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大人の「現代文」76……『こころ』  成功しすぎたKの救済

嫉妬の芽生え

 
 先生のもくろみはだんだん成功していきます。最初はぶっきらぼうだったKは、だんだん変化していきます。もくろみとはいうまでもなく、Kよりも「事理を弁えた」先生が、Kを孤独生活から解放して「人間らしくする」もくろみです。先生はこう言います。引用しましょう。

   この試みは次第に成功しました。……彼(K)は自分以外に世界のあ 
   る事を少しずつ悟って行くようでした。……今まで書物で城壁をきず  
   いてその中に立て籠っていたようなKの心が、だんだん打ち解けて来
   るのを見ているのは、私にとって何よりも愉快でした。……私は本人
   に云わない代りに、奥さんとお嬢さんに自分の思った通りを話しまし
   た。二人も満足の様子でした。(下二十五 ちくま文庫より)

 ところが、この試みは成功「しすぎ」ます。だんだん先生には、不都合な事態が起こってまいりました。お嬢さんとKが必要以上に接近しはじめる「事件」が起きたのです。それは、ある日のことです。先生が帰宅したら奥さん不在で、Kとお嬢さんが二人で会話しているという場面に遭遇したのです。まあ、お嬢さんにとっては、先生の依頼の一環の行為かも知れませんが、先生にはショックでした。というのも、奥さんが先生とお嬢さん二人を残して、家を空けることはかつてなかったからです。(下 二十六)しかも、一週間後、また同じような事が起こりました。先生の心中に、不審と疑惑が広がります。先生はKを連れだし、Kがお嬢さんをどう思っているか直接聞き出そうとしましたが、らちもあかずそのままになってしまいました。先生はいよいよ不安になります。というのも、先生はKにたいして、学力はおろか、容貌でも気質でも及ばないとある種の劣等感を持っていたからです。先生の言葉を引用します。

    今から回顧すると、私のKに対する嫉妬は、その時にもう充分萌し
    ていたのです。(下二十七 ちくま文庫より)
 
 心にもやもやしたものを抱えたまま三年生になり、先生はKに房州旅行を提案します。すでに、先生は、自分の心中の嫉妬心を十分意識していました。なんとかKの心中を確かめたかったのです。Kはいやがりましたが、奥さんの取りなしで、不承不承賛成しました。(下 二十七)

 ※房州旅行は次回です。

 

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