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共感覚は「苦しい」も可視化する

7月が終わる。

去年の7月の終わり、私は何をしていただろうとふと振り返る。
1年前のnoteを少し読んでみたが、あまりにも辛そうな文章で途中で読むのをやめてしまった。

頑張って生きていた、地面にへばりつきながら。
死にたいと泣きながらも死んでたまるかと踏ん張って、ぼろぼろになった体をなんとか起き上がらせる、そんな毎日を送っていた。

水彩絵の具を選んだ時に一緒に買った、水彩紙のスケッチブック「ワトソンブック」を開いてみた。

はじめて透明水彩を使い遊ぶ楽し気なページが続く中、まるで悲鳴をあげるかのようなページが1枚あった。

この投稿の2枚目には、この絵を描いている姿がタイムラプスで撮影してある。去年7月21日の投稿だった。

この絵を見ても、もう何も感じなくなった。「がんばったね」という気持ちが込み上げるが、それだけで私はこの闇に取り込まれることはないだろう。

「この絵は破いてしまってもいい」

元画家のある人にそう言われた。悲痛を表したこの共感覚アートに取り込まれないようにびりっと破いてしまえと言うのだ。

それはなんだか勿体ない。だからそのままこのページに残しておくことにして、私はワトソンブックをぱたりと閉じた。

共感覚アートは、彩り溢れるきらきらとしたものばかりではない。現に去年描いた私のアートはたびたび苦しそうな絵が現れる。色だけではなくテクスチャで塗りつぶされたり、引き裂かれたり、まるで悲鳴のように。

心が安定すれば、絵も安定するのだ。だから私が共感覚アートを描く理由の中には、自分の心の状態を測る目的もあった。

きらきらとした感情の色ばかり見えていたら、それはそれはカラフルな世界にいるだろう。だけど人間は喜怒哀楽がある生き物だ。嬉しい時や楽しい時だけでなく、悲しい時、怖い時、苦しい時にも感情の色は出る。

つらい気持ちにあわせ、まるでその感情を可視化するかのように色やテクスチャが見える。そのためどこかに気を散らしていかないと、簡単にそのマイナスの感情は2倍に感じてしまう。

この、塗りつぶされた墨色の世界にいた私が、あのステージで観たようなきらめいた光の色を観るために、随分長く、だけどあっという間のような時間を過ごしてきた。

7月の終わり、大会後少しまだまだ心が錯乱している状態だったが、穏やかに整えてくれる人が近くにいてくれたおかげで、心は休まり陽だまりあふれる毎日を送れた。

去年の悲鳴は破らずに、心の中にぱたりと閉まっておいて、
私は進んで行く。

光の方へ。

山口葵

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