仁の音

大分在住の、人生の秋を迎えた翁です。今は、非常勤講師として中学生・高校生から刺激と活力…

仁の音

大分在住の、人生の秋を迎えた翁です。今は、非常勤講師として中学生・高校生から刺激と活力をもらっています。種々の雑感と、たまに古典のコラムです。さて、どんな音を奏でることが出来るか?

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六十路の手習い

人生の秋の今頃になって、ささやかなブログを開設。 すべて息子の手引きによるもので、感謝一入です。 終活には少し早いので、せめて脳活・脳シャンのつもり。 「仁の音」とは「仁note」のダジャレです。スミマセン。 どんな人生の音を紡いで行けるか、私にとっても未知数。 お暇な時に、覗いていただける部屋にしたいと思います。 【翁のプロフィール】 1953年(昭和28年)大分県杵築市山香町の生まれ。山香中学、日田高校を卒業。1972年(昭和47年)日本大学文理学部国文学科

    • No.1309 諭吉という人

      「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言へり。(略)。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。(略)。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。 福澤諭吉(1835年~1901年)が『学問のすゝめ』(初編)を著したのは、1872年(明治5年)のことで、37

      • No.1308 ツクヅクヨーシ!

        もう、ずいぶん昔の、9月中旬ごろのお話です。 学校で試験監督をしていた日のことですが、ツクツクホウシの声が裏手の林から聞こえて来ました。蝉はオスだけがメスを恋うて鳴くのだそうですね。 「恋に焦がれて 鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす」 という都々逸作者の粋な句もあり、軍配は蛍の方に上がったようです。 さて、その監督中に、ふと 「ツクツクホウシは、一度鳴き始めたら何回くらい鳴き続けるんだろう?」 という軽い疑問が脳裏に浮かびました。 一体に、ツクツクホウシは、「

        • No.1307 分身の術

          それは、唐突に始まりました。 ♪もう一度さ 声を聴かせてよ  めくれないままでいる  夏の日のカレンダー   TBS系火曜ドラマ『Eye Love You』の主題歌「幾億光年」(Omoinotake)のビートのきいた曲に乗って現れたのは、妹の秘芸(?)、渾身の「棒人形ダンス」でした。トップ画像は、その1葉です。 昨日は帰省し、父の50回忌(54歳没)・母の11回忌(85歳没)・義姉の3回忌(68歳没)の「偲ぶ会」を行いました。兄宅に、私夫婦、妹夫婦の5人だけが集う内輪の会

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          No.1306 心盗人(こころぬすびと)

          私には、畏友がいます。その彼女の親友は、25年前に45歳という若さで幽明境を異にされました。その方の13回忌の日に、畏友がお供養に鰻のかば焼きを家に届けると、亡き友のお母さんがピーナツ豆腐を練っており、手が離せない状態だったそうです。 「おばちゃん、泥棒が入っても練り続けてるんやないの?」 と冗談めかして声を掛けると、 「なーんもないから、いいのよ!」 と答えました。 そんなことがきっかけとなって、畏友の創作「命日うなぎ」が生まれました。彼女は朗読して聴かせてくれましたが、

          No.1306 心盗人(こころぬすびと)

          No.1305 同病相憐れむ?

          50年ほど前の大学生時代に、恩師宅に伺った帰り際にいただいた『ことばの百科事典』の中に「ユーモア辞典」が含まれていました。アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』(1911年、アメリカ)ほど鋭い棘はありませんが、humorに溢れるいくつか書き留めておいたものがあったので、少しご紹介させてください。 「イビキ」…個人に許された最後の自由。 「大人」…長靴を履いて水たまりをよけて通る人。 「慎重」…ハッキリ自分が間違っていないと分かる時でも、一応、妻に尋ねてみること。 「神秘」…

          No.1305 同病相憐れむ?

          No.1304 句のこころ

          夏というと、強く心にのこる二つの句があります。 「夏草に 這上がりたる 捨蚕かな」 村上鬼城(1865年~1938年)の句です。『鬼城句集』(1917年、中央出版協会)が出典だそうです。 「捨蚕」(すてこ)は、病気にかかったり、発育不良のために野原や川に捨てられたりする蚕のことです。人から見放され、生きるすべを失った小さな命が、生い茂る夏草に死力を尽くして這い上がっている様子を詠んだものです。その先に何があるかも分らぬまま。 捨てられた蚕が「なにくそ、死んでたまるか

          No.1304 句のこころ

          No.1303 全方位型糾弾方式?

          『徒然草』(下)第220段「何事も辺土は」の中で、天王寺の楽人の言葉に「指南」(一部抄出)の語がありました。 「寒暑に随ひて上がり下がり有るべき故に、二月涅槃より聖霊会までの中間を指南とす。秘蔵の事なり。」 (寒さ暑さにつれて、鐘の音には高低があるはずだから、二月に行われる涅槃会から聖霊会までの間の音を指針とします。これは秘伝とするところです。) 「指南」の語は、中国の方角を指し示す「指南車」に由来すると言われます。「指南車」とは、文字通り南の方角を指す車です。戦場におい

          No.1303 全方位型糾弾方式?

