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#エッセイ
ディスレクシアと共感覚による弊害の小説の読みづらさの克服実践
私は、小説が読めない。
これは以前に 共感覚で「できないこと」 にも記述したが、その通りでどんな有名な小説家の、どんな有名な作品でも、名前は聞いたことはあれど内容を一切知らなかった。
これも何度か書いたが、私はそれを非常に勿体ないと感じていた。世界中に溢れている多くの誰かが生み出した世界に触れることができないなんて、絶対に損している。
だけど、どうしても共感覚の反応が激しく読めないでいた。高
低刺激な毎日に何を想う
いろいろあれど、穏やかで不変な日常が今のところ続く。
刺激が足りないのか、私の文章は破裂しないようで、またしばらく更新が怠っていた。
3記事に渡って書いた嫌がらせの犯罪者の件は、警察にまかせることになりこれ以上は書くことを控える。度が過ぎた真似をしたことを、後悔するといい。
不変でも毎日なにかしらの動きが合って、不安があって、安定があって、愛があって、そんな日々を送るが、文章が途絶えるのには何
「人を陥れる」ことの代償
「謝って済むなら警察要らない」
と、子供の時にならったはずのことを知らずに罪をおかす人たちがいる。
もうこんなこと、何回目だろうか。人は犯罪になる行動というものをわかっていないようだ。自分のすることが違法でないかどうかなど、一度確認してから行動すべきだ。
私に嫌がらせをする人は総じて自分の今の生活に不満がある人だ。例外があったことはこの20年で一度もない。満ち満ちている人は他人に嫌がらせをす
怖がることは何もない。もう、一通り経験したのだ。
共感覚の絵を何カ月もかけ、やっと手元に送ることができた。まだ送れていない人も今週中には送れるだろう。人の印象で共感覚アートを描くということの大変さを知った私は、受注再開の見通しは立てない。待たせる間の心苦しさは、余計に絵を描けなくさせた。
その代わり自分の感情を描いたアートを多く描いて、今年中に一度くらいは展示会に出展したいなあ。いいところがあるといいけれど。
グループ展ではなく個展もやってみ
【ネット考察】情報過多と溶けていく脳みそ
本日体調不良のため過去記事の加筆修正記事です。
高校生からホームページとやらを手打ちで打っていたインターネット老人会の私が、移り変わるネット社会を体感して思う。
昨今のネットは、本当に危険に思う。
この世は「情報過多」だ。
昔はひとつのことを調べる時、学生の頃は辞書を使った。
ネットが普及してからは、検索してなんとかそれらしいサイトを見つけたり見つけられなかったり。
図書館や本屋で調べ
【共感覚と自己理解】音で色を観ながら、違いを感じる
アートのように描く私の文章は突然書けなくなる。感覚的文章なのだ。
というのが、noteの更新を休んでいた言い訳。また少しずつ書いていこう。
とあるコンペに参加し、共感覚アーティストとしてテーマに沿った絵をこの間から20枚ほど描いている。人の印象とは違い、随分と描きやすく感じる。
そこで感じた興味深い、ある「違い」を記録しておこうと思う。
「愛」をテーマに5枚の絵を描いてほしいと依頼されたと
全体ビュー数11万回超えの感謝とnoteポップアップの出た記事紹介
noteを書き続けて24ヶ月です、というバッヂをいただいた。まるっと2年間。毎日は書けない日があったけど、とにかく書く。書くことをやめずにここまでやってきた。
文章は私の中で呼吸、そして、心だ。
書かないと私が私ではなくなってしまう、そんな理由もある。
現在ビュー数は夕方の時点での集計では117,523回。スキがあと少しで1万回になる。
色々な気持ちで見ている人がいると思うが、素直に嬉しいこ
共感覚アートライブペイントーintersection15にて
先日のライブペイントは、とても良い経験になった。
最初はグループ展の展示のみにしようとしていたが、ライブペイントができるということで、挑戦してみようか悩んだ。
ライブペイントはイベント開催中1日に1人。やっぱりやめておこうか。。そう悩んでオーナーに相談したところ、経験をぜひしてみてくださいとのことで思い切って描いてみることにした。
共感覚アートは、描き終わるまで何がそこに描かれるのかは私でも
今日の芸術【黒のキャンバス】
今日の芸術 あいみょん
あいみょんの楽曲の中ではあまり知られていないかもしれないこの曲は、私にとっての創造性を引き出す中でとても刺激を与えられる歌になっている。
なんだって芸術になる。なんだって芸術にしてしまえ。
他人のいうこと、批判など気にせず突き進め、掘り起こせ、自分の芸術を。
そんな曲だ。
その中でも、特に好きな歌詞がある。
最初から綺麗に揃えられている絵の具でさあ描きなさいと言
共感覚は「苦しい」も可視化する
7月が終わる。
去年の7月の終わり、私は何をしていただろうとふと振り返る。
1年前のnoteを少し読んでみたが、あまりにも辛そうな文章で途中で読むのをやめてしまった。
頑張って生きていた、地面にへばりつきながら。
死にたいと泣きながらも死んでたまるかと踏ん張って、ぼろぼろになった体をなんとか起き上がらせる、そんな毎日を送っていた。
水彩絵の具を選んだ時に一緒に買った、水彩紙のスケッチブック「
共感覚アートに込めるこころ
共感覚アートを描き始めてから約1年が経った。
最初はデジタルのみ、自分のためだけに描いていたものが今は誰かのために、リアルペイントで描くことがメインとなった。
有難いことにクラファン分も合わせると現在14人待ち、今月のうちに仕上げたいと思う。
水彩画は昔から好きだ。
祖父が油絵を描く人だったが、たまに描く水彩画の透明感は見とれるほど美しく、憧れだった。
私が美術の授業で「5」がつくのも、
共感覚者は才能児?ギフテットとしての教育の将来
自分の活動を文章に起こす手伝いをお願いしている中で「共感覚をギフテットと表現してもいいですか?」と言われた。
私の中で共感覚=ギフテットの認識はなく、驚いたが学術記事を検索するとそれなりに出てくる。
この定義を見ると、知能指数など完全に全ての共感覚者が当てはまるのか…少し疑問に感じるが色々と学術記事を調べてみると、このようなものを見つけた。
ここには、ギフテッドの発達障害と超活動性についての
「誰や思てんねん!山口葵やぞ!」
中日本大会本番当日、いや直前までこのセリフを一番近しい人に言われ続けた。この気持ちで行ったれ!と。これが山口葵やぞ!!!と。
私はSNSの総フォロワーはInstagram、Twitterなど入れると約8万人弱。ネットではそこそこ知られているのかもしれないが、それでもまだまだ誰もが知る著名人などではない。
中日本大会の会場を満員にしてもあふれだすほどのフォロワーがいるわけだが、じゃあ全部の席埋め