トミ

はじめまして。長年高校の国語教師をしているトミです。「現代文」は「謎の科目」と言われま…

トミ

はじめまして。長年高校の国語教師をしているトミです。「現代文」は「謎の科目」と言われますが、そんなことありません。「生きにくい現代をどう生きるか!」が書かれています。現役の高校生も、かつて高校生だった方にもぜひ読んでいただければと思っています。

最近の記事

大人の「現代文」67……『こころ』読みの基本軸について

人はどんなときに絶望的な苦悩をするのか?  前回までの、下一・二をまとめると 「先生」は「全日本人の代表である青年」に、人はどんな『卑怯』な振る舞いをしたとき、その行為の後、死にたくなるほどの、自分は世界の中にひとりぼっち感覚に煩悶するのか」という「暗い倫理的な教訓」を開示する宣言をしているということです。 これを、もっとシンプルにします。  「人は、他者との関係において、どんな卑怯な振る舞いをしたとき、その罰として、絶対的な孤独になってしまうのか」ということです。こ

    • 大人の「現代文」66……『こころ』下二の倫理について

      卑怯と倫理 では「下 先生と遺書の二」を検討します。以後これは単に、「下二」と書きます。合わせて、言うまでもないのですが、私が書くことは、あくまで私が授業の中で、生徒と有形・無形の対話を重ねるなかでたどりついた結論であって、換言すると、この作品をどう理解したとき、生徒は深く納得した表情を浮かべたか、という私の経験値の報告だということも、言っておきます。私は、それが、文学作品の理解というものだと思っています。  ところで、前回65の結論を再掲します。こうでした。  『ここ

      • 大人の「現代文」65……『こころ』改めて最初から行きます。

        「下 先生と遺書 一」から、卑怯とは何か。    では、ちょっと繰り返しもありますが、改めて「下 先生と遺書 一」から見ていきます。膨大な遺書の最初です。先生は現在の自分をこう語ります。   実をいうと、私はこの自分をどうすれば好いのかと思い煩っていたとこ    ろなのです。このまま人間の中に取り残されたミイラのように存在して   行こうか、それとも……その時分の私は「それとも」という言葉を心の   うちで繰り返すたびにぞっとしました。駈け足で絶壁の端まで来て、急   に

        • 大人の「現代文」64……『こころ』Kについて2

          なぜ彼女はKがわかるといったのか。 前回の続きです。  で、なぜ私が一人の女子高生のKに対する発言にある衝撃を受けたかと言いますと、その子のキャラが、Kと被ったからです。その子は、とても礼儀を弁えた「よい子」なのですが、同時に、自分の意見は臆することなく言葉に出すという強さも併せ持っていたのです。そしてこの「強さ」はしばしば周囲から「浮く」ことにつながりました。彼女が(先生よりも)Kに(キャラとして)特別親しみを感じる理由はよく理解できたわけです。  先生はKを根本

        大人の「現代文」67……『こころ』読みの基本軸について

        • 大人の「現代文」66……『こころ』下二の倫理について

        • 大人の「現代文」65……『こころ』改めて最初から行きます。

        • 大人の「現代文」64……『こころ』Kについて2

          大人の「現代文」63……『こころ』Kとはどういう人か 

          「私、このKという人の方が(主人公の先生より)わかる」とつぶやいた生徒   高校現代文教師を長年続けていると、ある日あるとき、思いもかけぬ生徒のことばにこころを貫かれるような衝撃を覚えることがあります。実は、今私が書いているこのnoteの記事、私が自分なりに考えてきた内容と、そういう生徒の言葉から頂いたヒントを中心に考えた結論の合成物でありまして、前にも書きましたが、私は授業自体が、サイエンスの「実験」のようなものと思っています。  以前、このnote53・54で書いた

          大人の「現代文」63……『こころ』Kとはどういう人か 

          大人の「現代文」62……『こころ』先生とはどういう人か

          先生探求です お待たせしました。具体的に、先生は青年に出会う前にどんな人生を経てきたか、つまり、青年が鎌倉で「偶然知り合う」までの先生の人生体験を確認しておきます。むろん、それはすべて「下 先生と遺書」で明かされるわけで、そのコアな部分は後に詳細に見ますが、その「コア以前」の概略です。  先生は新潟県の出身です。一人っ子でした。まことに不幸なことに彼は中学時代に伝染病で両親を相次いで失ってしまいます。一人残された彼は、その財産管理を実業家の叔父に託し、上京して旧制高等学校

          大人の「現代文」62……『こころ』先生とはどういう人か

          大人の「現代文」61……なぜ『こころ』のポイントは「下 先生と遺書」か

          二人の語り手    前回からの続きです。  というわけで、この『こころ』という小説、「語り手」が二人おりまして、三部構成の「上・中」では「私」という青年、「下」では先生生自身になります。そして、「上・中」では青年の立場から、先生が外から語られ、「下」では先生自身が自ら語る形になります。まあわかりやすく言えば、「上・中」では「普通の小説スタイル」で「下」では「私小説スタイル」になるわけです。  そして、「上・中」では青年がいわば全面的に進行役を演じて、あたかも「準主人公」

          大人の「現代文」61……なぜ『こころ』のポイントは「下 先生と遺書」か

          大人の「現代文」60……『こころ』親友という視点で思い出されるもの

          『舞姫』の豊太郞と『こころ』の先生   皆さん「親友関係の倫理」ということばで何かおもいだされませんか?『舞姫』を読んでいるピュアーな生徒はすぐピンと来ます。『舞姫』の豊太郞です。豊太郞は親友相沢との間に「否とは言えない」絶対的な信頼関係をもっていましたよね?あるいは特定の「親友」に限らず、天方大臣に対して「己が信じて頼む心を生じたる人に」(突然何か依頼されたときに、その瞬間自分の答えがどういう結果になるか良くも量らず)「直ちにうべなふことあり」と言って、いわば「准親友?

