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『うぐいす張り』

 お耳汚しを失礼致します。
 私の統計では、「志村背後!」と云う言葉をご存知ない方は、少なくないと思います。
 『8時だョ!全員集合』の舞台コントに於いて、いらん事しいでボケ役の志村けんさんが、背後から危険に晒されて居る様なシーンで、観客の飛ばした野次が定着して、迫る危険に気付いて居ない人に対して注意喚起する定型表現がこの「志村背後!」ですよね。


 これは私が保育所に通って居た頃に母方の祖父から聞いた話なのですが…。

 祖父が尋常小学校に通って居た頃、学徒動員で戦争に駆り出される前の事です。
 と或る九州の古寺に疎開をして居た事が在るそうで、当時は食べ物はもちろん、勉学をするにも事欠いたそうですが、子供達はみな仲が良かったそうです。

 昔は今と違って、年上の子が年下の子の面倒を見て、少々年が離れて居ようが、皆一緒になって遊んだそうです。そう云ったグループが地域に幾つか在って、それを統率する『ガキ大将』の一人が祖父だったそうです。
 山へ行くと言えば皆で山へ行き、川へ行くと言えば皆で川へ行って遊んだそうです。

 他のグループと喧嘩もしましたが、祖父曰く、 「昔は今みたいに陰険な風にはならんかったぞ。」「喧嘩をする時は1対1で殴り合ったし、小学3年生位になったら、皆ナイフを持って喧嘩してたわ。」「でも、引き際や手加減を知って居るから、大怪我にはならんかった。」と語ります。

 祖父は悪戯好きな面も在り、馬の尻尾の毛を抜いて釣り糸にしたり、猫の髭を短く切ったり、人の寝床にウシガエルを入れたりと、悪戯好きで腕っ節も強い、言葉通りのガキ大将だった様です。


 夏も終わりを迎えた疎開先での或る夜の事。尿意を催して目が覚めました。
 やや空気がひんやりとした部屋の中で、コウロギやカエルの大合唱が聞こえて来ます。
 半身を起こして大きな『蚊帳』の中を見回すと、処狭しと敷き詰められた煎餅布団に、同級生達が雑魚寝で並んで寝て居ます。

 すくと立ち上がり、寝相の悪い同級生の足を踏み踏み『蚊』が入らない様に、サッと蚊帳の外に這い出て、本堂の引き戸を静かに開け廊下へ出ました。

 本堂から離れの『厠(かわや)』へは、数メートルの『渡り廊下』を渡って行く必要があります。
 渡り廊下の片側、つまりお寺の表側には畑が広がり、お寺の裏手になるもう片側には檀家さんのお墓や卒塔婆が綺麗に並んで居りました。

 本堂を出た所から周り縁に沿って、渡り廊下の方へ向かいます。
 厠は渡り廊下を介してクランク状に進んだ先にあるので、本堂の角を曲がった所から橋向こうの厠が見えるのですが、その厠が見えるか見えないかの辺りで、『ポ〜ッ』と薄ら明るい物が厠の手前の床辺りから漂い上って来たのを見かけたそうです。
 祖父は不思議に思い、渡り廊下へ歩みを進めて様子を伺ってみると、それは左右に漂い揺らめいた後、渡り廊下の柱を迂回して床下に消えたのだそうです。

 戦時下ですから灯りは付けられません。月明かりを頼りに慎重に厠へ近付いて行きます。 『うぐいす張り』と云う程の物では無いのでしょうが、古寺ですから人が歩けば床が鳴きます。場所によっては、床板の『節』が抜けて居たり、シーソーの様に踏んだ板の反対側が持ち上がる所も在ったそうです。
 ギュッ、キュッ、ギュッ、キュッ、カタン、ギュッ、キュッ、ギュッ、キュッ…。

 厠に近づくと2cm程の節が抜けて居るを見つけたそうです。また出て来るかも知れないと期待して覗き込みましたが、暗くて全く何も見えないので、徐に足の親指で蓋をしたそうです。
 親指の腹がこそばゆくなったりすれば、それが出て来た合図だと思ったのですが、暫く経っても何の変化も無く催して居た事もあったので、汲み取り式の匂いの籠った厠の開戸を開けて中に入り、ムワッとした中で用を足して居ると、頭より少し高い縦格子の窓の外を、薄ら明るい何かが右から左へ漂って行くのをまた見たそうです。

 急いで用を足し終えて厠の外に駆け出し、また節に足で蓋をしたそうですが、やはり何の変化も感じられず、暫く後、興味よりも眠気と肌寒さが勝ち始めたので、手を洗い寝床へ戻る事にしました。

 手を洗って居る間も抜け落ちた節の穴を睨みつけて居たのですが、期待を満たす様な事は何事も起こらず、仕方なく諦めてもと来た回廊を戻り始めた時、他にも抜けた節は無い物かと腰を屈めながら、月明かりを頼りに探し探し戻ったのだそうです。


 ギュッ、キュッ、ギュッ、キュッ…。
 シーソーになって居る床板の所に来て、足先半分が板に乗ってカタンと反対側が上がったその隙間から、『フワ〜ッ』と、薄ら明るい物が漂い上って来たそうです。

 手を這う『てんとう虫』が指先に到達して飛んで行ってしまったのを目で追いかけるかの様に、腰を屈めた姿勢のまま、顔を上げてそれを目で追いかけると、墓場の方へ漂って行ったそうです。

 その時、祖父は、渡り廊下に沿って並ぶ墓石や卒塔婆の上を、既に幾つもの薄ら明るい何かが漂って居た事に、はたと気が付いたそうで、
 「こらぁ蛍とは違うごたるが、綺麗かね。」と、消えて居なくなるまで暫く眺めて居たのだそうです。

 「じいちゃん。何とも無かったん?」と私が聞くと、 「何でか知らんばってん、翌日、熱ん出たねぇ。」と話してくれました。


 そんな祖父には、虫取り網で雀を捕まえて触らせて貰ったり、倉庫に入り込んだ猫を捕まえて、靴下を被せて猫を天手古舞にさせたりと、悪戯の仕方を教わりました。
 私が小学1年生の頃には、「逆上がりもようせんとや?」と言って、小学校の砂場に在る大きな鉄棒で大車輪をして見せてくれるなど、スーパーじいちゃんでした。

 「猫には巾着袋が面白かぞ。靴下はすぐに脱いで逃げよるからな。」

 以上、『うぐいす張り』と云うお話でした。
 ご清聴ありがとうございました。

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