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介護論と遺伝論を凌ぐオンエア。娯楽の有り難さを知るハタチの思慮。

年齢を重ねると死生観に触れる機会が増えてくる。興味の対象そのものが鮮やかに見えていた事象ではなく、先に来る事に備える事や、守るべき物が増えてきたからなのかも知れない。

涙に関しても私の場合は同様だ。
昔は強がって、悲しくても涙を落とすなような事は、ほとんどなかった。

それは、泣くものではないと教わってきたからなのか。両親には口酸っぱく泣くなと怒られていた。泣いてるんじゃないよと叩かれていた。

余計泣くんですけどね。

そんな私も最近は、なにもしなくても涙腺がユルユルです。どこに蛇口を忘れて来たのかと思うくらいです。最近はジャッキー映画で泣きます。

私が親父の涙を初めて見たのは田舎のバアちゃんの葬式。

泣くな泣くなと怒る親父の涙を初めて見て。

うわ、泣くんだ。この人涙出るんだって。

親が泣いた姿を見たとき、止めるも止めないもなく、それは唐突に胸を締め付け無条件で涙が溢れてきた。止められなかった。

ま、誰の涙でも貰い泣きしますが。

物語は唐突に、実家に帰った時に仏壇に手を合わせたらふと思い出した。子供の頃、我が家は母方の両親と一緒に暮らしていた。

私が中学、高校くらいだろうか。始まりは定かではない。ジィちゃんは、痴呆症になった。今でいう認知症。

日に日に、おかしくなっていくジィちゃんをどっか冷めた目で見るしか対応出来なかった。自分とは関係ないフリをして冷静でいようと心に蓋をした。

当事者だけど、当事者じゃないふり。

当時存命だったバアちゃんは、見てみぬフリで娘である私の母親にほぼ全ての介護をさせていた。デイサービスとか、ほとんど無かった時代で、ご近所には、状況説明して常に謝る感じだった。

体が健康だったため、放浪するわ、家の中で暴れるわ。それは大変だった。

行方不明の連絡がなぜお年寄りで頻繁に起こるのかと、想像力の欠片もない、絶賛思春期の私は自分の家族がその当事者家族になろうとは信じがたい出来事だった。

今でも、ハッキリ思い出す事が出来ない。恐らく認めたくないと、自分で記憶を消しているのだと思う。

たまに宿泊施設にジィちゃんを預けたけれど、夜には電話がかかってきて、暴れているので迎えに来てくださいだった。

その暴れるというレベルが違った。私の家は親父をいれて男が4人いたのに皆で押さえないと止められない。それもいつ終わるかわからない。

(私は男三兄弟の長男)←覚えておいてください。

コニシの小ネタ

人の恐ろしさを知った。老人を押さえられないんだから。人間は恐らく、普段意識している力の出し方を無意識にする事で何倍もの力を出せる。反動を気にしなければだ。これを火事場のくそ力というのかなとか、押さえながら思っていた気がする。

それでも親父は、義父であるジィちゃんを風呂に入れたり、髭を剃ってあげたり髪を切ってあげたりしていた。自分の親に出来なかったからとか言っていた気がするが、私からすると親父のその精神不安定な感じが私達に暴力として降りかかってくるとしか思えなくて、距離を置いていた。

しかし、なんとなくそれを見てて、家族のバランスが取れている感じだった。

現実の家族は、キレイな話じゃなく簡単に崩れるのかも知れないなと感じていた。

ある日、ジィちゃんが、手術で入院することになった。暴れたり何が起こるかわからないから、バアちゃんと病院に一緒に付き添った。ジィちゃんを押えられるか不安になりながら。

手術明けのジィちゃんは、うわごとというか、ほんとに何か見えていたのだろう。ずっと見えてる方向に話しかけていた。言葉も何を喋っているかわからないが、喋りかけたり、怒ったり笑ったりを天井を見ながら四六時中繰り返していた。

当然、バアちゃんは、妻としてずっとジィちゃんに付き添うのだろうと思っていた私は、長くなる闘いに備えてバアちゃんに何か食べた方がいい。買ってくるからと聞いた。

バアちゃんは、私の問い掛けに何にも話さない。
さすがに落ち込んでいるのかと思って、しばらく黙って一緒に付き添う事にした。

無関心を装っても、なんだかんだいっても夫婦だ。昭和初期の夫婦の時代の在り方は、小説で知っていただけだが、この2人もそうだったんだと思った。

ジィちゃんのワケわからん叫び声を除けば、静かな時間が経過した。

20時30分を過ぎた頃、バアちゃんが思い立ったように話しかけてきた。

「あいぼ あいぼ あいぼかね」

ちょっと何言ってるかわからないです。

しきりに発するその単語は、バアちゃんもついに変な事を言い出したかと不安になった。

「バアちゃん何?ロボットのAIBO?」

なぜバアちゃんがAIBOの事を知っているのか。全くわからないが、それでもバアちゃんは続ける。

「あいぼ あいぼ あいぼ何時かね」

なんの時間ですか

水曜午後21時。ドラマ相棒の時間である。

世は初代相棒ブーム真っ只中であった。

バアちゃんが気になっていたのは叫ぶジィちゃんではなく、相棒のオンエア時間だった。

無論、ジィちゃんはそのまま置き去りになった。

コニシ 木ノ子20歳。世のはかなさを知り、
娯楽は愛を越えるを知った夜

なんのはなしですか

今頃2人は仲良くやっているのだろうかのはなし。

実家には初代相棒の2人のサインがあるとか。ないとか。

親にも親がいて、夫婦には夫婦の形がある。
そして親の涙は当てにならないかもしれない。
自分の涙も何一つ当てにならないように。

コニシ 木ノ子遺伝論

参考までに。AIBOは、相棒からきてるとか、きてないとかね。

そう。今週も4冠ありがとうございます。
私の道を進むのみ。読んで書いての道へ。

有り難き。読んでいただき嬉しく思います。


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