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【夏目漱石教師から学んだ我が祖父は、木曜会には不参加した。】

【それにしても、色んなところに登場される夏目漱石さんとは】


*夏目漱石さんは、1867年生まれで、
(牛込神楽坂)

原稿の印税を細かく書き留める程
{几帳面な性格であったそうです。}

また、夏目漱石さんと言えば、
愛媛県松山市が有名ですよね

松山市と言えば=道後温泉が有名(奥道後温泉も)

**28歳(1895年)松山市暮らしは1年程で
(正岡子規さん・高浜虚子さん達と)親交を深めて、
夏目漱石さんの作家としての素質を引き出したのは
子規さん・虚子さんと言われた。

漱石は、松山での御礼として
あの有名な【坊ちゃん】を書いたのでは、
と言われている

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**〜それから九州の熊本に移り、結婚して父親となる

その後=旧制5高(現在の熊本大学)

*また、私事で、申し訳御座いませんが、
私の母親の父親(祖父)は、
この時=夏目漱石さんから(教師の)生徒として、
勉学を受けたのです
(祖父は、それから京都大学医学部に進み~
北九州八幡に帰り八幡製鉄病院の開設に当たった)

**夏目漱石さんは、教師として赴任して、
4年3ケ月を熊本で過ごし
森の都=熊本、等々を残して
(熊本の漱石)を発信した

その間、松山時代の間にも、
明治27年(1894年)12月から翌年の1月まで
京都の円覚寺の帰源院に参禅されたそうです(つまり、京都〜松山を行き来した)

と思えば
文部省給費留学生としてイギリスに留学して
(1900~1902年)
英語と英文学を研究した

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*夏目漱石さんの名言=
『智に働けば角がたつ、情けに棹させば流される、意地を通せば窮屈だ』

また、『愛嬌とは自分より強いものを倒す
柔らかい武器である』

また、『僕は死ぬ迄進歩するつもりで居る』
共 に名言として残されている

ところで、夏目漱石さんの代表作品としては

*1位)吾輩は猫である。

2位)坊ちゃん
3位)こころ
4位)草枕
5位)虜美人草

その他=*三四郎・*夢十夜・*文鳥・等々

夏目漱石さんは、短編・長編合わせて
100作品以上もの作品を書き残している

その後=漱石さんは、福岡県久留米市に→5回
京都市伏見区・深草へも、

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**また、木曜会を夏目漱石宅にて開催して
教員時代の教え子や漱石を慕う若手文学者が集まり
議論を重ねた


【私の祖父は、京都大学医学部に進学した為】
文学とは疎遠に成った、と手帳に記録されている

私も文学とは、疎遠で有る

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