三四郎 続き 主人公や他の登場人物に感情移入するのもひとつの読み方ですが、全体を俯瞰して読むのも楽しみ方の一つ。ただ、三四郎の場合、なんでこうなるのというところが多すぎ。登場人物の生活背景まで読み込む必要があるということなんでしょう。
漱石の三四郎を読んだが、どの登場人物にも感情移入できない。読んでいて常にイライラしていた。若いころ読んだときにはさわやかな青春小説と思っていたが、そうではなかった。いったい何なのだろう。こちらが年を取ったせいか。
漱石 #4(前回の続き) 前回のつぶやきで読書を愉しんでいると書きましたが、いま、漱石を読んでいて、若いころと違って、なんか強い違和感を感じてしまいます。それが何なのか深く掘り下げませんし、書きもしません。(終わり)
漱石 #1 いま、人生何度目かの漱石全部読むをやっています。全部といっても、若いころみたいに小品や随想までというのは無理なんで、主要小説を読もうと思っています。(続く)
漱石 #3(前回の続き) アウトプットを気にしない読書もいいもんです。いままで、noteで読書感想を書くことを前提に本を読んでいましたが、いまは休筆中。純粋に愉しみのために読書しています。(続く)
漱石 #2(前回の続き) 3月から初めて、いままで読んだのは、『猫』『倫敦島』『坊ちゃん』『草枕』『二百十日・野分』『虞美人草』『坑夫』『文鳥』『夢十夜』。 いまは『三四郎』を読んでいます。(続く)