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No.1297 じい! ジー! 爺!

大分では6月30日に「蝉鳴」の初声が聞かれたそうです。私が気付いたのは7月5日のことでした。「ジー」(「チー」?)と聞こえるのですが、一瞬「ついに、耳鳴りが来たか!」と疑ったほどです。たぶん、ニイニイゼミだろうと思います。
 
一昨日の朝、家に上がる階段の壁にセミの抜け殻が張り付いていました。画像は、その姿です。その前日には見られませんでしたから、一晩のうちにどこからかやってきて、夜のうちに羽化したのでしょう。やはり、羽化は無防備で危険が多く、時間もかかるので、真っ暗な夜中を選ぶのでしょう。
 
 「セミは夕方から夜にかけて羽化する。 16時すぎより土から出てきて、木に登り始め、18~19時ごろから羽化を始めることが多い。 カラから出てきて完全に羽化が終わるまでは、2~3時間近くかかる。」
(すぎなみ学倶楽部「セミの羽化を観察しよう」より)
 
それにしても、木や枝や葉ではなく、階段の外壁で羽化とは?蝉事情も近代化に即応しているようです。旧習にこだわらないところが、すこぶる良いと思います。
 
『万葉集』に蝉を詠んだ歌は10首ありましたが、そのほとんどは、「ひぐらし」(9首)を詠んでいました。
「日晩」…1479番、1964番、2157番、2231番
「日倉足」…1982番
「比具良之」…3589番、3620番、3655番
「日晩之」…3951番
と表記されています。一体、なぜ「ひぐらし」だけが和歌の対象となったのでしょう?

井上さやか氏の「『日晩(ひぐらし)』という表語―漢字文化圏における万葉歌の位置を探るために―」(奈良県立万葉文化館出版、「万葉古代学研究年報」、2008年3月)という論文は、先の万葉歌の10首の「蝉」の歌を分析して「ひぐらし」の意味するところを詳細に解き明かそうとした意欲的な作品です。

その結論として、井上氏は前掲論文のP45で次のように結んでありました。
 「万葉歌のなかでのヒグラシは、秋の物色として認識されていたとみるべきであると考える。そして万葉歌においては、一日を過ごすことを意識させるものとして『日晩』という表語文字が書かれているとも言える。それは一日を漫然と物思いにふけるような鬱屈した心持ちが、その契機となるヒグラシの声によって象徴的に表現されたためであっただろう。」

わが家のニイニイゼミ君の先祖は、万葉人たちにどのように聴かれていたのだろうかと、柄にもなく想像しました。まさか、「爺!爺!」ではあるまいと思いますが…。