遺言

遺言

 臨終間際の留澤新五郎はこれが最期と家族に向かって語り始めた。新五郎は家族への感謝。自分のこれまでの人生。そして死へと向かう覚悟。それらのことを死がくるまで語り続けるつもりだった。寡黙であった自分がこんなにまで饒舌になるとは。新五郎は自分がこれまでの人生で如何に多くのものを溜め込んできたかを身にしみて感じた。こんなにいっぱいになるまで溜め込むぐらいならもっと早く家族に喋っておけばよかったと後悔した。だがもう遅い。今はひたすら寿命がくるまでひたすら喋りまくるしかないのだ。 「あ

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"祖父母についてのお話"_1

"祖父母についてのお話"_1

  私の母が数年前、祖父と祖母の介護に当たっていました。 当時、祖母は認知症、祖父はパーキンソン病を患っていましたが、幸いな事にまだ2人の病状が悪化していなかった際は2人で同居していて、私達の家から約1時間くらいのところにその家はあり、よく遊びに行っていました。古びた家でよく庭に蟻やダンゴムシが出現していたんですが、そのころは虫もさして嫌いではなかったので平気だったし、軒下にたまにいる野良猫に祖母と一緒に会いに行くことも好きでした。   祖母が認知症だ。と知ったのは、お母さん

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共働き家事シリーズ: 3世代家事談義-95歳の祖父からの宿題-
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共働き家事シリーズ: 3世代家事談義-95歳の祖父からの宿題-

今週は御年95歳になる祖父御一行が、 遠方より、ういろうとゆかりを引っ提げ、 ゾロゾロと孫の家ツアーと称し、 夫と私の新居にやってきた。 御一行のメンバーは、 耳が遠いチャーミングな祖父。 母の家系の絶対的リーダーの叔母。 そして、 案内係としてやってきたうちの近くに住む、 叔母に頭が上がらない母。 祖父は、 「温泉行ったみたいだけど楽しかった?」 と耳元で聞くと、 「これ美味な」と答える程度には耳が遠いが、 それ以外は元気モリモリ。 自分の眉毛が薄いのを気にして、

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敬老の日をはじめて贈った話。

敬老の日をはじめて贈った話。

豊ばあから電話がきた。 電話で話すのなんて何年ぶりだろう。 理由はなんとなくわかっていた。 僕が今所属している会社で実施した敬老の日企画。 敬老の日に、あたたかい瞬間がたくさん起こったらいいなと 願いを込めて実施したこの企画。 こんな動画もつくったりして。 企画を考えながら、 そういえば、僕も敬老の日にプレゼントを贈ったことなんて無かったなあと思い、 がらにもなく、じいばあに贈ってみた。 というか、そもそもプレゼントをしたことすら無かったかもしれない。 何をあげた

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【フラッシュバック】お湯をかけながら

【フラッシュバック】お湯をかけながら

浴室で末っ子にお湯をかけながら、祖父の家で風呂に入っていた自分の幼少期のことを唐突に思い出しました。 もちろん実家にも風呂はあったのですが、節約のためだったのかなんだったのか、幼稚園児の頃は隣に住む祖父の家に風呂に入りに行っていました。 当時祖父の家は五右衛門風呂(長州風呂)で、となりのトトロのあの感じの風呂場でした。 脱衣所や浴室は断熱が効いていないので少し肌寒く、かといってお湯の温度は風呂を沸かす祖父の匙加減。 幼児にとってはだいたい熱かったと思います。 末っ子

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そういえば祖父も俳句を詠んでいたという話

そういえば祖父も俳句を詠んでいたという話

昨日、ふとしたきっかけで「俳句」というものを作ってみました。 もともと、「短歌」は少しだけやっていたのです。 オンライン短歌サークルに入って、歌会(オンライン)などにも参加しておりました。 短歌は、5、7、5、7、7、の31文字です。 対して俳句は17文字。 難しい。 短歌なら31文字使えるのに… たった17文字。 その文字の中に、描きたいことを詰める。 けっこう難しかったです。 短歌は「ストーリー」を、俳句は「一瞬」を切り取るのではなかろうか。 そんな風に感じまし

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香水と線香と

香水と線香と

あぁそうだ、思い出した。この香りだ。 田舎くさくて古くさい、線香の香り。 グレーに近い深緑の細い先端に 小さな赤を灯して煙を放つ。 高く軽やかに上には登っていかず、 どこか澱んだ質感を持って低いところを静かに漂う。 18の頃、この香りを避けるように街へ出た。 記憶も曖昧な3歳の頃、父方の祖父を亡くした。 真面目で仕事熱心で 笑うと目尻が垂れ下がる優しい祖父は、 幼い私の手を引いて公園を歩いてくれた。 そんな祖父との思い出も、 すべてアルバムの写真によって認識できているわけで

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じいちゃんの通信簿

じいちゃんの通信簿

祖父はシベリアで2年間強制労働させられてから日本に帰ってきた。 白い着物のような粗末な衣服。その縫い目にはダニの卵がぎっしりついていた。家族との再会を喜び合うのもつかの間、その汚れた服を剥ぎ取り熱湯消毒が始まった。 その後、社会復帰。建設会社に勤めていた祖父は、接待で毎晩のように飲んで夜遅く帰ってきた。家族を省みることはほとんどなかった。 私が物心ついた頃には祖父はすでに定年退職後で、よく入退院を繰り返していた。母に連れられて時々お見舞いに行ったけれど、おとなしい子供だっ

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祖父が唸る日には気づけなかったこと

祖父が唸る日には気づけなかったこと

毎年6月23日の慰霊の日辺りになると、祖父は周りの声も聞こえなくなったように怒っていた。何に怒っているのかといえば、「アメリカー」や「ヤマト(日本)」に対してである。 ぶつぶつと方言で罵るので、何を言っているかは僕にはわからなかったし、通訳できる親族も何を言っているかを教えてくれることはなかった。 一応説明すると、本土では休日ではないけども、沖縄では休日になる6月23日は戦争が終わった日として死者に黙祷を捧げることになっている。TVでは沖縄戦特集が組まれ、小中学校では前後

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祖父が亡くなった話②
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祖父が亡くなった話②

前回に引き続き祖父の亡くなったときの話をする。 ちなみに通夜は「大安」を避けるらしい。 「ご納棺の儀」を終えてから2日後に通夜が行われた。 日曜の午後17時から開始された。 通夜はご納棺の儀とは異なり喪服を着用して出席する。 私の場合、喪服を買うお金が無かったのでGUでそれっぽいブラックスーツを購入した。上下で税込み8,000円くらいだった。 ちなみに弟はアマゾンで5,000円くらいのを買ったようだった。 GUのは意外と質も良くて思っていたより"ブラック”だった。 気心