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大人の「現代文」54……『舞姫』忘れられないエピソードその2


『舞姫』とエピソードB子C子との関係


もう一言、昨日のエピソードに追加させてください。

 前回の最後に記したように、豊太郞にとっては相沢(天方伯)もエリスも、同じ関係性の人なんです。すなわち、相互に百パーセント「絆」を確信しあってその関係を破棄できない人です。スピーチした彼女にとっては、B子なんです。二人のB子がいるからこそ豊太郎は「葛藤」するのだと思います。もっとリアルに言えば、豊太郞の「自己が引き裂かれる」のです。

 では、現代人にとって多分B子よりも好ましい(であろう)C子はどういう立ち位置になるのか?C子は、現代の「個人主義」の象徴と思います。この百年余、日本人が少しずつ西洋文化の影響を受けて、身につけてきた、新たな人間関係のモデルです。特にいわゆる「戦後世代」にとってのです。

 「思いやり」とは、絆を信じながら、そっと遠くから温かく見つめる眼差しだ、というのが、現代の高校生の一番納得する関係性です。では、ですね。もしあなたがとても困った状態、孤独や、不安や、絶望に陥ったとき、遠い眼差しのC子と、直近まで来てあなたの顔をのぞき込んで「どしたの、どしたの?」と、寄り添うB子とどちらにより深い救いを感じるか、ということです。

 現代の私たちは、心の底のホンネではB子を求めつつ、表面的にはC子のような、離れた関係「日本的個人主義」を求めているんじゃないでしょうか?スピーチした高校生の彼女の、「悩み」は、あまりに純で素直であるが故に、こういう、現代人の心の内奥の矛盾を鏡のように映しだしていると私は思ったのです。

  スピーチした女子高校生の悩みと百年前の豊太郞の苦悩は、同じものではありません。B子とC子の狭間で悩むか、二人のB子に裂かれるかの違いです。でも、B子の存在を強烈に意識している点では同じです。冷静な生徒は、自分の内奥のB子はどういうものか、誠実に内省し熟考します。それが彼らにとって、本当の意味での「文化的存在である私」という自己探求につながるからです。

#舞姫 #現代人の葛藤  #明治の葛藤

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