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女の美学 ~苦手な人とのコミュニケーションは高度なゲーム~
正しいプライドの持ち方
世の中には色んな人がいて、苦手な人も、合わない人もいる。
それ自体は仕方がない。無理に好きになろうとしたり、仲良くなろうとしたりしなくてもいいと思う。
とりあえず、挨拶や最低限の会話くらいしていればいいのだと思う。
それでもなぜか、大体なんとなく合わない人と話していると、モヤっとしたりイラっとしたりする事もある。
モヤっとしたりイラっとするのはごく自然な感情なので
毒親育ちが自分本来の誇りを取り戻すために ㉔
責任転嫁は成長を止める
毒親のスタンスは基本変わらない。
年齢と共に丸くなってきたりはするけれど、根本的なところはそのままだ。
だから喧嘩になってもいつも同じ事を繰り返し、真正面から向き合ってしまう分だけストレスが心身を蝕む。
結果、お互いにとって「毒」になる事の方が多いだろう。
これは、親に限らず他人との関係でも言えることだけれど
相手を変えようとするのは時間の無駄だ。
人は何かの
女の美学 ~好かれているか不安な女子へ~
それは誰かの幻想で
人付き合いにおいて、周りからの評価とか好かれるかどうかとか、って10代や20代の頃は色々不安定な中で、親先生友達含めた周りの人に認められるために頑張ってきた事が多いなと思う。
思春期のそれはある意味通過儀礼のようなもので。
心身共に成長するほど孤独ともうまく付き合えるようになってくる人はある意味健全だと思う。
孤独を知る人は他者を支配しないおおらかさがある。
好かれよ
女の美学 ~嫁と姑。夫と金~
よくできた嫁「じゃない人」のススメ
世の中の正月休みが終わる。
10年以上、夫側の親戚関係の年末年始の恒例行事に参加してきた。
できた嫁とは程遠かったけど、一応最低限の義務は果たしてきたと思う。
同居とか家業とか本家とかそういう重たいものは背負っておらず気楽な方の部類に入るので、そういう方達と同じ目線には立つことは出来ないけれども。
かといって「うちは全く無関係で恵まれていますの。感謝」
毒親育ちが自分本来の誇りを取り戻すために ㉒
自分を大切にするとは? ~肌荒れと人生の相関関係~
「自分を愛する、自分を大切にする」という抽象的な表現をもう少し具体的に考えてみる。
「~する」は英語では「do」である。日本語でも英語でも「動」の表現だ。
そこから連想するのは「何かをしなければその状態にならない」ことだ。
実際にはそういう動的なアクションももちろんあるけれど、その前段階として重要なのが「静」の方なのだと思う。
「静」と
毒親育ちが自分本来の誇りを取り戻すために ㉑
自分を大切に育んでいく
もしも、幼少期からの劣等感や自己否定感が強くて自分を大切に思えないのなら、時間をたっぷりかけて育んであげるといい。
「育つ」のは子供だけではない。
それをしてあげられるのは自分だ。
人間である以上、誰かに愛を貰いたくなるのも仕方ないことなのだけれど、最終的に自分を大切にしてあげられるのは自分しかいないから。
何歳になったってきっと、人間はいつまでも成長し続ける。
人間を、舐めんなよ? ~哲学のススメ~
カテゴライズの功罪
人間に対するカテゴライズって、面白いし興味が尽きない分野だ。
「社会学」「哲学」は「人間」を探求する学問だ(たぶん)。
人間探求の世界は「学問」として成り立っているものもあれば「趣味嗜好品」のように大衆受けのするものまで幅広い。
易学、西洋占星術とか、風水とか、血液型とか、数秘とか、その他諸々統計学的な類のものから、地域性、国民性、職業、家族、など属性による傾向とか。
調子に乗っちゃって♪
愛はきっと奪うでも与えるでもなくて 気が付けばそこにあるもの
名もなき詩 - Wikipedia
1996年発売なんですって。
時代が変わっても、今でも好きな詩だ。
20年以上経って、年齢を重ねてもずっと共感できる歌詞ってすごいなぁ。
歌って、リズムに乗って歌詞がストレートに入ってくるから音頭のリズムも含めて元気やパワーをもらえる。
歌を聴いている時って、唯一「調子に乗りまくっていい時
毒親育ちが自分本来の誇りを取り戻すために ⑳
甘さは調味料、優しさは主食。人間関係は料理みたいなものだ。
優しさというのは強さを伴うと、時として厳しく映ることもあるのかもしれない。
優しさと、甘さは似ているところもあるが、違うものだ。
甘さや辛さはほんの少量でいい。
たとえて言えば、調味料のようなもの。
素材の味をほんの少量の刺激で引き立てる時がある。
けれどもどっぷり浸けてしまうと素材そのものの味もダメになってしまう。
それに
毒親育ちが自分本来の誇りを取り戻すために ⑲
優しさも、冷たさも、循環している
地球の生態系は、循環だ。
私達人間はこの世に生まれ、気づけば人間社会の中で人間として生きているけれど、誰もがいつかはその生が終わる。
人間の神秘というのは考えれば考えるほど謎だらけであり、コントロールの及ばない神秘の領域は「神」と呼ばれたりする。
その真実は知る由もないけれど、大いなる何かの力によって生態系の循環の中で自然の一部として生かされていることは確