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#note毎日更新
ディスレクシアと共感覚による弊害の小説の読みづらさの克服実践
私は、小説が読めない。
これは以前に 共感覚で「できないこと」 にも記述したが、その通りでどんな有名な小説家の、どんな有名な作品でも、名前は聞いたことはあれど内容を一切知らなかった。
これも何度か書いたが、私はそれを非常に勿体ないと感じていた。世界中に溢れている多くの誰かが生み出した世界に触れることができないなんて、絶対に損している。
だけど、どうしても共感覚の反応が激しく読めないでいた。高
私の受けてきたDV被害について
まず、久しぶりのnoteがこのような内容になり申し訳ございません。
色々と事情があり、自分の受けてきたDVについてまとめようと思いました。書けない部分もあるのでそこは身を守るために端折ることもありますのでご了承ください。
少しバイオレンスなことを書くのでそういうものが苦手な人は読まないようにお願いいたします。
元夫と結婚したのは2009年12月12日。数年は喧嘩をしても手を出されることは一度
本当の幸せは、真実は、
「自分らしく生きる」とはどういうことなのか。
具体的なようで抽象的なその言葉は、生きる糧になる時もあれば、生きる〝迷い〟となることもある。
自分らしく生きられる時間とはいったいいつのことを言うのだろう。自分とはそもそもなんなのか。そんなことを向き合いながら考えていくと、自分らしく生きるためには、自分と向き合うだけではだめだ、という理不尽なことがあることに気付く。
人は一人では生きていけないこ
全体ビュー数13万回超えの感謝とnoteポップアップの出た記事紹介
noteの全体ビュー数が13万を超えていた。(コメントはわざと閉じている)
最近noteを書けていなかったので本当に最近のものばかりになるがポップアップの出た記事の紹介をしていく。
自分の書く言葉で何か気づきが得られるような、そんな文章を書いていきたい。そのために私はここを続けている。
山口葵
「人を陥れる」ことの代償
「謝って済むなら警察要らない」
と、子供の時にならったはずのことを知らずに罪をおかす人たちがいる。
もうこんなこと、何回目だろうか。人は犯罪になる行動というものをわかっていないようだ。自分のすることが違法でないかどうかなど、一度確認してから行動すべきだ。
私に嫌がらせをする人は総じて自分の今の生活に不満がある人だ。例外があったことはこの20年で一度もない。満ち満ちている人は他人に嫌がらせをす
怖がることは何もない。もう、一通り経験したのだ。
共感覚の絵を何カ月もかけ、やっと手元に送ることができた。まだ送れていない人も今週中には送れるだろう。人の印象で共感覚アートを描くということの大変さを知った私は、受注再開の見通しは立てない。待たせる間の心苦しさは、余計に絵を描けなくさせた。
その代わり自分の感情を描いたアートを多く描いて、今年中に一度くらいは展示会に出展したいなあ。いいところがあるといいけれど。
グループ展ではなく個展もやってみ
【共感覚と自己理解】音で色を観ながら、違いを感じる
アートのように描く私の文章は突然書けなくなる。感覚的文章なのだ。
というのが、noteの更新を休んでいた言い訳。また少しずつ書いていこう。
とあるコンペに参加し、共感覚アーティストとしてテーマに沿った絵をこの間から20枚ほど描いている。人の印象とは違い、随分と描きやすく感じる。
そこで感じた興味深い、ある「違い」を記録しておこうと思う。
「愛」をテーマに5枚の絵を描いてほしいと依頼されたと
【共感覚アートを紐解く】「緊張」の色は決して綺麗とは言い難い
また1週間も間が空いてしまった。書けない、書けるを繰り返すこの変則的な私の記事を、読んでくれる人に感謝を伝えたい。
昨日は人生で初めての出来事がありとても緊張した。共感覚アーティスト山口葵としての活動が、そんな方向に広がると想像できなかったので未知の世界だった。結果はどうあれ、私の中ではとても貴重な体験だった。
その時の緊張をぜひ絵にしてほしい、と言われたので描いてみた。
これが昨日の私の感
共感覚アートライブペイントーintersection15にて
先日のライブペイントは、とても良い経験になった。
最初はグループ展の展示のみにしようとしていたが、ライブペイントができるということで、挑戦してみようか悩んだ。
ライブペイントはイベント開催中1日に1人。やっぱりやめておこうか。。そう悩んでオーナーに相談したところ、経験をぜひしてみてくださいとのことで思い切って描いてみることにした。
共感覚アートは、描き終わるまで何がそこに描かれるのかは私でも
共感覚は「苦しい」も可視化する
7月が終わる。
去年の7月の終わり、私は何をしていただろうとふと振り返る。
1年前のnoteを少し読んでみたが、あまりにも辛そうな文章で途中で読むのをやめてしまった。
頑張って生きていた、地面にへばりつきながら。
死にたいと泣きながらも死んでたまるかと踏ん張って、ぼろぼろになった体をなんとか起き上がらせる、そんな毎日を送っていた。
水彩絵の具を選んだ時に一緒に買った、水彩紙のスケッチブック「
共感覚者は才能児?ギフテットとしての教育の将来
自分の活動を文章に起こす手伝いをお願いしている中で「共感覚をギフテットと表現してもいいですか?」と言われた。
私の中で共感覚=ギフテットの認識はなく、驚いたが学術記事を検索するとそれなりに出てくる。
この定義を見ると、知能指数など完全に全ての共感覚者が当てはまるのか…少し疑問に感じるが色々と学術記事を調べてみると、このようなものを見つけた。
ここには、ギフテッドの発達障害と超活動性についての
「誰や思てんねん!山口葵やぞ!」
中日本大会本番当日、いや直前までこのセリフを一番近しい人に言われ続けた。この気持ちで行ったれ!と。これが山口葵やぞ!!!と。
私はSNSの総フォロワーはInstagram、Twitterなど入れると約8万人弱。ネットではそこそこ知られているのかもしれないが、それでもまだまだ誰もが知る著名人などではない。
中日本大会の会場を満員にしてもあふれだすほどのフォロワーがいるわけだが、じゃあ全部の席埋め