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女の美学 ~悩める健気な女子たちへ~

あえてこのジェンダーレスといわれる時代に「女」というものについて考えてみる。


女っぽさを前面に出す人は同性からあまり好まれない。


だから「男前」とか「男っぽい」とか「サッパリ」している女子は好かれやすい。


好かれやすいというか、敵視されにくいというか。


女子の世界で生きていくためには「女」を「封印」する方が負傷する危険は少ないのだ。


この構造を理解した上で色々な人間と接していると、女でありながら「男っぽいんだぜ、自分」と自称する人の中にはなかなか面倒くさいヤツが混ざっていたりする。


自称「中身オッサンだから」女子がなかなかの「拗らせかまってちゃん」だったりする。


世の健気な女子たちの「女らしさ=NG」という群集心理の闇を突いて、巧妙に「男っぽい」マウントを仕掛けていたりする。


たまに、似た者同士で「いやいや私の方が男っぽいし」みたいなマウント合戦が繰り広げられていたりする。


傍から見ていると「いやいやあんたら同じ女子やで」と心の中でツッコミを入れたくなる。


で、「女であること・女でいること」を強く否定している女子は、

関わると女子そのものである事実をかえって実感させられる事が多い。


わりと陰湿に攻撃的な何かを秘めていたりもする。

そんな攻撃的な自分をヨシとしてあげたいことが=男っぽい、に変換されてしまっている。


「男=戦う」は事実だと思うけれど、大事なものを守るために戦う、何かを手に入れるために戦うことは生物の本能だろう。


だが、攻撃女子のそれには哀しき「逃げ」みたいなものを感じるのだ。


何から逃げているのだろうか。


きっと自分の見たくない闇。シャドウ。

でも向き合えないからシャドウを誰かに投影して攻撃したがる。


キツイ言い方になってしまう事を承知で言わせてもらうと、逃げている時点でだいぶ女々しい。


隠しているつもりでも女のイヤ~な部分が丸出しだ。


誰かを悪者にしたり誰かの足を引っ張ったりして、ほくそ笑んでいたりする。おー怖っ・・。


そういう人は相手を同じ土俵に引きずり降ろそうとする。


だが間違ってもその術中にはまってはいけない。


同じ土俵で「女っぽさ」を否定してしまうのはまんまと罠にハマっている証拠。


世の健気な女子たちは決して「女としての誇り」を失ってはいけない。


そういう時は「女として」思いっきり心の中で見下してさしあげよう。


見下すなんて・・・性格悪い?

それでいいのだ、性格が悪かろうと、何だろうと。

性格悪い自分をちゃんと認めて心の中で何を思おうと自由。

他人を攻撃しているヤツの方が余程性格が悪い。


ただ、気をつけることは「心の中で」だけ。


心と態度が裏腹なのは精神を消耗するし疲れるけど、多少の演技は社会を渡っていく上で必要なスキルだ。

一時だけの我慢。我慢しながら付き合い続けることはおススメしないけど。

一方的なこちらの我慢が続くような人とはそっと距離を置く。


それで、「女の嫌なところ」ってのは、確かに女である以上、誰でもきっとある。


それはきっと、自分の中にもあの人の中にも、多少はあるものだろう。


持って生まれた気質とか周りとの関係性とかによって多少の違いはあるにしても。


でもそれと等しく、女のいいところってのもきっと誰の中にも存在している。


不安定さも気分屋なのも感情的なのも好き嫌いがあるのも全部ひっくるめて、女ってそんなものなんじゃないかと思う。


社会の中で色々窮屈に歪められてしまっているから、女として生きる上でそういうものを否定しなければいけないストレスは全女子たちに降りかかっている気がする。


そして。

そんなことも受け入れて、他人に対して影でそっと配慮ができる一流ホステスみたいな女らしさを秘めている人って、実はとても「男前」だったりもする。


媚びる安っぽい女らしさではなくって、もっと高貴な香りのする根っからの女らしさといおうか。


それは、誰かに分かりやすく見せるような気の遣い方ではないし「私って配慮のできる女」みたいな素振りはあんまり見せないけれども。


ちょっと古風なあり方に見えるけど、そんな人は年齢に関係なく美しいしカッコいい。


男性性と女性性のバランスがとれていて、変に気負っているような攻撃性が無いというか、自然体なのかもしれない。


女の繊細さや不安定さを、攻撃性ではなく、思いやりに変えられる人。


結局のところ、男前だろうと女々しかろうと、女はどこまでいってもきっと女なのだ。


女である自分から逃れるよりも、受け入れてうまく使った方がきっと人生は楽しいはずだ。


だから、誰かと戦ってしまうことを「男っぽい」と言い訳や逃げにしないでおくれよ、と思う。


それは決してカッコいい男らしさではなく、カッコ悪い女だ。


自分の中の「女」を認める美学のあるヒトがカッコいい女だなと思う。


女の強さってそういうことなのかもしれない。


そしてそんな女は社会でしたたかに生きている気がするよ。



終わり

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