仁の音

大分在住の、人生の秋を迎えた翁です。今は、非常勤講師として中学生・高校生から刺激と活力…

仁の音

大分在住の、人生の秋を迎えた翁です。今は、非常勤講師として中学生・高校生から刺激と活力をもらっています。種々の雑感と、たまに古典のコラムです。さて、どんな音を奏でることが出来るか?

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六十路の手習い

人生の秋の今頃になって、ささやかなブログを開設。 すべて息子の手引きによるもので、感謝一入です。 終活には少し早いので、せめて脳活・脳シャンのつもり。 「仁の音」とは「仁note」のダジャレです。スミマセン。 どんな人生の音を紡いで行けるか、私にとっても未知数。 お暇な時に、覗いていただける部屋にしたいと思います。 【翁のプロフィール】 1953年(昭和28年)大分県杵築市山香町の生まれ。山香中学、日田高校を卒業。1972年(昭和47年)日本大学文理学部国文学科

    • No.1218 枝を折ったのは?

      私は、4月29日で71歳を迎えます。 昔、70歳になった老人は「楢山参り」をしなければいけなかったという伝承があります。小説『楢山節考』(深沢七郎『中央公論』1956年11月号)は、70歳を目前にした老女(おりん)が土地のならわしに従い、息子(辰平)に背負われて楢山に捨てられに行くお話です。民間に伝わった老棄伝説だそうで、貧しい村の口減らしのための因習です。世が世なら、私は、既に捨てられていた年齢です。 原点となったものの一つに、950年ごろ成立し、その後増補を重ねた

      • No.1217 民間話芸?

        全国区の噺家さんが、田舎の公民館に来てくれたのは、もう1週間も前のことです。観客数が100人足らずのミニ独演会です。よくぞ多忙を割いて来てくださったと、いたく感激しました。 友人からの誘いを貰った私は、開演の1時間半も前に会場にたどりつき、1番乗りでした。次第に近郷近在の人々が集まり始めましたが、圧倒的に老人たちが多く、若い人は数えるほどしかいません。私の席は、いつの間にか美しく年を召された女性ばかりに囲まれ、陸の孤島状態となりました。 凄いなと思ったのは、開演までのほぼ

        • No.1216 初めての後悔

          小さな団地の、ひな壇の土地の一角に家を建てました。 17段の階段を上り降りしなければなりません。30代の頃だったので、足腰の運動にもなるしいいだろうと思っての事でしたが、カミさんの友達のお母さんから、 「年を取ったら、苦になるよ!」 と言われました。 「そんなもんかな?」 と思っておりましたが、 「本当にそうだった!」 と思い当たる齢になってしまいました。 団地の100mほど上手に、9階建ての大きなマンションがあります。高台に建っており、道路から35段の階段を上がらねばな

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        六十路の手習い

          No.1215 Petit

          大分の桜は、ほぼ散ってしまいました。 童話「花咲か爺」は、大分弁でいうなら「むげねえ」(可哀想、酷い)お話です。  昔、ある山里に心優しい老夫婦と、その隣に欲張りで意地悪な老夫婦が住んでいました。ある日、弱った子犬を助けた優しい老夫婦はシロと名付け、わが子のように育てました。 ある時、シロが畑の土を「ここ掘れワンワン」と鳴き始めるので、お爺さんが掘ってみると、なんと大判小判がザクザクと出てきました。  それを見た隣の欲張りな老夫婦は、強引にシロを借りて財宝を探させます。し

          No.1215 Petit

          No.1214 嬉し恥ずかし…。

          美味しい道草もありますが、嬉しい道草もあるようです。 21世紀が始まった年の1月に行われたウォークラリーに、カミさんと二人で参加した時の思い出です。気力体力が弱ってきたころ、ちょうどお昼になりました。 大野川沿いに、名前は失念してしまいましたが、イタリアンレストランがあったので入りました。私はイカ墨パスタ、カミさんは明太子クリームパスタを注文しました。パスタの茹で加減良く、お味も良く、ウェイトレスさんの愛想もよく、窓越しに見える眺望もよく、お蔭で足のしびれや痛みを少しの

          No.1214 嬉し恥ずかし…。

          No.1213 H先生の言葉

          「最近の若者は頭がいい」と言われます。その理由を説明しなさい。 そんな文章表現の課題がありました。 なかなかの難問です。「頭がいい」の意味は拡大解釈するしかありません。いや、課題の言葉のように「最近の若者は頭がいい」という評価も成り立つのでしょうか?アバウト至極な印象を持ちました。大風呂敷なだけに、さまざまな視点や論点も賑わいを増すのでしょう。 最近の若者の傾向としては、ものごとの好き嫌いをハッキリ言い、曖昧さを好みません。また、先を見通したり見極めたりする能力にたけ

          No.1213 H先生の言葉

          No.1212 お嬢は、今?

          卒業試験を終え、追試もクリアーして、ほぼ全員が自宅待機をしているというのに登校していた高校3年生のお話です。 その登校の理由は、 1、追試したにもかかわらず、まだ合格できない人。 2、補講がなかなか終わらない人。 3、学校が好きな人。 だからです。 ある年、残るたった一人となり、ようやく補講を終えた某女生徒が、教員室でのクラス担任の取り扱いを終えて出ていく時に、 「あーあー、この学校とも、お別れかー!」 と漏らしました。嬉しさと名残惜しさの入り混じったような感懐が、そ

          No.1212 お嬢は、今?

