- 運営しているクリエイター
#物語
大江健三郎の一つの出口にあたる作品を読み、私の出口は入り口かもしれないと思ふ。
大江健三郎27歳の長編作品「叫び声」を読んだ。これは、以前いだいた本からだ。大江健三郎が描く青春の鬱屈は、こうなるかと考えた。
その心の叫び声を表現するのに、こういう物語になるのかと感じていた。「生は性」であると最近聞いて納得していたが、こんなに近くて遠い「生は性」が、間違いなく存在していて、それが確かに青春だったなと感じながら、自分の想像を簡単に越える表現力と、それを描く世界観が面白くて悔しい
向田邦子からの菊池寛。「嫌ですよね」から考える「人」となり。
人は自分が思考するほど、人や自分の事など気にもしていない。
これはたぶん私の言葉だ。
私の言葉だろうが、それが何だろうが、誰も別に気にしていないだろう。だがそこに、第三者の目が入ると、心に生まれてくるのは、それを確かな物にしようとする自尊心や虚栄心だ。
人間は、厄介だ。
自己の完結で済まない承認欲求や、人との比較から本来しなくてよい筈の嫉妬をしたりする。
私は、自分の思考の裏側を考えるの
横光利一に自分の嫌なところを炙られて約一世紀越しに本質を問われる。
前回の記事で年末年始の読書に閉じ籠ろうかと思っていたが、どうしても今年中に書き残したいと思える作品に出会った。
一回読み、すぐにもう一度読み返した。こんな事は初めてで、あまりに不明瞭で落とし込めず、だけど「人間」としての本質的な事を物凄く明瞭に描いてる。
機械とタイトルがついているけどそれは歯車みたいだ。ズレを把握していても一定の法則で回っていく。誰かが入れ替わり立ち替わりその歯車になる。
世の中のブームの立役者だった私の記憶を呼び覚ますには、彼女の薬が必要だった。
📚
「虫に恋したプロテイン」
ある日Instagramを開いたら、この画像がそれこそ初めましての人から、私にストーリーズ経由で送られてきた。
「あなたのこの本の解説をして欲しいの」
彼女は私にはっきりとした口調でこう断言した。
私は、内心なんのはなしですかと言いそうになるのを堪えて彼女に話の続きを促した。
「私はあなたに真実を伝えてと依頼されました。この本は、あなたの本なのです。この本に
デパートと流行を考える。駄々の落とし穴と親子の確認。
休日に実家に帰り久しぶりにデパートへ出掛けた。それは私が小さい時から存在するこの街のアイコンみたいな場所だった。
当時から玩具売場は3Fで、規模こそ少子化の影響からか小さくなっているが、現在も存在しているゲーム売場にてどこかのお母さんと小さな兄弟を見かけた。
最近はあまり見ないがどうやら駄々をこねているようだった。
私はその様子を、どこか懐かしく思いながら邪魔にならないように見ていた。
「
先輩噺 仕事を楽しむヒサシの姿、目標にはならない。なんてな。
東京生活に別れを告げた26歳の私は、人を相手にするより自然を相手にしたいと、地質調査の仕事に就いた。
26から30歳に渡るその時間は、人生の迷走というよりは、瞑想に近い。私にとって一種独特な世界にいて外界から閉ざされた期間である。それは、忘れ難い時期であり、そして忘れ難い1人の人間によりもたらされた奇跡の時期だ。
そう。先輩ヒサシという名の野生児と。
地質調査と言えば聞こえはいいが、
肉体労
介護論と遺伝論を凌ぐオンエア。娯楽の有り難さを知るハタチの思慮。
年齢を重ねると死生観に触れる機会が増えてくる。興味の対象そのものが鮮やかに見えていた事象ではなく、先に来る事に備える事や、守るべき物が増えてきたからなのかも知れない。
涙に関しても私の場合は同様だ。
昔は強がって、悲しくても涙を落とすなような事は、ほとんどなかった。
それは、泣くものではないと教わってきたからなのか。両親には口酸っぱく泣くなと怒られていた。泣いてるんじゃないよと叩かれていた。
香りが呼び起こす記憶に、僕はウィンクせざるを得ない
我が町湘南は、天気が良いとそこいらからお肉の焼けた香りがするものだ。皆がゆっくり時間を味わいBBQなど休日を楽しんでいる。
そんなお肉の香りと共に、僕にも香り漂う青春があったものだ。
それは、人がどう思うとも、キレイなバランスだったし、僕には香り以上に消えない思い出だ。
人の記憶と香りはリンクする。
誰が言ったのかわからないなら、僕が言ったのだろう。
それは20年以上も前、今は無き場所に
村上がもたらす邂逅と4冠王の昼下がり
⚾
「Instagramを開いたら神宮球場でのバイトのPRが僕のストーリーズに流れて来たんだ。僕が野球を好きじゃないという事実がもしかしたら、嘘だったのではないかと思うくらいにね。それと同時に、君の事を思い出した。それは最初からそういう事だったのかもしれない。好むと好まざるとに関わらずね」
「それは決められた事だったんだ。君が、神宮球場のバイトで僕を思い出したように、同じ時間軸で僕と君が存在して
ヤマドリからのメッセージはKONISHIKIと僕達伊勢原の物語への「待ったなし」
⛰️
山を登る。痩せたらしたかったこと。
標高1252mの神奈川県伊勢原市のシンボル
「大山」(おおやま)
どうしても1人で登りたかった。
1人で何を考え、どう思うか知りたかったからである。
こま参道という、階段続きの道を登るとケーブルカーか、乗らずに男坂か女坂に別れる。
大山はよく雲や霧がかかり、雨を降らすことが多く、阿夫利神社(あふりじんじゃ)があることから別名雨降り山(あめふりやま
今は、今しかない。動かなければと思った。
西加奈子さんの「i」を読了した。
読み始めてすぐに、音楽を消した。
無音で読むのは久しぶりだった。
この小説は、あの事も語るのか。
すぐに理解した。
世界のどこかで、悲劇が起きようとも自分がそこの当事者にならなければ自分の事として考えられない甘い奴。それが僕。
人より不幸の自分の方が、自己説明がつく。
助けになりたい、救いたい。雄弁に語れる。
到底、本当の自己とは分離した自分との対話だ。
谷崎潤一郎が好きである。それと同じくらい方言が好きである。
📚
谷崎潤一郎全集より
卍
日本に於けるクリップン事件 を読みました。
私は、関西弁を喋れない。
これは勉強すれば喋れるようになるのだろうか。
卍で操られる言語は、関西弁を喋れない人が本当に書いているのだろうか。
同性愛を告白する女性の話しで綴られていく男女4人の交差にタイトルの意味を感じる。
私が借りた全集には、谷崎潤一郎が、卍はモデルや種本はなく、上方言葉の甘美と流麗とに魅せら