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No.1296 丸くおさまる?

「思いやりの、いみじくて!」
と言いたくなるコメントに感謝することの多い日々です。

昨日のコラム「仁の音」の「No.1295 忠孝の子犬」について、クリエイターの「かずみ|つれづれ語り」さんから、こんなコメントを頂戴しました。
「江戸の昔にも、暖かいお話があったのですね。
そういえば、聖徳太子さんも雪丸という犬との出会いがあったようですが。
動物は人間を裏切りません!」(抄出)

「浅学非才」「無芸大食」を自認している私は、聖徳太子(574年~622年)の愛犬「雪丸」のことを知りませんでした。すぐに調べてみました。すると、人の言葉を理解し、お経も唱えたというほどの賢い犬であることがわかりました。

その話は、五師大法師・実秀なる僧が江戸時代初めに書いた『太子伝撰集抄別要』(慶長12年=1607年)に登場するそうです。

聖徳太子が九歳の頃のお話。太子の宮殿で、白雪丸と言う名の犬が大切に飼われていた。太子は、白雪丸に担当の役人を付け、毎日食べ物を与えていた。
 ある時、太子の前に白雪丸が来て、少しやせた姿で何かを訴えるように前脚を折り曲げてかしこまった。太子は、白雪丸の食べ物を役人が盗み取っていることを伝えたいのだと気付いたが、証拠がない。
 太子は、白雪丸に「学架(がくか)という博士のところへ行き、訴状を書いてもらいなさい」と言った。
 再び、白雪丸が大喜びで太子のもとへ。太子は学架に書いてもらった訴状を読むと、役人を呼んで注意した。その後は盗み取られることはなくなったそうだ。

「県民だより奈良」(「奈良のむかしばなし 雪丸のルーツ」)2022年2月号より

さらに、江戸時代末から明治時代初め頃にかけて書かれた『達磨寺略記』の中に「雪丸」の名が登場するので、「雪丸」のルーツは、『太子伝撰集抄別要』の「白雪丸」ということになるのでしょう。雪のように真っ白なその犬は、心も清浄な色をしていたのでしょう。

「丸」は「まろ」とも「まる」とも読めますが、万葉の時代は「麻呂」(まろ)の読みが多かったと思われます。その語源は、「排泄や排便」の意味の「まる・ばる」説があるとかで、可愛い幼子に、わざと汚い名をつけることで、魔物に魅入られないようにするという呪術的な意味があったと言います。今日、人の名は瑞祥の印だと思っていましたが、古代には、子どもの死亡率は恐ろしく高かったでしょうから、呪術信仰による命名も肯えます。
 
平安時代中期の『枕草子』「上にさぶらふ御猫は」の段で、哀れな犬「翁丸」の話が書かれていますが、「おきなまろ」と呼ばれていたようです。「まろ」から「まる」への変化は、室町時代あたりからかと言われていました。私の中では、ヘーボタン!
 
飛鳥時代、聖徳太子の当時は「白雪まろ」と呼ばれていたでしょうが、江戸時代末から明治時代初め頃にかけて書かれた『達磨寺略記』では「雪まる」と呼ばれたのでしょうね。いずれにしても、千代丸関のようにコロコロして可愛いイメージが浮かんできます。その名にあやかって、何となく丸く収まった感じがしています。

「かずみ|つれづれ語り」さんのお陰で、様々知る楽しみを味わいました。お礼申し上げます。


※画像は、クリエイター・鉄の扉 iron doorさんの、タイトル「聖徳太子生誕の地を訪ねて」から、奈良県明日香村にある聖徳太子生誕の地「橘寺」の1葉をかたじけなくしました。感謝申し上げます。