ディスレクシアと共感覚による弊害の小説の読みづらさの克服実践
私は、小説が読めない。
これは以前に 共感覚で「できないこと」 にも記述したが、その通りでどんな有名な小説家の、どんな有名な作品でも、名前は聞いたことはあれど内容を一切知らなかった。
これも何度か書いたが、私はそれを非常に勿体ないと感じていた。世界中に溢れている多くの誰かが生み出した世界に触れることができないなんて、絶対に損している。
だけど、どうしても共感覚の反応が激しく読めないでいた。高校時代のトラウマもあり、余計に避けていた部分もあったと思う。
前にクラブサイエンスで「共感覚」を取り上げた回があった。
自分にとって当たり前で、そして生きづらいと思っていたことが「共感覚」というものから起きるということを深く知れるとても有意義な時間だった。そこでお話されていた、発達障害や心理学などに関わっている方のお話がとても印象的で、クラハとTwitterをフォローした。
私の描く共感覚の感情アートに、興味を持ってくださり(私の中では)仲良くさせていただいている、とても尊敬する川﨑先生 だ。
その先生が学習障害についてツイートをしていて、その中に「ディスレクシア」という言葉があり、気になって検索をしてみた。
ディスレクシアとは、知的に問題はないものの読み書きの能力に著しい困難を持つ症状を言います。
充分な教育の機会があり、視覚・聴覚の器官の異常が無いにも関わらず症状が現れた場合に称します。
引用先:https://www.npo-edge.jp/educate/
書くことに関しては得意な方だ。だが、このことについて調べていくうちにとても心当たりのあるものがあった。それが文字の見え方だった。
そしてこの説明にはこう書いてあった。
・文字が上空から見た摩天楼のように目に刺さってくる。近づいた文字が遠くの文字を隠し、行も違う行に移行してしまう。
・文字が躍る、動く、ねじれることでどこにどの文字があるかわからない。書き写そうとすると、どの文字のどこを写していたかわからなくなってしまう。
私は小説が読めない理由を説明するときにたびたび「文字が雨のように降ってくる」と話していた。これは、かなり近いのではないだろうかと自己判断だが思った。
そしてこの画像がまさに、私が小説を読もうとすると見えている世界だった。こんな風に文字が上空から降ってくる、そして息ができないほど文字に溺れてしまうのだ。
思い切って、その先生にTwitterで相談してみた。共感覚のこと、自分がディスレクシアではないかと感じていること、そして小説を読んでみたいと思っていることを伝えた。
そうしたら、お忙しいのに返信をくださった。そして「PDFやアレクサなどの読み上げ機能は使ってみたことはある?」と尋ねられた。
文字を読み上げる機能を使ったことはあまりないが、私はいつもブログを書き終えたあとに文章を一度読み上げている。校正の意味もあるが感情をかみしめるためでもある。そして最近、ブログを朗読しアップするようになっていた。
声に出して文章を読むことが好きだと、ちょうど最近気づいたばかりだった。
先生は、「一度も読んだことのない小説を一度読み上げてみて、ディスレクシアの影響があるならば共感覚の影響が変わって来るかもしれない」と教えてくださった。
「ディスレクシアの要因があった時にもしかすると共感覚が、ある意味理解を押し進めていたのかもしれないね。」と。
つまりだ。
小説を朗読して読めば、読めるかもしれないと助言をいただいた。
前の共感覚のクラブサイエンスでも「読むことに集中する」ということを教えてもらった。ただ具体的にどうすればわからないまま、やはり小説に対して怖気づいていた。
デジタルの文章は読みなれているので、kindleをインストールし、「銀河鉄道の夜」が無料でDLできたので、それを読んでみることにした。
「銀河鉄道の夜」
宮沢賢治のとてもとても有名な小説だ。
なのに私はこの世界を知らない。あらすじだって知らない。
ただ、このタイトルだけで共感覚が反応し、色だけが見えている、そんな存在だった。
早速ダウンロードし、声に出して読んでみた。飛ばし読みすることなく、一字一字、大切に読み進めた。
感情がこもっている部分は、感情をこめて読んだ。どんどんと登場人物に感情移入し、そして、美しい景色の描写に私は息をのみながら読み上げた。
ページは全部で74ページだった。私はそれを、休憩することなく2時間かけ、最後まで声に出して読んだ。
時には少し、主人公の想いに心を痛めながら読んだ。車窓から見える美しいきらきらとしたカラフルな景色が脳に浮かび上がりながら、主人公たちの感情の色もくるくると変わっていき、共感覚は何度も何度も反応していたように思う。
それでも、声に出すという行為は私に文字への混乱を招かなかった。
長時間、74ページ声に出し続けたが、読んでいる間とても楽しいと感じた。今まで、感情が強くはいる部分を読むと吐き気をしていた私だったのに、怒りを込めた言い方をしたり、涙をこらえながら読み上げることができた。
今まであった小説に書かれている「感情」に対しても嫌悪感を抱くことはなかった。
私、小説が、読めた。読めたんだ。
ずっと読んでみたかった「銀河鉄道の夜」。
タイトルの言葉の並びがとてもきれいで、きらきらとしたものがずっと見えていた、私の中で憧れの物語だった。だけどずっと中身を知らなくて、知ることが怖くて、それが、今日読めたのだ。
すごく情景の描写が多い作品だからなのか、あふれてくるものは物凄く大きい。そのためこうやって文章を書き外に出している。
声に出しながら読み、気づいた点は
・一気に読まないと感覚が中途半端に残り過ぎ、読み終わるまでその世界にとらわれるかもしれないと感じた(これは今まで通りかもしれない)
・声に出すことで、「読む」よりも読み飛ばしがなく確実に全ての文字を拾い上げ読むことができた=物語への理解が深まりやすかった
・読み終わったら絵や文章にして吐き出すことで、現実世界に戻りやすそう
・感情的な部分がより情熱的に素敵な文章だ、と感じることができた
・情景の理解が時差でくることが何度かあった。一文だけではなくまとまった内容を全て読み上げ終わったあとで情景が全て把握できた
小説を初めて朗読して読み終えることで、このようなことがわかった。まだ確実でない部分もあるし、他の小説だとどうかわからない。でも、他の物語をもっともっと、知りたいと思った。
生まれてきた特性で、生きづらさを感じ、今まできた。共感覚なんて、前のブログにも書いたけれど生きづらさそのものだった。
だけどそれが普通じゃないと気付くことはなかなか難しい。私はきっと運がよかったのだろう。クラブハウスで共感覚について詳しく知り、興味をもち、尊敬する方にアドバイスをいただき、そしてそれを実行し、成功できた。
自分の中の世界がまた、大きく色づいていくように感じた。これから知れる世界が増えた。なんと、喜ばしいことだろう。
知らない世界を知れるとは、なんと魅力的なことだろう。また次は、どんな物語を見てみようか。私の人生に今までなかった「小説」というものが、とても楽しみになった。
それと同時に、同じように苦しんでいる人がいるのならば、その人たちの救いになりたいと、強く願った。
私の願いは叶えられるだろうか。
わからないけれど、進みたい道が、少し見えた。
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山口葵
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