          No.1302 ぐらり

          詩人・吉野弘(1926年~2014年)が、一つの詩が生まれる前の心の軌跡について触れられた文章が『酔生夢詩』(青土社、1995年)にありました。 そんな経験が、次の詩になったと言います。 私は抽象的で独りよがりな詩は苦手ですが、吉野弘の詩は平易なのに心に沁みます。小過・中過・大過を経験してきた私にとって、「過ちを繰り返しながらも、なんとか過ごしている」自分を、つくづくと感じています。それが、私です。私のために贈られた詩のように思えるほどです。そして、詩人の言葉に対する感性

          No.1302 ぐらり

          No.1301 野わきかな

          平櫛田中(でんちゅう、1872年~1979年)は、高村光雲や朝倉文夫などと並び称される彫刻家です。享年108で大往生しましたが、 「100歳を超え長命であったが、死の直前まで創作を続けた。」 「没後のアトリエには、なお30年以上続けて制作できるだけの彫刻用の材木があった。」 などというエピソードがあるほどの恐るべき芸術家だったそうです。 また、90歳で文化勲章を受章した時、 「貰うのは、棺桶に入ってからだと思っていました。」 と言って記者を笑わせるお茶目な一面もあったと言

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          No.1300 家庭訪問?

          今から36年も前の通信の中に、宮沢賢治「雨ニモマケズ」のこんなパロディが書いてありました。すっかり忘れていましたが、改めて読みなおしてみると、「ばかばかしさ」を超えた真実も垣間見えるように思われたので、日の目を見せようとする次第です。 なお、戯作者の「良苦野無男」(良く飲む男)なる人物の氏素性は、まったく分かりません。どんな経緯で私がこの作品に巡り合い、通信に載せたかも記憶にありません。私のペンネームでない事だけは確かです。もし、作者・作品をご存知の方がいらっしゃいました

          No.1300 家庭訪問?

          No.1299 失くしたものは?

          「成人式」というと、我々戦後の世代には1月15日が思い浮かびます。1948年(昭和23)に制定された「成人の日」ですが、半世紀後の2000年(平成12年)から1月第2月曜日の祝日となりました。社会の構成員として公に認知を受ける儀礼に過ぎないとはいえ、その年齢を迎えられたことを家族や地域や社会や国がお祝いし、前途を祈ることは、望ましい行事だと思います。 とはいえ、東北・北陸の1月は雪の影響が多く、夏休み中に帰省する若者も少なくないことから、8月開催が多いそうです。一方で、寒

          No.1299 失くしたものは?

          No.1298 自覚したこと

          60年ほど前の小学校6年生の時、昼休みの校内放送の係りをしていました。昼食をとり、その後、5時間目が始まるまでの約40分間、放送室内にあるレコードのどれを流しても良いので、すごく楽しみな時間でした。 とはいえ、田舎の小さな小学校のことです。流行歌やポップスなどはなく、唱歌やクラシックやマーチや和楽など、今どきお耳にかかれない昼の放送音楽でした。 ある日の昼の放送で、宮城道雄の箏曲「六段」を流しました。曲が終わると、当時の手尾日出夫校長先生がすぐに放送室にやってきて、人

          No.1298 自覚したこと

          No.1297 じい! ジー! 爺!

          大分では6月30日に「蝉鳴」の初声が聞かれたそうです。私が気付いたのは7月5日のことでした。「ジー」(「チー」?)と聞こえるのですが、一瞬「ついに、耳鳴りが来たか!」と疑ったほどです。たぶん、ニイニイゼミだろうと思います。 一昨日の朝、家に上がる階段の壁にセミの抜け殻が張り付いていました。画像は、その姿です。その前日には見られませんでしたから、一晩のうちにどこからかやってきて、夜のうちに羽化したのでしょう。やはり、羽化は無防備で危険が多く、時間もかかるので、真っ暗な夜中を

          No.1297 じい! ジー! 爺!

          No.1296 丸くおさまる?

          「思いやりの、いみじくて!」 と言いたくなるコメントに感謝することの多い日々です。 昨日のコラム「仁の音」の「No.1295 忠孝の子犬」について、クリエイターの「かずみ|つれづれ語り」さんから、こんなコメントを頂戴しました。 「江戸の昔にも、暖かいお話があったのですね。 そういえば、聖徳太子さんも雪丸という犬との出会いがあったようですが。 動物は人間を裏切りません!」(抄出) 「浅学非才」「無芸大食」を自認している私は、聖徳太子(574年~622年)の愛犬「雪丸」のこと

          No.1296 丸くおさまる?

          No.1295 忠孝の子犬

          子供たちの食い入るように本を読む姿が思い浮かぶお話を、一つご紹介させて下さい。 【本文】…藤次郎といふ者、外に出てしとき、犬の子の、はなはだしき愛らしきを見て、もらひて帰り、家に飼ふ。この犬、その親犬の居所に、夜ごとに行きてそのかたはらに伏す。魚肉など得たるときは、口に含みて持ち行き、親犬に与ふ。 その道ほど、およそ三町あまりなり。 藤次郎、大いに驚き感じけるが、たはぶれに犬を叱りて、「人の家に犬を飼ふことは、夜を守らしめんためなり。 しかるし、汝(なんじ)わが家に養はれ

          No.1295 忠孝の子犬