          大人の「現代文」60……『こころ』親友という視点で思い出されるもの

          大人の「現代文」59……『こころ』全体のあらすじ 教科書から

          一応『こころ』全体を踏まえます。  私は、上中下 の三部構成になっている『こころ』という小説の 、「下 先生と遺書」に注目してこの小説を読解する立場ですが、これに関しては「上 先生と私」「中 先生と両親」 を焦点化する議論もあります。そこで上・中のおおよその概要については、簡単に触れておきます。皆さんの参考のために、伝統的教科書でどう説明されているか、それをそのまま引用してみましょう。(第一学習社 「現代文」からです。私の本文と紛らわしいので、「引用」と書いておきます)

          大人の「現代文」59……『こころ』全体のあらすじ 教科書から

          大人の「現代文」58……『こころ』のテーマ、始めます。

          「偉大な漱石」が「そんなこと」をテーマにするの?と言った生徒  前回の続きですよ。 そう考えると、この小説の(少なくとも下の)テーマは「親友関係」において「人はどういうときに死にたくなるほどの自罰感」を抱くかという、「罪と罰」の話、わかりやすく言えば「人はどういうときに親友との関係においてどうしようもなく深く傷つくのか」というテーマになるのです。  それを、漱石がわかりやすく小説化したのが、この『こころ』という作品だということです。繰り返します。この小説は日本版「罪と罰」

          大人の「現代文」58……『こころ』のテーマ、始めます。

          大人の「現代文」57……『こころ』読み進めます。

          「暗い」とは?「倫理的」とは?  それでは始めますね。高校生が『こころ』に読む「暗い倫理的教訓」とは何かです。  言うまでもなく、回答は下の「先生と遺書」の中に語られるはずです。前回も指摘したように、先生は下の冒頭でそれを宣言しているからです。つまり「暗い」とは何か、「倫理」とは何かを、先生のあの膨大な遺書から読み取らねばならないということになります。  少し脱線しますが、伝統的な現代文教科書では、この下の「先生と遺書」の、Kの告白から自殺までの部分の原文(つまりそれを

          大人の「現代文」57……『こころ』読み進めます。

          大人の「現代文」56……『こころ』読みの注目点はここです。

          「倫理的に暗い教訓」って?    現代文小説の代表格である『こころ』を始めます。この作品、漱石作品中、恐らく最も「人口に膾炙した」作品と思います。なぜなら、まず殆どの高等学校で、教材にとられ続けてきたと思われるからです。  ですので、この作品に関しては、様々な論評が為されていることは承知していますが、私は、ちょっと変わった視点で切り込んでみましょう。この作品に、ピュアーな生徒はどういう場面に一番真剣な眼差しをするか、という観点で述べてみましょう。  生徒は、作品をスト

          大人の「現代文」56……『こころ』読みの注目点はここです。

          大人の「現代文」55……『こころ』始めます。はじめに……。

          「人間の関係」が読みの基軸なんです。  これは、あまり(というか殆ど)指摘されないのですが、『羅生門』をはじめ『舞姫』『こころ』『山月記』など、高校の「現代文」で伝統的に教えられてきた「小説」には、ある特徴があるんです。  どういう特徴かというと、どの作者もものすごく真面目に「人間とは何か」という問題意識を持って作られているのは言うまでもないのですが、その問題意識が「倫理」にわかりやすく表現されているということです。  『羅生門』の下人、『舞姫』の豊太郞、『こころ』の

          大人の「現代文」55……『こころ』始めます。はじめに……。

          大人の「現代文」54……『舞姫』忘れられないエピソードその2

          『舞姫』とエピソードB子C子との関係 もう一言、昨日のエピソードに追加させてください。  前回の最後に記したように、豊太郞にとっては相沢(天方伯)もエリスも、同じ関係性の人なんです。すなわち、相互に百パーセント「絆」を確信しあってその関係を破棄できない人です。スピーチした彼女にとっては、B子なんです。二人のB子がいるからこそ豊太郎は「葛藤」するのだと思います。もっとリアルに言えば、豊太郞の「自己が引き裂かれる」のです。  では、現代人にとって多分B子よりも好ましい(であ

          大人の「現代文」54……『舞姫』忘れられないエピソードその2

          大人の「現代文」53……『舞姫』これでひとまず終わりにします。

          忘れられないスピーチ      いままで読んでいただいた方にはほんとうにお礼を言いたいと思います。ありがとうございました。『舞姫』とりあえずこれでおしまいにします。まだ、豊太郞最後の述懐など触れる必要があるかもしれませんが、これは研究者の方にお任せします。  ここで一つ、私が、この作品に関して深く考えさせられた、生徒の生の声について紹介します。といっても『舞姫』論ではありません。この作品の主題に深く関わる内容と私が思ったある授業のエピソードです。  もうかなり前のことで

          大人の「現代文」53……『舞姫』これでひとまず終わりにします。

          大人の「現代文」52……『舞姫』いよいよ最後です。

          エリスの絶望の意味するもの    豊太郞の手記は最終章を迎えます。  豊太郞が人事不省に陥り、うわごとばかりを口走っている間、エリスは手厚く看病していたのですが、ある日相沢が訪ねてきます。(そりゃそうですね)そして相沢は、豊太郞が彼に隠していた真実を全て知ることになります。    同時に、エリスもまた、豊太郞が彼女に隠していた真実を相沢から知ることになります。真実とは言うまでもなく、「豊太郞が相沢に(しばらく)エリスと別れると言ったこと」「豊太郞が日本に帰国すると大臣に言

          大人の「現代文」52……『舞姫』いよいよ最後です。