          No.1211 嘘なの?本当なの?

          誰も褒めてくれないから「自画自賛」するって、なんか悲しい! 「ボーッと生きてんじゃねーよ!」 永遠の5歳児チコちゃんの、品のある(?)言葉遣いに刺激され、 「世の中に 絶えて試験の 無かりせば 学生生活 のどけからまし」 という作者不明の名パロディ句に勇気を得て、その昔、百人一首戯れ歌を考えたことがあります。一度書いたことがあるのでお目汚し至極でしょうが、お許し下さい。少し加筆しました。 「永らへば 定期考査の しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今も変はらず」 「もろと

          No.1211 嘘なの?本当なの?

          No.1210 心と言葉

          自然科学は日進月歩(いや、分進秒歩?)のごときですが、人の心はどうなのでしょう? 「様良う、すべて人はおいらかに、すこし心おきてのどかに、おちゐぬるをもととしてこそ、ゆゑもよしも、をかしく心やすけれ。もしは、色めかしくあだあだしけれど、本性の人がら癖なく、かたはらのため見えにくきさませずだになりぬれば、憎うははべるまじ。」 (良い雰囲気で、全てにおいて女房は穏やかに、少しは心に余裕を持ち、落ち着いていることを基本にしてこそ、その品格も風情も魅力となりますし、安心して見ら

          No.1210 心と言葉

          No.1209 しゃくまたいし!?

          「湯加減を しょっちゅう聞くな わしゃ無事だ」 私も同じです。 「壁ドンで ズボンの履き替え やっと出来」 私もそうしています。 「爺さんが ボケたふりして 女湯へ」 これは、私ではありません。 「腹八分 残った二分で 薬飲む」 仁です!有名な川柳でごあいさつしました。 今日は楽しくやりましょう! 先日、別府で行われた中学時代の古希の同窓会には、42人(26%)が集まりました。その席上、もしも指名されたらそんな挨拶をしようと車の中で考えていたのですが、みんな、食事したり話し

          No.1209 しゃくまたいし!?

          No.1208 来るなら来い!

          「♪春の小川は さらさら行くよ~」 ご存知「春の小川」(作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一)は、1912年(大正元年)に発表された文部省唱歌で、『尋常小学唱歌 第四学年用』に採用されました。元の歌詞は、田舎の春の麗しい景色を情感豊かに格調高く歌い上げています。 一、 春の小川は さらさら流る。 岸のすみれや れんげの花に、 にほひめでたく 色うつくしく 咲けよ咲けよと さゝやく如く。 その30年後の1942年(昭和17年)、それまで小学4年生に教えられていたこの曲が3年

          No.1208 来るなら来い!

          No.1207 裏を見せ 表を見せて

          人生は不条理にして非情、そして、摩訶不思議です。 2008年(平成20年)に親戚としてのご縁をいただいていた甥っ子の義父さんが、つい先日、お釈迦様のお誕生日の翌日に、59歳の若さで幽明境を異にしました。 奥さん、4人の子ども達、7人のお孫さんたちに囲まれた彼のお写真が葬儀会場入り口に飾られており、その快活な性格のよく表れた笑顔が、いっそう悲しみを増しました。 企業人として活躍をし、同僚や部下や会社からも「この人あり」と謳われた人物であったと記憶しています。人のため

          No.1207 裏を見せ 表を見せて

          No.1206 どっちde show!

          「足摺岬」は、高知県の最南端の高知県にある高さ80mを越える断崖絶壁の岬だそうです。眼下をのぞくと、あまりの高さに身がすくみ、思わず足摺りして下がるから「足摺り」なのだろうと勝手に想像しちょりました。 しかし、岬の名前の由来は、その昔、弘法大師(空海、774年~835年)が修行のため足を引きずりながらたどり着いたことが「足摺り」の由来だそうです。ヘーボタンです。 先の3月28日の「こころ旅」は「犬吠埼の水族館のイルカの大ジャンプ」(2013年12月4日)の再放送でした。

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          No.1205 目端の利く男

          私くらい年を取ると、「ついこのあいだ」と言っても、四半世紀前のことだったりします。 ある日の放課後、またしても禁止されている中庭でのサッカーに打ち興じている「むくつけきおのこ四人衆」がいました。家から学校にサッカーボールをわざわざ持参した用意周到なI君を呼びつけ、黒のマジック1本を手渡し 「ボールのここんところに、『贈、〇〇君へ!byI』と書け!」 と語気を強めて迫りました。 すると、I君は、 「つつしんでお返しします!」 とでも言うように、黒マジックにキャップをし、私の

          No.1205 目端の利く男

          No.1204 笑う、山も膝も。

          3月中旬~下旬にかけて使う春の季語が「山笑う」だそうですが、春が来ると彼女のこの詩のページを開きたくなります。 喜怒哀楽、どれも生きているからこその人間の感情です。「笑い」は、心にゆとりがあるからこそ生まれるものでしょうか。しかし、五木寛之『大河の一滴』の中で紹介されたように、シベリア抑留で精神の崩れそうな極限状態にありながら、絶望の淵にありながらも、人は美しい夕日に魂を揺さぶられ、にやりと笑みをこぼしたという話を読み、人間の尊厳を思いました。美しい世界が生み出した小さな笑

          No.1204 笑う、山も膝も。