 このnoteも、文字を書くリハビリとして再開したが社会との繋がりをなくさないためでも、ある。 今日は少し嫌なことが起こり、もう解決はしたが勃発した時に薬を久しぶりに多めに飲んでしまって今まさにまわってきているところだ。 だから今書いてることなんて明日にはさっぱり思い出せな

          目の病気について②

          3度目になる転院先は頼もしい場所だった。局所麻酔でかなり痛みを感じたことを伝えると、神経症がありまれに効きにくい人がいるからと、全身麻酔を進められた。 緊急手術を行ったために色々と急がないといけない理由があり、滞りなく手術日が決まり1週間の入院と手術を行った。人口レンズを装着してからは真っ白→水晶体取り除きぼやけた視界だった状態からやっと解放され、目が見えるようになり見えることのありがたさを実感している。 全身麻酔のため、麻酔を打たれて2回ほど呼吸をしたら、もう目覚めたと

          目の病気について①

          今年の2月になんだか左目がぼやけるのが気になり近所の眼科を受診した。眼科の先生は「白内障が進行していて、目薬ではもう治らない。紹介状を書くので手術してください」と紹介できる総合病院の2つからどちらがいいか聞いた。 コンタクトで少し目を傷つけることが時々あった私は今回もそんな感じだろうから目薬をもらって帰ろう~~なんて考えながら受診したので「紹介状」「手術」という言葉にすごく驚いた。 そもそも白内障ってなんだっけ? 色々と調べたり聞いたりしているうちに白内障は年配の方がよ