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「心」の多様性
人の心とは、誰かと全く同じものではない。しかし、あまりにも異なるということもありえない。そういった心の学びを得た。
以前、ゴッホ展に行った際のことを思い出す。
ゴッホについての知識がなかった私は、彼の世界観を知り、その絶望の世界に気分が悪くなった。ゴッホ展での私の感想はこうだ。
こんな絶望の世界を一面スクリーンにして流すなんて、どんな気持ちで企画しているのだろうか。この絵たちに価値が付いたのは、自殺後だというじゃないか。そんな悲劇しかないものを、どうしてこんな風に観せられるんだろう。
この絵たちに数百億の価値をつけた人間は、精神に異常を来たしていたとしか思えない。すぐに病院に行くべきだったのではないか。表情、背景、瞳の描き方。私は詳しい技法まではわからないが、どれをとっても苦しみしか伝わってこない。
誰かの苦悩がアートとなり、価値を見出す不思議な世界。耐えられないほどの絶望が流れる映像と、それを助長するような音楽をニコニコとしながら見る人々は、一体なにを思っていたんだろう?
しかし、同じような反応をしている人は、ほとんどいなかったように思う。それどころかスクリーンに映し出されるゴッホの絵を見て歓喜し、枯れたひまわりの絵を「可愛い」という人もいた。
その会場で、まるで自分だけが違う感覚を持っているのではないのかと、私だけ違う感覚の世界に迷い込んだのではないのかと錯覚に陥るほどだった。幸い、一緒にいた人がゴッホの絵に対して同じ感情を持ち合わせていたため、そこでの不思議な疎外感からは免れた。
冒頭に書いた、自分の心が人と違うが、全く理解不可能ということにもならないという事実は、ここで体験してきたように思う。
人の感じ方には、その人の経験してきたものや環境、考え方の癖や、現在の心境などが関係してくる。それがあわさり、同じものを観ていても全く同じような感じ方をするとは限らないのだ。
私はゴッホ展に行き、気分を悪くしたのはゴッホの絵を初見で背景まで知り、詳しく教えてもらった上での技法を見、心の部分にまで共感したからではないかと推測する。
しかしひまわりを可愛いと言っていた人は、そこまで入り込み共感をしていなかったのではないだろうか。イリュージョンの世界に魅了され、その場を楽しんでいた。だからこそ私とは違う捉え方をした、という可能性もある。
色々な考え方があり、心の感じ方がある。私の感じ方も、他の観客の人たちの感じ方も、その人にとってはそれが正解で、いや、正解などなく、間違いもない。
「心」を学ぶということは、常に様々な可能性を視野に、フラットな視点で知識を蓄えていかなければならない。
山口葵
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