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No.1306 心盗人(こころぬすびと)

私には、畏友がいます。その彼女の親友は、25年前に45歳という若さで幽明境を異にされました。その方の13回忌の日に、畏友がお供養に鰻のかば焼きを家に届けると、亡き友のお母さんがピーナツ豆腐を練っており、手が離せない状態だったそうです。
「おばちゃん、泥棒が入っても練り続けてるんやないの?」
と冗談めかして声を掛けると、
「なーんもないから、いいのよ!」
と答えました。

そんなことがきっかけとなって、畏友の創作「命日うなぎ」が生まれました。彼女は朗読して聴かせてくれましたが、ご一読いただければと思い、紹介する次第です。

「命日うなぎ」
 ある年の文月の土用の丑の日、泥棒稼業で細々と生活していた甚六は、稲葉藩津櫛村の人通りのない門前と言うところで、涼しげな朝顔の咲く平屋を見つけた。
「ちょいと、ごめんなさいよ!」
と声を掛けるが返事がない。これはうまいことに留守だぞと、忍び足で奥に入ってみると、目の前に白髪の婆さまがいた。柔和な笑顔で、
「おいでましー。あーら、どなた様かしら?」
とゆったりとした、品の良い澄んだ声で云う。
「わたくし、今、葛を練っておりましてね、四半時ほど手が離せませんが、何か御用でございますか?」
と優しく甚六に尋ねる。この家の齢九十になるおスエである。
「のんきなこと云ってんじゃねーよ。早く金目のものを出せ!」
甚六は、懐に忍ばせている包丁をちらつかせた。
おスエは少し驚いたようすだったが、葛を練る手を止めようとしない。甚六は呆れながらも、急いで家の中を物色したが、取り立てて金目のものはなさそうだ。

 ふと仏壇に目をやると、旨そうな鰻のかば焼きと「お布施」と書かれた包み紙が供えてある。ようやっと、盗みに入った甲斐があったってもんだと、布施を懐に押し込み、何年かぶりのかば焼きに手を伸ばそうとすると、おスエが、
「ちょっとお待ちくださいまし。今日、文月の二十一日は、亡き娘おマユの十三回目の命日でございます。仲良しだったおヨネちゃんが、先ほど娘の好物のかば焼きをお供えして下さったのです。後で、おマユの姉のおスズと共に月光寺にお参りいたします。お腹がお空きでしたら、葛豆腐がじきに出来上がります。それに、おにぎりもございますし、井戸でよーく冷やした西瓜もあります。どうか、そのお供えのかば焼きだけは、そのままにしておいてくださいまし。」
と丁寧にお願いした。
 根っからの悪党ではない甚六。泥棒稼業の身ではあるが、老いた母親の、今は亡き娘を思う情にほだされて、鰻は口にせず、出来立ての葛豆腐に、握り飯と沢庵、冷えた西瓜まですっかりいただいた。

 そこに、金を貯め込み、ケチで有名なおカネが、
「おスエ婆さま、おるんなー?お客かね?」
と遠慮のない大声で入ってきた。甚六は、とっさに懐の包丁に手をやったが、
「えぇ、えぇ、ちょいと知り合いのドロボ…、いや、殿方がね…。」
と取りつくろった。
 このおカネ、赤ら顔で化粧っ気はなく、人目も気にせず暮らしているのだが、その昔は道行く人が振り返る程の津櫛小町だったといい、今や七不思議の一つに数えられている。
 おカネは、葛豆腐に握り飯、菓子に沢庵と目についたものを袂に入れ、甚六の食べ残しの西瓜を、皮が羽衣のようにヒラヒラになるまで食べつくして帰って行ったものだから、
「こりゃあ、盗人もかなわねーや!」
と甚六はつぶやいた。

 おスエのあまりの人の好さに恐れ入った甚六は、久々に人の情けに触れ、懐に入れた布施を仏壇にそっと戻して出て行こうとした。その時、おスエから、
「今度は、刃物は持たずにいらっしゃいましね。一緒に葛豆腐を食べましょう。」
と優しく声を掛けられ、握り飯と小銭まで渡された。

 これを機に改心した甚六は、老舗のうなぎ屋で人一倍働き、数年の後には「甚六」という店を開いた。それから、毎年文月には「命日うなぎ」と熨斗のついたかば焼きを、おマユの仏前にお供えに来たという。
 盗人の悪い心を盗んだのは、おスエ婆ちゃんだった。


※画像は、クリエイター・SATOKODさんの「鰻」の1葉をかたじけなくしました。成田で食べたうな重だそうです。メイラード反応がまぶしい!お礼を申し上げます。